陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

安倍首相の靖國神社不参拝

2013-10-24 00:34:12 | 靖國関連
 靖國神社の秋季例大祭は、10月17日から20日の間に行われた。10月18日が当日祭で大事な日であり、先帝陛下もこの日に行幸された。

 安倍晋三首相は、この秋季例大祭に「真榊(まさかき)」を奉納しただけで、参拝をしなかった。彼は、「首相の間に靖國神社を参拝しなかったのは痛恨の極み」と述べたが、食言と批判されるのは当然である。稲田朋美行革担当相も参拝しなかったが、新藤義孝総務相、古屋圭司拉致問題担当相は参拝に赴いた。

 私は、首相参拝の無かったことを極めて残念に思うし、保守層の人々もがっかりしたはずだ。10月17日に発売された<週刊文春>掲載の読者アンケートでは、回答者1148人の70.3%が首相は靖國参拝すべきとの意見であった。

 今回の安倍首相不参拝は、中韓のクレームを恐れたというよりも、米国の指示に従ったとする見方がある。我が国は、自主国防と外交を奪われた状況、すなわち事実上の米国属国である。政権を長く維持するためには、米国の指示に従わなければならないのだ。2+2会議で来日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官が揃って<千鳥ヶ淵戦没者墓苑(無名戦士の墓)>へ献花したのは、暗黙の指示のようにも思える。

 歴史的に見ると、首相が靖國参拝を止めたのは、中曽根康弘元首相の時である(1986)。中曽根<風見鶏>は、家族ぐるみの付き合いがあったという胡耀邦・元総書記の政治的立場を配慮して、参拝を取りやめた。当時は、米国のレーガン大統領と「ロン・ヤス」関係で米国の覚えも良く、長期政権になった。自由化を模索していた胡耀邦への配慮は、日本が大嫌いなH・キッシンジャー国務長官(当時)辺りから圧力があったたのかも知れぬ。

靖国神社に参拝した歴代首相
http://tamutamu2011.kuronowish.com/syusyouyasukunisannpai.htm

 日本が経済力を付けた1980年代以降、長期政権を維持出来たのは、明確な米国依存を表明した政権(「アメポチ政権」と揶揄される)だけである。安倍首相はそれを意識しているのだろうか。

 慰安婦問題も、安倍政権は「河野談話」を踏襲している。産経新聞のスクープがあっても、殊更に無視する姿勢だ。これも、米国の圧力があって、韓国とこれ以上軋轢を増やすなと言うことだろう。

 首相の靖國参拝を中止し、外交問題化させた中曽根康弘の罪は限りなく重い。彼は10回靖國神社に公式参拝しているが、二礼二拍手一礼の神道形式を取らず一礼のみとし、宮司を怒らせた。歴代首相の指南役と言われた安岡正篤は、中曽根が懇請しても面会を許さなかったのが良く分かるような気がする。

 何れにせよ、首相の靖國参拝は、自主憲法が成立するまで難しいと思われる。
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1 コメント

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innicent (noga)
2013-10-24 02:12:31
意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制がない。 (韓国語・中国語にも時制がない。)

意思があれば方法がある。積極的・能動的。打開策を講ずる。生きる力がある。
問題が起これば自分の罪を認めないわけにはゆかなくなる。歴史認識の問題にもリーズナブルの答えが出せる。

意思がなければ方法がない。消極的・受動的。諦観する。座して死を待つ。ひ弱な花。
問題が起これば被害者意識がこみあげてくる。怨恨の応酬。未来社会の建設に関する提案はなされない。

無意思でいれば、責任を追及されることもない。罪の意識にもさいなまれることもない。
だから、慣れ親しんできた伝統的な生き方の快適さと安心を手放すことは難しい。
だが、加害者意識の無い人は、子供の様なもので、相手から信頼されることはない。




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