3年前に作られた映画「いま、会いにゆきます」(2004.10.30封切り)には、小雨に煙る美しい新緑の画面が多く、何かほっとさせてくれるものがある。内容も、親子3人が醸し出すこの世にはありえないファンタジーで、改めて人の優しさを思い起こさせる。そして、家族とは何なのかをも問いかける。
これは、市川拓司氏の同名ベストセラー(2003)を映画化したものである。私は、2004年に、学生U君からその小説を借りて読み、不思議な感動を覚えた。同年映画化され、DVDも発売された。TVドラマにもなったらしいが、私はそれを全く見ていない。父と幼い息子の愛情は、米国映画「クレイマー、クレイマー」(1979)でも巧みに描かれるが、それとはかなり異質で、はるかに温かみのある内容だ。
物語は、とある地方の湖に近い一軒家から始まる。29歳の父親、秋穂(あいお)巧と小学校1年生の佑司(6歳)が、そこで慎ましい日常を過ごしている。佑司は、父親を“たっくん”と呼んでいた。巧は、脳内分泌物異状と言う奇病のため、人ごみに出られず、電車などにも乗れない。でも、自転車で通勤することは出来る。彼は、痴呆ではないが通常人よりも行動が遅い。そんな状態で、行政書士事務所に勤めている。
巧の愛妻、澪(みお)は高校の同級生であった。1年前に、彼女は28歳で病死した。死ぬ前に、澪は巧と佑司へ「1年後の雨の季節に戻ってくるからね・・・」と言って別れを告げた。二人は意味が分からなかったが、時折それを話題にした。
梅雨に入った頃、巧と佑司は仲良く何時もの散歩をする。小さなトンネルを潜り、静かな林の奥にある廃工場まで歩くのだ。そして、工場の中に入った時、#5扉の前で小雨に濡れている澪と再会する。でも、澪は全ての記憶を失っていた・・・。
我が家に戻った澪は、巧と佑司の細やかな気遣いの中、戸惑いながらも3人の生活に慣れていく。散らかった家の中を片付けたり、ビデオテープに残されたかつての自分の姿を見、3人の団欒などを通じて小さな佑司への愛情が新たに湧いてくる。
巧は、自分と澪の出会いを彼女へゆっくりと語る。彼の片思いであったこと、ボールペンが機縁でデートをしたこと、手紙での交流をしたこと、陸上競技のやり過ぎで通常生活が出来なくなり、それが理由でつっけんどんに澪と別れたこと、でもある日突然、澪が会いたいと言って来て二人の心が戻り、幸せな結婚をしたことを教える。それを聞いた澪は、もう一度あなたを好きになるようにしたいわとつぶやく。
自分が佑司のために残した自作絵本を見て、澪はそこに描かれている自分の姿を不思議に思う。「アーカイブ星」から来て、また戻る?どういう意味だろう。
澪は次第に巧に心を開き、ベッドで寝ながら昔二人がそうやってゆったりした時を過ごしたことを知る。巧が教えてくれた言葉:「君の隣は、いこごちがよかった」。そして、こうしているのが「ベストポジション」と澪自身が言っていたらしい。
生前、佑司と彼女が隠したタイムカプセルが出てきた。その中に、沢山の巧からの手紙と自分の日記帳が入っていた。澪は一人になった時に、かつての自分の日記帳を紐解いてみた。そして、全てが理解出来た。
あたしは、大学に入っても、巧のことが忘れられなかった。小雨の中、巧を見かけて、それを追っているとき交通事故に出会い、頭を強く打って入院する羽目になった。その時、病床で不思議な夢を見た。夢の中では、これから先9年間の自分の生き様がTV画面のように流れた。巧と結婚して、6年で死ぬ運命にあるのも分かった。佑司という可愛い男の子に恵まれるが、彼を置いて死んでいく将来だ。
その時、夢から覚めて考えた。もし、これから巧に会わなければ、あたしには別の人生が待っているのだろう。多分片思いなんだろうけれども、あたしは巧がとても好きだ。そして生まれてくる佑司も好きだ。だから、私は巧のところへ行って、夢の語る通りにしよう。そう、あたしは心を決め、日記にこう書いた。
「いま、会いにゆきます」
ひまわり畑での巧との甘酸っぱい再会、そして、あたしは彼と結婚し、佑司を生んだ。短かったが、充実した幸せな生活。でも病を得て、巧と佑司を置いて死んだ。そして彼らとの約束を果たそうと、こうして雨の季節に戻って来た。次の予定では、梅雨の季節が終われば、永遠の別れをしなければならない。
自分の日記を読み終えた澪の頬を伝って、静かに涙が流れた。梅雨が終わるまで、もう余り時間が無い、色々と急がなければ。
澪は、佑司に目玉焼きの作り方を厳しく手ほどきし、洗濯物の干し方、靴の磨き方を教える。そして庭にひまわりの種を佑司と共に植える。
これが咲く頃には、あたしはもういない。見事に咲いたら、9年前に巧と結婚の約束をしたあのひまわり畑のようになるだろう。あの時の初めてのキスが懐かしい。そう、あたしは記憶を失ったまま帰ってきて、もう一度巧と恋をし、彼を好きになったのだ。
澪は、町のケーキ店へ行き、佑司のバースデーケーキを買う。その時、店の主人に12年間分のバースデーケーキを予約し、佑司の名前を入れ毎年6月27日に届けてくれと頼む。-ええ、彼が18歳になるまで毎年ね-。
誕生祝のため、澪はたっぷりとご馳走を作り、バースデーケーキを飾る。訝る佑司に、早めにお祝いするのとだけ澪は言う。そして、彼女はその夜巧と結ばれる。
やがて梅雨の空ける気配が訪れる。澪は佑司を連れて廃工場の散歩へ出た。#5扉の前で彼女は佑司に優しく言う。
「さあ、これでお別れよ。“たっくん”を大事にして仲良くね」
「ママは、僕を生んだために死んだんでしょう、ごめんなさい」
「違うよ、ばかね。そんなことはない。佑司はみんなに望まれて生まれてきたの」
間もなく、駆けつけてくる巧に、澪は別れを告げる。
「幸せに出来なくて、すまなかった」
「しょうのない親子ね、同じようなことを言って。私はとても幸せでした。私の分も、どうか佑司を愛してあげてね」
#5のドアの前で、巧に手を握られながら澪の姿はやがて静かに消えていく。
映画では、その後、澪の日記を紹介するシーンが続くが、小説を読んでいない人はそれで始めて全体の流れが分かり、改めて強い感動を誘う造りになっている。
さて、論理的な人は、色々この小説と映画を厳しく批判する。例えば、
○巧と澪の両親が全然出てこない、家族の大切さと思いやりを主張するなら、孫の佑司を心配して、爺婆が生活場面で出てきても良いのでは?
○巧と澪の高校生時代の風貌と、大学生になってからの彼らの顔かたちが違いすぎる。
などがある。だが、私は構わないと思う。
主人公たち3人の思いやりに溢れた姿が描かれたら、もう十分と考えるからだ。時代背景や、混沌とした社会情勢も細かく反映しなくても良いと思う。この映画は、ファンタジーなのだ。アニメ「となりのトトロ」みたいなものと思えば、現実感を部分的に切り捨てるのは止むを得ない。
澪を演じる女優は、竹内結子(当時24歳)。品が良く、おとなしそうでありながら、芯の強い女性を表現していた。澪役になり切って、中々の演技と感じた。多分この人の当たり役だろう。ご当人も、澪のような性格なのだろうか。
この女優さん、NHKの朝ドラ「あすか」(1999)で主人公をやっていたのを覚えている。当時、彼女は19歳で、初々しさに溢れていた。京都の老舗菓子屋のひたむきな娘を演じ、大いなる好感を持った。この映画でも、あすかと似た部分がある。
相手の秋穂巧を演じるのは、中村獅童(当時32歳)。この俳優さん、「男たちの大和」で一本気な男を演じていたのを知っているが、本映画では、慎ましく温和そのものの人物を演じて好演であったと思う。この映画を機会に、彼は竹内結子さんと結婚し、一児を得るが、2006年10月、竹内さんと別居している。実生活では、映画のように上手く行かないようだ。
佑司を演じた小柄な武井証君(当時7歳)。「劇団東俳」所属。この子も役柄に良く溶け込んでいた。これから本格俳優になるのか、これで終わりにするのか分からないが、実の親子のように演じていたのは立派である。
ともあれ、この映画は荒んだ現代人の心を癒すにはとても良い映画だ。時間を置いて、繰り返し見ても飽きが来ない。それは、私が単純な人間なのかもしれないが、ある種の「魂の浄化」を感じるのだ。印象深く残るのは、小説のプロットが良いのに加え、出演俳優たちが熱演して、よく雰囲気を伝えているからであろう。
これは、市川拓司氏の同名ベストセラー(2003)を映画化したものである。私は、2004年に、学生U君からその小説を借りて読み、不思議な感動を覚えた。同年映画化され、DVDも発売された。TVドラマにもなったらしいが、私はそれを全く見ていない。父と幼い息子の愛情は、米国映画「クレイマー、クレイマー」(1979)でも巧みに描かれるが、それとはかなり異質で、はるかに温かみのある内容だ。
物語は、とある地方の湖に近い一軒家から始まる。29歳の父親、秋穂(あいお)巧と小学校1年生の佑司(6歳)が、そこで慎ましい日常を過ごしている。佑司は、父親を“たっくん”と呼んでいた。巧は、脳内分泌物異状と言う奇病のため、人ごみに出られず、電車などにも乗れない。でも、自転車で通勤することは出来る。彼は、痴呆ではないが通常人よりも行動が遅い。そんな状態で、行政書士事務所に勤めている。
巧の愛妻、澪(みお)は高校の同級生であった。1年前に、彼女は28歳で病死した。死ぬ前に、澪は巧と佑司へ「1年後の雨の季節に戻ってくるからね・・・」と言って別れを告げた。二人は意味が分からなかったが、時折それを話題にした。
梅雨に入った頃、巧と佑司は仲良く何時もの散歩をする。小さなトンネルを潜り、静かな林の奥にある廃工場まで歩くのだ。そして、工場の中に入った時、#5扉の前で小雨に濡れている澪と再会する。でも、澪は全ての記憶を失っていた・・・。
我が家に戻った澪は、巧と佑司の細やかな気遣いの中、戸惑いながらも3人の生活に慣れていく。散らかった家の中を片付けたり、ビデオテープに残されたかつての自分の姿を見、3人の団欒などを通じて小さな佑司への愛情が新たに湧いてくる。
巧は、自分と澪の出会いを彼女へゆっくりと語る。彼の片思いであったこと、ボールペンが機縁でデートをしたこと、手紙での交流をしたこと、陸上競技のやり過ぎで通常生活が出来なくなり、それが理由でつっけんどんに澪と別れたこと、でもある日突然、澪が会いたいと言って来て二人の心が戻り、幸せな結婚をしたことを教える。それを聞いた澪は、もう一度あなたを好きになるようにしたいわとつぶやく。
自分が佑司のために残した自作絵本を見て、澪はそこに描かれている自分の姿を不思議に思う。「アーカイブ星」から来て、また戻る?どういう意味だろう。
澪は次第に巧に心を開き、ベッドで寝ながら昔二人がそうやってゆったりした時を過ごしたことを知る。巧が教えてくれた言葉:「君の隣は、いこごちがよかった」。そして、こうしているのが「ベストポジション」と澪自身が言っていたらしい。
生前、佑司と彼女が隠したタイムカプセルが出てきた。その中に、沢山の巧からの手紙と自分の日記帳が入っていた。澪は一人になった時に、かつての自分の日記帳を紐解いてみた。そして、全てが理解出来た。
あたしは、大学に入っても、巧のことが忘れられなかった。小雨の中、巧を見かけて、それを追っているとき交通事故に出会い、頭を強く打って入院する羽目になった。その時、病床で不思議な夢を見た。夢の中では、これから先9年間の自分の生き様がTV画面のように流れた。巧と結婚して、6年で死ぬ運命にあるのも分かった。佑司という可愛い男の子に恵まれるが、彼を置いて死んでいく将来だ。
その時、夢から覚めて考えた。もし、これから巧に会わなければ、あたしには別の人生が待っているのだろう。多分片思いなんだろうけれども、あたしは巧がとても好きだ。そして生まれてくる佑司も好きだ。だから、私は巧のところへ行って、夢の語る通りにしよう。そう、あたしは心を決め、日記にこう書いた。
「いま、会いにゆきます」
ひまわり畑での巧との甘酸っぱい再会、そして、あたしは彼と結婚し、佑司を生んだ。短かったが、充実した幸せな生活。でも病を得て、巧と佑司を置いて死んだ。そして彼らとの約束を果たそうと、こうして雨の季節に戻って来た。次の予定では、梅雨の季節が終われば、永遠の別れをしなければならない。
自分の日記を読み終えた澪の頬を伝って、静かに涙が流れた。梅雨が終わるまで、もう余り時間が無い、色々と急がなければ。
澪は、佑司に目玉焼きの作り方を厳しく手ほどきし、洗濯物の干し方、靴の磨き方を教える。そして庭にひまわりの種を佑司と共に植える。
これが咲く頃には、あたしはもういない。見事に咲いたら、9年前に巧と結婚の約束をしたあのひまわり畑のようになるだろう。あの時の初めてのキスが懐かしい。そう、あたしは記憶を失ったまま帰ってきて、もう一度巧と恋をし、彼を好きになったのだ。
澪は、町のケーキ店へ行き、佑司のバースデーケーキを買う。その時、店の主人に12年間分のバースデーケーキを予約し、佑司の名前を入れ毎年6月27日に届けてくれと頼む。-ええ、彼が18歳になるまで毎年ね-。
誕生祝のため、澪はたっぷりとご馳走を作り、バースデーケーキを飾る。訝る佑司に、早めにお祝いするのとだけ澪は言う。そして、彼女はその夜巧と結ばれる。
やがて梅雨の空ける気配が訪れる。澪は佑司を連れて廃工場の散歩へ出た。#5扉の前で彼女は佑司に優しく言う。
「さあ、これでお別れよ。“たっくん”を大事にして仲良くね」
「ママは、僕を生んだために死んだんでしょう、ごめんなさい」
「違うよ、ばかね。そんなことはない。佑司はみんなに望まれて生まれてきたの」
間もなく、駆けつけてくる巧に、澪は別れを告げる。
「幸せに出来なくて、すまなかった」
「しょうのない親子ね、同じようなことを言って。私はとても幸せでした。私の分も、どうか佑司を愛してあげてね」
#5のドアの前で、巧に手を握られながら澪の姿はやがて静かに消えていく。
映画では、その後、澪の日記を紹介するシーンが続くが、小説を読んでいない人はそれで始めて全体の流れが分かり、改めて強い感動を誘う造りになっている。
さて、論理的な人は、色々この小説と映画を厳しく批判する。例えば、
○巧と澪の両親が全然出てこない、家族の大切さと思いやりを主張するなら、孫の佑司を心配して、爺婆が生活場面で出てきても良いのでは?
○巧と澪の高校生時代の風貌と、大学生になってからの彼らの顔かたちが違いすぎる。
などがある。だが、私は構わないと思う。
主人公たち3人の思いやりに溢れた姿が描かれたら、もう十分と考えるからだ。時代背景や、混沌とした社会情勢も細かく反映しなくても良いと思う。この映画は、ファンタジーなのだ。アニメ「となりのトトロ」みたいなものと思えば、現実感を部分的に切り捨てるのは止むを得ない。
澪を演じる女優は、竹内結子(当時24歳)。品が良く、おとなしそうでありながら、芯の強い女性を表現していた。澪役になり切って、中々の演技と感じた。多分この人の当たり役だろう。ご当人も、澪のような性格なのだろうか。
この女優さん、NHKの朝ドラ「あすか」(1999)で主人公をやっていたのを覚えている。当時、彼女は19歳で、初々しさに溢れていた。京都の老舗菓子屋のひたむきな娘を演じ、大いなる好感を持った。この映画でも、あすかと似た部分がある。
相手の秋穂巧を演じるのは、中村獅童(当時32歳)。この俳優さん、「男たちの大和」で一本気な男を演じていたのを知っているが、本映画では、慎ましく温和そのものの人物を演じて好演であったと思う。この映画を機会に、彼は竹内結子さんと結婚し、一児を得るが、2006年10月、竹内さんと別居している。実生活では、映画のように上手く行かないようだ。
佑司を演じた小柄な武井証君(当時7歳)。「劇団東俳」所属。この子も役柄に良く溶け込んでいた。これから本格俳優になるのか、これで終わりにするのか分からないが、実の親子のように演じていたのは立派である。
ともあれ、この映画は荒んだ現代人の心を癒すにはとても良い映画だ。時間を置いて、繰り返し見ても飽きが来ない。それは、私が単純な人間なのかもしれないが、ある種の「魂の浄化」を感じるのだ。印象深く残るのは、小説のプロットが良いのに加え、出演俳優たちが熱演して、よく雰囲気を伝えているからであろう。
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