陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

恩師の逝去

2008-08-22 21:42:40 | Weblog
 大学院時代の恩師、SO先生が逝去された。享年100歳。
 完全介護の病院へ入られていたが、私はお見舞いに伺うのを遠慮した。面会謝絶ではなかったけれども、先生はベッドにいる姿を見られたくないだろうと想像したから。

 毎年お送りする桜桃とりんごをこの上なく悦ばれ、最晩年の頃は乱れた文字で心の篭った礼状を下さった。あれだけ達筆なお方だったのにとも思った。それも、数年前からは娘さんの代筆になった。

 先生がお元気な70代の頃、何度も飯豊山の麓の民宿に連泊し、渓流釣りを教えていただいた。夕暮れが近づいた頃、「これを使え」と言われ、毛鉤に変えて水面をなぞるようにしていたら、大きな虹鱒が掛かった。私は初めての経験で、「釣れました!」と言ったら、先生がニコニコされていたのを今でも思い出す。

 ヨーロッパ旅行がお好きで、87歳まで各国の小さな街を訪ねておられたようだ。スイスのインターラーケンやノルウエーのフィヨルド訪問は、スライド映写で楽しまれた様子を私たちに語った。

 直江山城守や児玉源太郎大将の逸話を色々と聞かせていただいた。御両人に関する著作を読むようになったのは、SO先生の影響だ。学問的なことに加え、そうした歴史的逸材の存在を御教示いただいたことに心から感謝している。

 愚息が生まれた時、こんな名前はどうだと提案されたが、あまりにクラシックなので辞退させていただいた。今考えると、その方が良かったのかなとも思う。

 学問のあり方や、人間の生きる道をそれとなく教えて下さったSO先生、どうぞ安らかにお眠り下さい。

仰げば尊し

作詞作曲不詳

歌: 由紀さおり、安田祥子
http://jp.youtube.com/watch?v=vDZmEurCT6k&feature=related

仰げば 尊(とうと)し、わが師の恩
教(おしえ)の庭にも、はや 幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し、この年月(としつき)
今こそ 別れめ、いざさらば

互(たがい)にむつみし、日ごろの恩
別るる後(のち)にも、やよ 忘るな
身をたて 名をあげ、やよ はげめよ
今こそ 別れめ、いざさらば

朝夕 馴(なれ)にし、まなびの窓
螢のともし火、積む白雪
忘るる 間(ま)ぞなき、ゆく年月
今こそ 別れめ、いざさらば
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