7年半に亘る占領軍総司令部(GHQ)が残してくれた負の遺産は、今なお生き続けている。その一つが、軍隊不保持を宣言した「日本国憲法第9条第2項」である。<マッカーサーの呪い>の内で最大のものだ。
憲法第9条第1項は、武力あるいは実力による紛争解決を放棄している。これは、ブリアン(仏)ーケロッグ(米)による<パリ不戦条約>(1929=昭和4年)を反映し、国際紛争解決のため戦争を非としたものだ。他国家の憲法にも、多少の表現の違いはあるが、不戦条約の内容は採用されている。だが、国際連合憲章では、侵略戦争を禁じているものの、自衛戦争を認めている。我が国の政府見解も、この第1項は自衛戦争を否定するものではないと解釈している。
パリ不戦条約(戦争の放棄に関する条約)・・・・罰則規定なし
http://www7.ocn.ne.jp/~tomoni/jouyaku.htm
第9条第2項では、陸海空の軍隊(戦力)を不保持、また交戦権を否認している。芦田均憲法改正小委員会委員長(当時)は、草案段階のこの条文に、「前項の目的を達するため」と修正文を加えた。つまり、軍隊は持たないが、自衛戦争は別であるとの意味を持たせた。自衛隊は軍隊ではないが、自衛戦争に限定して実力行使を可能とする。これが、自衛隊は合憲的存在とする根拠である。
最近、田中直紀<コーヒー>防衛相は、衆議院予算委員会の席上、憲法第9条第2項で軍隊不保持を謳(うた)っているにも拘らず、自衛隊が合憲である理由を問われて答弁に窮した。「芦田修正」の意図を理解していなかったと見える。
防衛省のHPに「憲法と自衛権」の関係が詳述され、自衛権が国際的に認められる以上、必要最小限度の実力組織を維持することは憲法上認められるとしている。
http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html
田中防衛相は、就任して自分の所管する防衛省のHPを読んでいないのだろうか?
「芦田修正」とは別の見方から自衛隊合憲を述べる向きもあるようで、興味深い。
芦田修正が自衛隊合憲根拠なら
大阪大学大学院教授・坂元一哉
2012.2.9 03:08
自衛隊が合憲とされる根拠は何か。先週、国会でそう質問された田中直紀防衛大臣は答えに詰まった。質問者はいわゆる「芦田修正」に言及したが、大臣は「理解していない」とあっさり白旗をあげたのである。
せっかく「助け舟」を出してもらっているのだし、防衛大臣なら、そんな大事な質問には、きちんと答えてほしかった。昔だったら国会が止まりかねない失態ですよ、と言いたくなる人も多かったのではないか。私も大臣の答弁にはいたく失望した。ただ、「理解していない」のに「助け舟」に乗ったりしなかったのは、賢明だったかもしれない。
≪全く違う近年の政府見解≫
というのも、政府が自衛隊を合憲とする根拠は「芦田修正」ではないからである。少なくとも近年の説明はそうではない。たとえば、平成16年6月18日付の政府答弁書には次のようにある。
「憲法第9条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見えるが、政府としては、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第13条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条は、外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないと解している」
≪平和的生存権と幸福追求権≫
憲法は、自衛のため必要最小限度の範囲での実力(武力)行使を禁じていない。そのための組織である自衛隊は憲法に違反しない。その根拠はといえば、前文の「平和的生存権」と13条の「幸福追求権」だ、という答弁である。
いわゆる「芦田修正」は、憲法制定時に芦田均(後に首相)を委員長とする衆議院の憲法改正小委員会が、憲法9条の草案に対してなした修正である。9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を入れ、日本が陸海空軍その他の戦力を持たないのは、国際紛争解決の手段としての武力行使をしないという目的のためであることを明確にした。芦田は憲法制定後に修正についてそう説明している(芦田の説明に対して歴史家の中に疑問を呈する向きもあるが、それはここではおく)。
芦田の主張はこうだ。
憲法9条は第1項で国際紛争解決の手段としての武力行使を放棄している。そして2項で戦力の不保持をうたっているが、冒頭に「前項の目的を達するため」とあるから、不保持はあくまで、国際紛争解決のための武力行使を目的とする戦力の不保持であって、自衛のための戦力を持てないわけではない。であれば自衛のために戦力を保持する自衛隊は憲法違反ではない。
私は、政府が「芦田修正」と芦田の主張を自衛隊合憲の根拠にしていれば、戦後日本の安全保障政策は随分と違ったものになっただろうと思う。なぜなら、もし「芦田修正」と芦田の主張を根拠にしていれば、自衛隊には、自衛(個別的自衛)のための武力行使以外に、集団的自衛や国連の集団安全保障のための武力行使の道も開けただろうからである。どちらの武力行使、そしてそのための戦力保持も、9条1項に言う意味での、国際紛争解決を目的とするものではない。
≪政府解釈進めて他国民守れ≫
だが政府のこれまでの憲法解釈は、引用した政府答弁にもあるように、武力行使を「外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合」に限って「必要最小限度」の範囲で認めているに過ぎない。ここで言う「国民」はもちろん自国民のことで、他国民は含まれない。
政府の解釈は、自衛権すら否定しかねない戦後日本の特異な言論空間の中で、自衛隊創設を可能にした。そのことは高く評価すべきである。だが、自国民を守る武力行使はよいが他国民はだめ、という解釈は、国連にしろ日米同盟にしろ、安全保障を集団的な枠組みで維持する日本の現実とは平仄(ひょうそく)が合わないのもまた事実だろう。
これをどうすればよいか。私はいまさら政府が「芦田修正」と芦田の主張に戻るのは、難しいだろうと思う。
それより、政府の解釈を一歩進めるやり方で平仄を合わせてはどうだろうか。すなわち憲法前文が「平和的生存権」を日本国民だけでなく全世界の国民に認めていること。同じく前文が、自国のことのみに専念して他国を無視してはいけないと戒めていること(これは「幸福追求権」についてもあてはまるだろう)。さらには、日本が平和の維持などにつとめる国際社会において、「名誉ある地位」を占めたいとしていること。
それらのことを踏まえて、他国や他国民が不法な武力攻撃を受けた場合、わが国がその排除のために、必要最小限度の範囲で武力(実力)行使を行うことを憲法は禁じていない。そういう解釈にしてはどうかと思うのである。(さかもと かずや)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120209/plc12020903090005-n1.htm
坂本教授による論説の最後の部分は、何やら言葉の遊びのような印象が拭えない。いや、「芦田修正」を含めて、最早現憲法の解釈だけでは、自衛隊の活動を担保するのは難しくなっている。
占領下にGHQが押し付けた現在の憲法は、どう考えても自主憲法ではない。「GHQの占領規範」とでも言うべき内容と考える。
日本がサンフランシスコ講和条約を締結し、再独立して今年は60年を迎える。この間、冷戦、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、更には数々の内紛騒乱を私たちは見て来た。この60年間、世界の何処かでは戦争が起きていた。
時の流れと共に、ゴラン高原、カンボジア、イラクには陸自隊員が派遣され、インド洋やソマリア沖では海自艦船が活躍している。直近では、南スーダンへインフラ整備のため、陸自隊員200名が赴くことになった(PKO活動)。
国内にあっては、東日本大震災における自衛隊の献身的活動に日本人の多くが感動し、被災地の人々は深い感謝の言葉を述べた。阪神大震災以降、災害に際しては自衛隊の出動を要請する地方自治体も増えている。黙々と国民のため精力的に活躍する自衛隊員に対し、心から感謝したい。
現憲法の解釈で自衛隊の存在を認めるのではなく、憲法9条第2項を削除し、はっきりと国防軍の存在を明記することが肝要だ。その上で、「国防の基本方針」を定め、外敵侵入や大災害への対応を配慮した有事法制化を急ぐべきである。
憲法第9条第1項は、武力あるいは実力による紛争解決を放棄している。これは、ブリアン(仏)ーケロッグ(米)による<パリ不戦条約>(1929=昭和4年)を反映し、国際紛争解決のため戦争を非としたものだ。他国家の憲法にも、多少の表現の違いはあるが、不戦条約の内容は採用されている。だが、国際連合憲章では、侵略戦争を禁じているものの、自衛戦争を認めている。我が国の政府見解も、この第1項は自衛戦争を否定するものではないと解釈している。
パリ不戦条約(戦争の放棄に関する条約)・・・・罰則規定なし
http://www7.ocn.ne.jp/~tomoni/jouyaku.htm
第9条第2項では、陸海空の軍隊(戦力)を不保持、また交戦権を否認している。芦田均憲法改正小委員会委員長(当時)は、草案段階のこの条文に、「前項の目的を達するため」と修正文を加えた。つまり、軍隊は持たないが、自衛戦争は別であるとの意味を持たせた。自衛隊は軍隊ではないが、自衛戦争に限定して実力行使を可能とする。これが、自衛隊は合憲的存在とする根拠である。
最近、田中直紀<コーヒー>防衛相は、衆議院予算委員会の席上、憲法第9条第2項で軍隊不保持を謳(うた)っているにも拘らず、自衛隊が合憲である理由を問われて答弁に窮した。「芦田修正」の意図を理解していなかったと見える。
防衛省のHPに「憲法と自衛権」の関係が詳述され、自衛権が国際的に認められる以上、必要最小限度の実力組織を維持することは憲法上認められるとしている。
http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html
田中防衛相は、就任して自分の所管する防衛省のHPを読んでいないのだろうか?
「芦田修正」とは別の見方から自衛隊合憲を述べる向きもあるようで、興味深い。
芦田修正が自衛隊合憲根拠なら
大阪大学大学院教授・坂元一哉
2012.2.9 03:08
自衛隊が合憲とされる根拠は何か。先週、国会でそう質問された田中直紀防衛大臣は答えに詰まった。質問者はいわゆる「芦田修正」に言及したが、大臣は「理解していない」とあっさり白旗をあげたのである。
せっかく「助け舟」を出してもらっているのだし、防衛大臣なら、そんな大事な質問には、きちんと答えてほしかった。昔だったら国会が止まりかねない失態ですよ、と言いたくなる人も多かったのではないか。私も大臣の答弁にはいたく失望した。ただ、「理解していない」のに「助け舟」に乗ったりしなかったのは、賢明だったかもしれない。
≪全く違う近年の政府見解≫
というのも、政府が自衛隊を合憲とする根拠は「芦田修正」ではないからである。少なくとも近年の説明はそうではない。たとえば、平成16年6月18日付の政府答弁書には次のようにある。
「憲法第9条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見えるが、政府としては、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第13条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条は、外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないと解している」
≪平和的生存権と幸福追求権≫
憲法は、自衛のため必要最小限度の範囲での実力(武力)行使を禁じていない。そのための組織である自衛隊は憲法に違反しない。その根拠はといえば、前文の「平和的生存権」と13条の「幸福追求権」だ、という答弁である。
いわゆる「芦田修正」は、憲法制定時に芦田均(後に首相)を委員長とする衆議院の憲法改正小委員会が、憲法9条の草案に対してなした修正である。9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を入れ、日本が陸海空軍その他の戦力を持たないのは、国際紛争解決の手段としての武力行使をしないという目的のためであることを明確にした。芦田は憲法制定後に修正についてそう説明している(芦田の説明に対して歴史家の中に疑問を呈する向きもあるが、それはここではおく)。
芦田の主張はこうだ。
憲法9条は第1項で国際紛争解決の手段としての武力行使を放棄している。そして2項で戦力の不保持をうたっているが、冒頭に「前項の目的を達するため」とあるから、不保持はあくまで、国際紛争解決のための武力行使を目的とする戦力の不保持であって、自衛のための戦力を持てないわけではない。であれば自衛のために戦力を保持する自衛隊は憲法違反ではない。
私は、政府が「芦田修正」と芦田の主張を自衛隊合憲の根拠にしていれば、戦後日本の安全保障政策は随分と違ったものになっただろうと思う。なぜなら、もし「芦田修正」と芦田の主張を根拠にしていれば、自衛隊には、自衛(個別的自衛)のための武力行使以外に、集団的自衛や国連の集団安全保障のための武力行使の道も開けただろうからである。どちらの武力行使、そしてそのための戦力保持も、9条1項に言う意味での、国際紛争解決を目的とするものではない。
≪政府解釈進めて他国民守れ≫
だが政府のこれまでの憲法解釈は、引用した政府答弁にもあるように、武力行使を「外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合」に限って「必要最小限度」の範囲で認めているに過ぎない。ここで言う「国民」はもちろん自国民のことで、他国民は含まれない。
政府の解釈は、自衛権すら否定しかねない戦後日本の特異な言論空間の中で、自衛隊創設を可能にした。そのことは高く評価すべきである。だが、自国民を守る武力行使はよいが他国民はだめ、という解釈は、国連にしろ日米同盟にしろ、安全保障を集団的な枠組みで維持する日本の現実とは平仄(ひょうそく)が合わないのもまた事実だろう。
これをどうすればよいか。私はいまさら政府が「芦田修正」と芦田の主張に戻るのは、難しいだろうと思う。
それより、政府の解釈を一歩進めるやり方で平仄を合わせてはどうだろうか。すなわち憲法前文が「平和的生存権」を日本国民だけでなく全世界の国民に認めていること。同じく前文が、自国のことのみに専念して他国を無視してはいけないと戒めていること(これは「幸福追求権」についてもあてはまるだろう)。さらには、日本が平和の維持などにつとめる国際社会において、「名誉ある地位」を占めたいとしていること。
それらのことを踏まえて、他国や他国民が不法な武力攻撃を受けた場合、わが国がその排除のために、必要最小限度の範囲で武力(実力)行使を行うことを憲法は禁じていない。そういう解釈にしてはどうかと思うのである。(さかもと かずや)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120209/plc12020903090005-n1.htm
坂本教授による論説の最後の部分は、何やら言葉の遊びのような印象が拭えない。いや、「芦田修正」を含めて、最早現憲法の解釈だけでは、自衛隊の活動を担保するのは難しくなっている。
占領下にGHQが押し付けた現在の憲法は、どう考えても自主憲法ではない。「GHQの占領規範」とでも言うべき内容と考える。
日本がサンフランシスコ講和条約を締結し、再独立して今年は60年を迎える。この間、冷戦、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、更には数々の内紛騒乱を私たちは見て来た。この60年間、世界の何処かでは戦争が起きていた。
時の流れと共に、ゴラン高原、カンボジア、イラクには陸自隊員が派遣され、インド洋やソマリア沖では海自艦船が活躍している。直近では、南スーダンへインフラ整備のため、陸自隊員200名が赴くことになった(PKO活動)。
国内にあっては、東日本大震災における自衛隊の献身的活動に日本人の多くが感動し、被災地の人々は深い感謝の言葉を述べた。阪神大震災以降、災害に際しては自衛隊の出動を要請する地方自治体も増えている。黙々と国民のため精力的に活躍する自衛隊員に対し、心から感謝したい。
現憲法の解釈で自衛隊の存在を認めるのではなく、憲法9条第2項を削除し、はっきりと国防軍の存在を明記することが肝要だ。その上で、「国防の基本方針」を定め、外敵侵入や大災害への対応を配慮した有事法制化を急ぐべきである。
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