陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

熊野三山詣と南紀散策

2009-11-23 00:03:10 | 旅行
 先週は、初冬の熊野詣を一人旅で楽しんだ。空港のある白浜町を起点に、「熊野古道」をバスで走り抜け、「熊野本宮大社」をお参りする。次いで、新宮市に出て「熊野速玉大社」の参詣。その後、勝浦町に移動し、「熊野那智大社」と「那智の滝」を訪問。それぞれの大社訪問には各1日を当て、帰路に串本町・大島にある「トルコ軍艦遭難記念碑」と潮岬を訪れて、白浜町へ戻る。

 白浜でレンタカーを借り、一周しようとも考えたが、体力に自信が持てず、全て公共交通機関の利用となった。大凡の旅程は次の通り。

11/16(月)

 午後に山形空港を出て、羽田から南紀白浜空港へ。時間調整で白浜町に一泊。

11/17(火)

 早朝に高速バスを利用。JR白浜駅から熊野本宮までの中辺路(なかへち)をスムースに走り、1時間で到着したのには驚いた。平安・鎌倉時代は1週間も掛けて「蟻の熊野参り」をしていたと言うのに。

 「熊野本宮大社」は、明治22年(1889)の大洪水で破壊され、現在のなだらかな山腹に移設された。そこには、スサノオノミコトら、4柱の神様が祀られている。総檜作りの荘厳な佇まいだ。

 生憎の小雨であったが、むしろその方が静謐で神秘的な感じがした。神殿の前で、男女が裸足でお百度参りをしていたのが印象的だ。

 世界遺産に登録されたのを記念して、立派な「和歌山県世界遺産センター」が設置され、古来から著名な99箇所の王子(祠+宿泊施設)や歴史的な意味を持つ参詣者たち、修験道の解説を行っている。

 本宮を離れて熊野川沿いに南下し、志古(しこ)へ到着。そこからウオーター・ジェット船で「瀞八丁」(どろはっちょう)へ。それは、熊野川の支流北山川の上流にある。様々な形の奇岩が屹立し、切り立った岩壁を碧色の川面に映して、天下の奇勝の名に相応しい。霧雨の中を進む船中からそれらを眺め、2時間ほど楽しんだ。
 志古から再びバスに乗り(乗客は私一人だけ)、新宮へ向かう。新宮では、「めはり寿司」の素朴さを味わう。これは、塩付けした高菜の葉で包んだおにぎりで、熊野川の筏流しの船頭達の常食であったらしい。

11/18(水)

 晴れ上がった早朝、ホテル近くにある「浮島」(天然記念物)を眺めてから、「神倉神社」へ。頼朝寄進の530段の急石段を休みながら登り、ご神体の巨岩と対面。この神社から、「熊野速玉大社」へは比較的近い。こちらの大社は、丹塗りの鮮やかなデザインで、本宮大社とはかなり趣が異なる。

 「速玉大社」にお参りの後、少々のんびりとした。駐車場近くにある佐藤春夫記念館を覗いた。生前彼が自詩を朗読した音声をCDで流していた。この建物は、東京から移築したとのこと。

 新宮城址公園で海へ流れ込む熊野川の姿を見た。大峰山から流れ出た天ノ川は、支流を集めて十津川となり、やがて熊野川と名前を変えて大河に成長する。熊野川は、昔から参詣者の川路として著名だが、木材の運搬にも大いに利用された。只今は通う船便も少なく、川は滔々と流れるのみである。

 遅い昼食を摂るため、<東宝茶屋>へ入り、名物の秋刀魚の馴れ鮨を注文した。これは、酒の肴に中々良い。店主の話では、なれ鮨作製には低温が必要で、苦労があるらしい。
 「徐福公園」をさっと眺め、JR新宮駅から各駅停車で紀伊勝浦駅へ向かう。

11/19(木)

 この日も快晴で、勝浦駅前発・那須大社行き観光バスに乗る。老夫婦ら25人と共に出発。途中、大門坂の旧「熊野古道」登山道で停車。杉並木の中に伸びる石畳の登山道を少し歩く。この日は、古代衣装を身に付けた参詣者には出会わなかった。

 「那智の滝」(落差133m)は、実に雄大であり、また荘厳である。滝壺は巨岩で埋まっていて、深淵に落ちる水の凄まじさを見ることは出来ない。

 「熊野那智大社」も、朱色の建築物であった。ここの主神はスサノオノミコトである。宝物殿はスキップして、隣接する古刹「青岸渡寺」(せいがんとじ)を拝観した。本堂は、秀吉の再建になるもので、重要文化財。神社と寺が仲良く並んでいるのは、神仏混淆の歴史を強く感じさせる。

 観光バスとJR紀伊勝浦駅前で別れ、JR那智駅近くに位置する「補陀洛山寺」(ふだらくさんじ)を訪問した。ここは、世界遺産に登録されているのに観光客が殆ど訪れないようだ。補陀洛渡海用の船が展示してあった。

 少し時間が出来たから、太地の「くじら博物館」を見学に行った。交通の便が悪く、自家用車が無いと苦労をする。昔、金華山の鯨関係展示を見たことがあるが、この博物館は捕鯨技術の変遷も説明されていて、はるかに充実していると思う。イルカやシャチの楽しい演技も見ることが出来る。

 太地からはバスで串本町へ向かう。所期の「熊野三山」参りを果たしたので、ホテルでは精進払い(笑)に名物の海浜料理をたっぷり楽しみ、地元米焼酎の<熊野水軍>を紀州南高梅入りで味わった。バー・ラウンジで生演奏を聴きながら、カクテルを数杯。

11/20(金)

 串本駅前から循環バスに乗り、本州最南端の潮岬へ行く。望潮台から黒潮の流れを眺める。少々危険であったが、崖下まで降りて、海水に触れてみると生暖かかった。この辺りは潮の流れが速く、海流がぶつかり合って渦を巻くこともあるらしい。冬でも暖かい地方なので、椿やハイビスカスが沢山咲いていた。

 白亜の潮岬灯台は無人化していたが、内部見学は可能。

 再び、循環バスでJR串本駅へ戻る。午後は、大島へのバス便が少なく、止むを得ずタクシーを使う。昨夜から顔見知りになったタクシー運転手が樫野埼灯台と「トルコ記念館」往復、待ち時間込みで7000円で良いと言う。そこで、彼の好意に甘えることにした。

 ここで、少しトルコ軍艦遭難事件について触れる。

 オスマン・トルコ帝国軍艦<エルトゥールル号>(2700トン)は、親善訪問で明治23年(1890)6月に来日、大歓迎を受けた。この折、日本ではコレラが流行し、同艦乗組員も罹患していたこと、またトルコ国内事情があったために、<エルトゥールル号>は9月半ばに横浜港を出港、折悪しく熊野灘で台風に遭遇し、舵を折られた。

 漂流した同艦は、大島・樫野埼灯台近傍の岩礁に衝突し沈没、587人の乗組員が死亡、あるいは行方不明になった。当時大島村の村民は、総出で生き残りのトルコ海軍兵士69名を必死に救助、また溺死者を丁重に葬った。この時、兵士達に村民としては貴重な鶏を供与し、大変感謝されたと言う。

 明治大帝は、この事故を気の毒に思われ、トルコ海軍兵士を軍艦<比叡>と<金剛>に乗せてトルコ本国へ送り届けた。我が国民は、遺族への弔慰義捐金も準備した。トルコ国民は、遠く離れた日本及び大島の人々の思いやりに甚(いた)く感謝し、その話はトルコの教科書にも掲載されたと言う。

 残念ながら、オスマン・トルコ帝国時代は、日本/トルコ友好条約は結ばれなかったが、第一次大戦後のトルコ共和国との間では、友好条約が結ばれ、現在に至っている。1974年、<エルトゥールル号>遭難を慰霊する「トルコ記念館」が樫野埼灯台近傍に設立され、立派な遭難慰霊碑も建立された。

 時代は下って1985年、イラクのフセイン大統領は、イランとの戦争中、イラン上空の航空機無差別攻撃を発表、当時イランに滞在中の日本人215名は脱出も適わず、不安な状態に陥った。日本は、自衛隊機を海外に出すことが不可能で、公用で利用して来たJALは組合の強固な反対で支援機を送ることが出来ない。困り抜いた駐イラン日本大使の要請を受けて、トルコ政府は<エルトゥールル号>でトルコが世話になったお返しとして、トルコ航空機を直ちにイランへ派遣、日本人全員をイランからトルコへ救出した。

 このような逸話があるので、串本町へ行ったら是非「トルコ記念館」と「遭難慰霊碑」を見たいと願っていた。今回それが実現出来て、満たされた想いである。記念館内部には、<エルトゥールル号>の模型、トルコ海軍兵士の服装、引き上げられた遺品などが多数展示してある。

 さて、親切なタクシー運転手は、その後<海金剛>の絶景へ案内してくれ、<日米修好記念館>へ連れて行ってくれた。JR串本駅で彼と別れる時、心付けを渡し厚くお礼を述べた。

 JR串本駅から白浜駅までは、特急で1時間弱、温泉ホテルで今回最後の南紀の夜を過ごした。

11/21(土)

 南紀白浜空港と温泉街はタクシーで15分程度、とても便利である。白浜空港―羽田空港便は、一日3便、午前10時50分発のフライトを利用、羽田では山形空港行きの便に接続するので好都合だ。我が家に到着したのは、午後4時、予想していた雪は全く降らなかったようだ。

 熊野本宮、新宮、紀伊勝浦、太地、串本、そして白浜の多くの人々にお世話になった。南紀の人々は、本当に親切であると感じた。そう言うと、彼等は「南国だから、お人よしなだけですよ」と笑う。

 この不況で、白浜町を除く殆どの町は景気が悪そうであった。数年前に比べると、観光客は著しく減っているらしい。かつては、木材の売買や鯨漁で潤った南紀地方も、今は働く場所が無くて中々大変だ。山間地が海に接するような険しい地形であるから、産業誘致も進まないのであろう。<吉野・熊野参詣道>が世界遺産に登録されたのを機会に、和歌山県は観光立県に努めているが、大いに頑張って欲しい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中身の伴わないオバマ初来日 | トップ | 「鳩山不況」は着実に進行中 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事