陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

靖國への戦犯合祀問題:対話

2006-08-18 22:12:46 | 靖國関連
 8月16日のエントリー「中韓に精神的鉄槌を下せ」と言う内容に、悠遊子様から長文のご意見をいただいた。主要な論点は、靖國戦犯合祀にある。それに対する私の返事も長くなるので、ここでやり取りを改めてエントリーにしておきたい。

 御覧戴いている方々からのコメントを期待する。以下に応答を記す。

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 まず始めに数々の妄言を陳謝します。なにぶんにも短い文でなるべく意のある所をお汲み取り戴きたいという思いで、刺激的な見出し的フレーズを使いました。この文もその心算でご覧下さい。(悠遊子)

>>私も極東軍事裁判に興味はあるのですが、半世紀の総括はこのブログでは無理です。(茶絽主)

>「戦争の半世紀の総括」は我々が個人的に議論しても、単なる”ぼやき”に終わって役に立ちません。公的な?諮問会議?でも開いて・・・と思います。

実際、「公的な諮問会議」をやるのは困難と思います。奇特な大金持がいて、日本近代史に詳しい学者、評論家、それに関心の深い一般の人(悠遊子様も加わる)を20人程集め、2年位かけて真剣に討論をしてもらい、その費用を大金持ちが全てもつ。左右の論客が入り混じり、外国人も必要に応じて参加する。その討論結果を取りまとめて出版する(安い価格で)。そんなことが出来ると良いのですが。

>東京裁判が勝者による勝者のための一方的な裁判であることは自明です。多くの方がA級戦犯として断罪された?人道に反する罪?がもしあるとすれば(あれは事後法でしたが・・・)まず、「原爆投下を命じた」T-大統領などが断罪されるべきであったしょう。

私も本当にそう思います。

>だからといって、平和条約とセットで受け入れた歴史を忘れて、

「平和条約とセットで受け入れた歴史」とは?
サンフランシスコ講和条約を締結し、極東裁判の判決結果を受け入れた内容(講和条約11条、関係国の同意無しに、戦争受刑者を釈放してはならない)でしょうか。
昭和27年の講和条約発効後、日本では官民を挙げて米国など関係各国へ全戦犯の赦免・釈放を要請しました。同時に国会では、昭和27年と28年に2回に亘り戦犯赦免要求を圧倒的多数で決議しました。4000万人の釈放要請署名が集まりました。
それらの結果、昭和31年にはA級戦犯が、昭和33年には全てのB・C級戦犯が関係各国の同意を得て釈放されました。刑務終了・釈放後は、戦犯は存在しません。本来、講和条約発効後は、直ちに戦犯は釈放されるのが国際慣習法上の通例です。この意味でも、米国がゴリ押しした条約11条には問題があったのです。

>「A級戦犯を合祀して何が悪い」「参拝して何が悪い」というのは一方的な開き直りです。「心の問題」という主張と「侵略戦争の正当化」という批判は全然かみ合っていない。要はどちらのアピールがより国際世論を引き付けるか?それが外交です。

それはどうでしょうね。国際的にも、各級戦犯の罪は完了とされています。「侵略戦争の正当化」は、誰も言っていないと思いますが。対米戦はABD包囲網から発した自衛戦争で、マッカーサーもそのようにコメントしています。

>我々が裁くとすれば、戦争を何処までやってどう終結に導くかという見通しもなしに無謀な戦争に突入させた責任、政府の方針に反して戦線を拡大した関東軍の責任、戦艦大和を帰りの燃料もなしに玉砕攻撃に突入させた瀬金、兵器・食料など糧秣の補給もなしにインパール作戦やガダルカナル作戦などに投入した参謀の責任などなど、枚挙の暇がありません。

(1)「戦争を何処までやってどう終結に導くかという見通しもなしに無謀な戦争に突入させた責任」は、東條内閣と大本営。
(2)「政府の方針に反して戦線を拡大した関東軍の責任」は、蘆溝橋事件を適切に処理出来なかった時の内閣と参謀本部。
(3)「戦艦大和を帰りの燃料もなしに玉砕攻撃に突入させた責任」は、海軍軍令部と連合艦隊司令部(日吉)。
(4)「兵器・食料など糧秣の補給もなしにインパール作戦やガダルカナル作戦などに投入した参謀の責任」は参謀本部。
それで、当時これらに関与した人達を今から特定して行くのですか。大変な作業になりますね。辻政信始め故人になられた方も多いと思います。

>こういう風に数百万の戦闘員・一般市民に犠性をしいた戦争指導者の責任を問うことを放置して「一億総懺悔」などと責任の軽重を有耶無耶にするやり方、これが現在でも横行する無責任体制の原因であるとはお考えになりませんか?

「一億総懺悔」への御批判は、同意いたします。「戦争責任者の責任を問うことを放置」したことが、「現在も横行する無責任体制」の原因とは思いません。両方共、多くの日本人が曖昧にしたがる性癖から来ていると考えます。

>東條元首相が陸相時代に出した”戦陣訓”も許せない。無用の死を強制したし(自分は自殺し損ねて虜囚の辱めを受けたのもお笑い・・・)さらに敵方の捕虜侮蔑・虐待の風潮を招き、多くの部下がBC級戦犯として断罪される不合理を招いた。

戦陣訓は、東條大将が批判される大きな問題点です。当時、石原莞爾中将は、徹底的にこれを批判しましたが、どうにもならなかった。戦犯を生み出した一つの原因でしょうね。

>ドイツやイタリヤはファシズムの責任を上手く(ずるく?)回避した。我々の場合、蒋介石氏も胡陽報(?)氏も?責任は戦争指導者にあり、日本国民にはない」と上手いヒントをくれた。それを利用しない手は無いのでは・・・?

蒋介石はそう言ったかも知れませんが、世代の異なる胡耀邦がそんなコメントをしていますか?

>?一億総懺悔?などと国民全体に責任を押し付ける必要は無い。TV-討論で、やんちゃのK-議員は「東京裁判を受け入れることは日本人全体を戦争犯罪者と決め付けるようなものだ」と愚論を得々と述べていた。彼は時に鋭いことを言う人だと評価していましたが、この発言にはがっかりしました。

繰り返しますが、「一億艘懺悔」の観念は、私も受け入れられません。そのテレビ番組を見ていませんので、ノーコメント。

>こういう意味で、犠牲になった戦没者を祭る靖国神社に加害者を合祀するべきでなかったし、首相参拝も総括が決着するまで凍結すべきでは・・・?外交問題で独り善がりは禁物。

それは、意見の分れる所です。刑死された人達は、悠遊子様の言われる御批判を含めて、刑場へ赴いた。その人達をもう一度裁きの場に連れ出すのですか。
私は独り善がりとは思いませんし、前述したように極東裁判による刑死は戦死に準ずるとの考え方があります。サンフランシスコ講和条約締結迄は、戦争状態継続との立場を取ると、判決を受けて刑死した場合は戦死扱いで良いと思いますが如何。

>>中国共産党も・・・言論の自由の無い独裁体制には変わりがありません。(茶絽主)

>このご意見、全く同意します。ただ、そういう国だということを踏まえて対処すべきです。怪しからん非民主国だからと切って捨てるだけで良いというものではない。

非民主主義国だからとは申しておりません。私の文章を良く御覧下さい。一党独裁国家には、厳しい目を向けたいと思います。

>>ブッシュ政権(共和党)と前のクリントン政権(民主党)では・・・日本は、米国のお先棒を担いでいるのでは無く、やむを得ずして引きずられているように感じます。・・・米国の核の傘内にいる以上は、安保同盟国としてある程度仕方ないと思います。(茶絽主)

>このご意見にも(一部)同意します。ただ、米国にとって日米安保は「あくまでもアメリカ自身の防衛・利益のためにあるので、仮に金正日がミサイルを東京に向けて発射させたとしても在日米軍に大きい被害が出たのでなければ、直ちに応射してくれるとは限らない。大金を出してMDシステムを開発・導入してもハワイあたりに落ちるミサイルは半分くらいは太平洋上で阻止できるかもしれないが、東京に向けて発射されると埼玉の上空あたりで撃墜するのが関の山・・・?

その通りと思います。

>いずれにしても戦争が起これば、ましてや核戦争(核テロ)であれば、甚大な被害が発生す売ることを覚悟しておくべきです。

これも同意です。同じ日本人でも、「非武装宣言」をすれば、ミサイル落下もテロ襲撃も無いと考える人達はいるようですが。これは、<駝鳥の平和>とでも言うのでしょうか。

>今言われている緊密な日米同盟関係は、BK-コンビが続く限りということではないでしょうか?Kは間もなく去り、Bも2008年には去る。その後は?雲消・霧散するのでは」となることを恐れ(喜び?)ます。

ブッシュ(息子)大統領は、かなりの知日家です。それは、J.トーマス・シーファー現駐日大使派遣にも現れていて、全体的に只今の日米関係は上手く行っていると思います。但し、牛肉問題がありますけれども。
全体的な傾向として、日本の国益に都合の良い外交となるのは共和党政権の時と思います。セオドア・ルーズベルト、ドワイト・アイゼンハワー、ロナルド・レーガン政権などですね。ブッシュ(息子)政権の後、ギングリッチ氏なのか、ライス女史が大統領候補になるのか共和党内でも揉めるでしょう。
もし、ヒラリー・ロダム・クリントン女史が民主党政権を形成する場合は、相当に要注意と考えます。旦那のボブ・クリントン氏が大統領の時は、日本は政治的にも経済的にもかなり苦労をしました。彼は、徹底した親中派ですから。私は、共和党政権が継続する事を期待します。

>>>それにしても茶絽主さん、”気に食わない奴はぶっ殺せ!”式の威勢のいい発言は困ります。(悠遊子)

そうは述べていない事を改めて申し上げます。

>このコメントは筆が走り過ぎました。撤回します。日本人が<日本教>式で中国人は<3千年来執拗な復讐主義である>ということにも同意します。そのことをしっかり腹に据えてお付き合いする必要がるでしょう。しかし、一括りに「日本人は、シナ人は」というのは如何なものでしょうか?

何割の日本人がこう考えていて、何割の日本人は別の考え方をする。
また、何割のシナ人はあのように考え、何割のシナ人はそのように思っている。
そんな風にもっと詳しく書く方が適切だろうと思いますが、それで議論が成り立ちましょうか?
悠遊子様の表現にも、一括りされている部分があると思いますけれども。

>>中共は、チベット・ウィグル問題・・・など、国内でも他国から厳しく指摘されている重要課題が多過ぎる。対日本問題では・・・必要に応じて、はっきりと物を言わなければならないと考えます。・・・。悠遊子様は、中共の勝手な振る舞いに、どのように感じられますか。(茶絽主)

>お説一々ご尤もです。
しかし、だから「日本の国内問題である靖国問題に口出し」するなと誤解されかねないご発言は如何なものでしょうか?「靖国問題=国内問題」は日本国内でも一部(過半数?)の方々だけにしか通用しないロジックです。他ならぬ(総裁選に勝ちたい)小泉首相自身が国際問題にしてしまいました。

靖國問題は、国内でなお議論がある所です。もっと我々が話を煮詰めるべきでしょう。ですが、国内問題である事に変わりはありません。外国は、日本の良心を信じて、黙って見ていて欲しいと希望します。少なくとも、外国政府が外交問題にする内容ではありません。
本当に、小泉さんが国際問題にしたのでしょうか?日本のマスコミが煽っていた事を忘れてはならないと思います。事実、1985年迄は、靖國は何ら問題になっていませんでした。
日本神道の考え方、歴史、日本人の捉え方などをもっと幅広く英語や他の外国語で紹介して欲しい。これは、外務省、それにマスコミの役目であろうとも考えます。

>また、日本の国益に関わる諸懸案については?必要に応じて?ではなく、その都度、はっきりものをいわねばなりません。仄聞するところによると?ガス田開発」など、30年も前に日本の企業が通産省に試掘の許可を申請したところ、国際紛争の種になるからと却下されたそうです。肝心なときに見過ごして相手が横車を押し通す力を付け、エネルギー確保の緊要度も高まった今になって、おずおずと「あの時パスしてあげたから共同調査をやろう」と申し出ても相手にしてくれる筈が無い。しかもその事情を議会で公開して詫びたという話しも聴きません。とお思いになりません?

その事は、私の申した「必要に応じて」の中に当然含まれます。事の大小に応じて、目を瞑る事や無視する事があって良い。場合によっては、取引きにも使うべきと思います。尖閣問題については、平松茂雄教授からも指摘されていた訳で、その当時の外務省の判断が間違っていたのだと思います。私は外務省と何ら関係の無い人間、外交に意見は持っていても責任者ではありません。外務省への御不満をここで申されても、返事の仕様が無いのです。

>ODAにしてもきっぱりお断りすればよい。アフリカにおけるODA援助を見ても高機能の医療機器を持ち込んで梱包も解かれずに放置されていることが多いと聞く。相手国の希望する援助よりもこちらの業者・あちらの欲しい金のばら撒きが優先するのでは・・・?ひょっとすると対中国援助もその類ではと思ってしまいます。

安定な電力供給の無い所に、高性能機材を持ち込んでも意味を為しません。これも外務省へお申し越し下さい。

>在外公館も、言葉も碌に喋れない議員連中の物見遊山旅行のガイドをやったり、相手方交換との握手会をアレンジしたり、地下に室内プールを作ったり、高級ワインをワインセラーに溜め込んだり、カラオケに通ったりしている金と暇があるなら日本文化や歴史・靖国神社の国家的意義を広報するとかしたらどうでしょう。自ずと?反日宣伝?を牽制することが出来るのでは・・・?

その通りです。ただ、何度も申し上げますが、御不満を私に言われても困ります。外務省HPにご意見を書く欄がありますから、そこへ御高見を記されては如何。

>>「大政翼賛会」との関係は、良く分りません。(茶絽主)

>ここは(軍部に操られた)?大政翼賛会?というべきでした。軍部は「軍部大臣現役制度」をごり押しで通したり、翼賛会は?治安維持法?を無抵抗で通したことをご存知ですか?

昭和11年(1936)、2・26事件の後、軍部(特に寺内寿一陸相)がゴリ押しをして、廣田弘毅首相へ軍部大臣現役武官制を認めさせてしまいましたね。大正2年(1913)に、折角、山本権兵衛内閣が苦労して現役以外の軍関係者を軍部大臣にするように制度を変えたのに。このため、廣田後継の宇垣一成大将による組閣は、軍部大臣現役武官制に阻まれて、流産しました。軍閥の政治への容喙は、この現役武官制復活が大きな要因であり、これは受け入れた廣田首相に責任があると感じます。
「治安維持法」は、大正14年(1925)の公布、近衛文麿主導の<大政翼賛会>は、昭和15年(1940)に設立されました。これ以降は、議会政治では無くなり、翌年、「国家総動員法」が殆ど議論も無いまま大幅に改正されて、国民生活を圧迫して行く事になります。

>>「安手の愛国ドラマ」の意味が良く分りません。「平成ファシズム」は、初めて聞いた言葉ですが、そうしたものがあるのでしょうか。(茶絽主)

>少し、喋り過ぎましたので疲れました。説明は後日に譲らせて下さい。
ただ、?平成ファシズム?は私の造語です。初めてお聞きになる筈です。他に使われた方も居るかも知れませんが?著作権侵害でないことを期待しております。

分りました。

>>私は言論の自由が確保されつつ、国力に見合った国防軍を持ち、毅然とした姿勢で外交をする国家になって欲しいと願っています。(茶絽主)

>「国力に見合った国防軍」というのは響きは良いが難しい概念です。明治政府の指導原理であった「富国強兵」の方がずっと分かりやすい。外交交渉は常に次善、三善の策を用意し何処まで妥協するか、どれ以上妥協しないか、しっかり腹に据えて当たるべきです。やたらに突っ張るのは無用です。

「国力に見合った国防軍」よりも「富国強兵」の方が分りやすいと言われる理由が私には全く理解不能。憲法改正後の事ですが、通常国防費は、国家予算の10-12%以内;GDPでは2%以内にした方が良いと思います。国力に見合った国防軍とはそう言う意味です。
明治時代は、平時でも軍事費が平均20%位を占めていたのでは?軍艦を造るのに、明治天皇が内帑費を支出され、公務員全員は給与の10%を拠出した時期もありました。それは、将に異常です。また、「富国強兵」概念が只今の日本国内で通用するとは思えません。
外交には、ある時は突っ張りも重要。最近の安保理決議で、日本は珍しく大分頑張りました。

>チェンバレンはヒトラーに妥協しすぎてヨーロッパを大戦に巻き込みました。ローマ法王ピオ12世(?)はヒットラーのホロコーストを見て見ぬ振りをし、あの時干渉すればもっと多数のヨーロッパ在住ユダヤ人を死に追いやったろうと言い訳にならぬ言い訳をする破目になりました。

何か、私はそれについて申しましたでしょうか。国策を過った内外為政者は他にも沢山おります。

>私が恐れているのは「現代資本主義・市場経済至上主義」はしばしば大戦争をして滞貨を一掃しないことには経済が上手く回転しない仕組みになっているのでは?」ということです。これは使わない・使えない近代兵器を作り続けることも含む。しかし、他にオプションはありませんが・・・

それは、悠遊子様の推測ですね。只今の日本は、戦争をしなくても経済は上手く動いております。ドイツもそうなのではありませんか。ただ、ドイツは武器輸出をしていますけれども。米国の軍産共同体は、アイゼンハワーが警告したように、定期的に戦争をしなければならない体質になっているようですが。

>人間性を無視した共産主義経済が長続きしないことはすでに証明済み・・・ソ連はよく70年も持ったものです。共産中国の歪んだ市場経済主義も何時まで続くやら・・・

私は、共産主義国家が無くなることを期待いたしております。多くの場合、地政学的には共産主義は大陸性国家で花が咲くようです。キューバのような例外はありますけれども。ソ連が自壊したように、武力を使わずに共産主義国家が消滅する事を願うものです。キューバも、独裁者がいなくなると自然に変わるのでしょう。

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 最後に、悠遊子様の御健康をお祈りする。
 また、意見交換出来ます事を楽しみに。


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靖国参拝問題対話(Part 1) (悠遊子)
2006-08-23 00:40:28
06.8.22 靖国参拝問題対話(Part 1)



茶絽主殿



8月16日付「中韓に精神的鉄槌を下せ」という評論のストレートな論調を拝見して、ふと、もう少し斜めから見る視点があるのではと思い、つい長広舌を振るって仕舞い、茶絽主さんのご機嫌を損ねたようです。

もう一つお断りしたいことは、私は“木を見て森を見ない”類の議論を好みません。強く残っている印象を独断と偏見に基づいて論評します。そんな次第で、多分、ディテールに誤りがあるでしょうが、流れは正確に掴んでいる心算です。手前味噌の言い訳ですが、お許し下さい。



>奇特な大金持がいて、日本近代史に詳しい学者、評論家、それに関心の深い一般の人(悠遊子様も加わる)を20人程集め、2年位かけて真剣に討論をしてもらい、その費用を大金持ちが全てもつ。左右の論客が入り混じり、外国人も必要に応じて参加する。その討論結果を取りまとめて出版する(安い価格で)。そんなことが出来ると良いのですが。



結構なご提案を戴きました。私は“からかわれたなー”と感じております。

この種の“会議”はやはり国会レベルでオーソライズされる必要があります。奇特な金持の道楽仕事なら、多数の既刊出版物・文書類を束ねるだけでよい。



ところで、茶絽主さんに確認したいこと3点:

(1)“日本国民自身で、戦争の半世紀を総括する”必要無しとお考えですか?

(2)首相の靖国参拝は、小泉流理論で小泉方式が良いとお考えですか?

(3)小泉サポーターは、対中国外交関係は(干渉を撥ねのけた点で)今が最良・最高の状態だといっています。茶絽主さんも同意見ですか?



>「平和条約とセットで受け入れた歴史」とは:サンフランシスコ講和条約を締結し、極東裁判の判決結果を受け入れた内容(講和条約11条、関係国の同意無しに、戦争受刑者を釈放してはならない)でしょうか。

>昭和27年の講和条約発効後、日本では官民を挙げて米国など関係各国へ全戦犯の赦免・釈放を要請しました。同時に国会では、昭和27年と28年に2回に亘り戦犯赦免要求を圧倒的多数で決議しました。4000万人の釈放要請署名が集まりました。

>それらの結果、昭和31年にはA級戦犯が、昭和33年には全てのB・C級戦犯が関係各国の同意を得て釈放されました。刑務終了・釈放後は、戦犯は存在しません。本来、講和条約発効後は、直ちに戦犯は釈放されるのが国際慣習法上の通例です。この意味でも、米国がゴリ押しした条約11条には問題があったのです。



平和条約・東京裁判の結論の範囲内で処理をすることは一向に差し支えないでしょう。私の言う「セット」とは、個々の条文解釈、請願とその採択結果などの解釈もさることながら、東京裁判の結論の受入、平和条約の調印・実施、占領終結など「一連の戦後史の流れのなかで、(耐え難たきを耐え、忍び難たきを忍んで) 我々の戦後が始まった」と言うことです。

「刑期を終えた」「処刑された」といっても(戦争を開始したという)事実・責任が消えるわけではない。我々は“集団の行為になると責任の所在を有耶無耶にする”傾向がありますが、戦犯を赦免・釈放したのは、恩給受給権とか選挙権・被選挙権を回復する、要するに、市民権を回復すると言うことで、「事実・責任が無かった」と認定したのではない。これは国際的にも同じです。トルーマンは訴追こそされませんでしたが、「原爆投下を命令した大統領」という事実は永久に残ります。



>それはどうでしょうね。国際的にも、各級戦犯の罪は完了とされています。「侵略戦争の正当化」は、誰も言っていないと思いますが。対米戦はABD包囲網から発した自衛戦争で、マッカーサーもそのようにコメントしています。



「心の問題」と言ったのは小泉首相、それに対して「侵略戦争の正当化」と言うのは中国側です。レフェリーは「国際世論」です。

マッカーサーのコメントは、ABCD包囲網が所期の目的を達して日本を(挑発して)戦争に誘い込み、そして日本を打倒した将軍の、いわば勝者のお愛想・お慰め言葉です。それを真に受けるのは、「お人よしもいいところ」と思います。そう思ったところで状況は何も変わりませんが、将来の教訓にはなるでしょう。

まず、なぜABCD包囲網が敷かれたか、それを考えるべきでしょう!

対米戦争は、当時のルーズベルト大統領がモンロー主義を盾に大陸外の事件に巻き込まれることを好まなかった米国民を対ナチ戦争に決起させるため「真珠湾のサプライズ・アタックを日本に仕掛けさせた」ことによる。結局、大統領の期待通り、米国大衆はこのアタックに憤激し、(3国同盟を口実に)対日独伊宣戦を布告する目的が達成された」と私は理解しています。何しろドイツ・イタリアを祖国とする市民は大勢いますから、一筋縄では動きません。危機に直面した米国民の団結力と過剰とも思える反応の過激さは戦後60年の今も変わりません。

つまり日本軍部は、アメリカの気概・実力に無知であった、あるいは、正しく評価しなかった。ご存知でしょうが、孫子に「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」とあります。日本軍部は、偏狭な国粋主義に陥って敵を知ることを拒否するなど、まさに孫子の逆を行ったわけです。



>(1)「戦争を何処までやってどう終結に導くかという見通しもなしに無謀な戦争に突入させた責任」は、東條内閣と大本営。

>(2)「政府の方針に反して戦線を拡大した関東軍の責任」は、蘆溝橋事件を適切に処理出来なかった時の内閣と参謀本部。

>(3)「戦艦大和を帰りの燃料もなしに玉砕攻撃に突入させた責任」は、海軍軍令部と連合艦隊司令部(日吉)。

>(4)「兵器・食料など糧秣の補給もなしにインパール作戦やガダルカナル作戦などに投入した参謀の責任」は参謀本部。

>それで、当時これらに関与した人達を今から特定して行くのですか。大変な作業になりますね。辻政信始め故人になられた方も多いと思います。



個別的に責任者をあげつらうのは、それはそれで面白いでしょうが、私は興味がありません。むしろ、私は、日露戦争後の日韓併合、欧米列強と並んで中国大陸への浸出、満州事変から支那事変があり、そしてついに大東亜戦争へと辿ったとき、政府・軍部・(無いも同然の)議会を動かし、さらに国民をも巻き込んで大戦争へ雪崩れ込ませた狂気の奔流が、何時、何を切掛けに発生し、暴発して破綻に至ったか?何故途中で潮時を見て止められなかったのか?を知りたい。

日露戦争では辛うじて出来た。小村寿太郎外相はご苦労様でしたが!それに引き換え、松岡洋祐外相は、独断で「国際連盟」を脱退して日本を国際的に孤立させ、大島駐独大使も関わって「日独伊3国同盟」を締結してファッシスト同盟と結託し、挙句の果てに「日ソ中立条約」を締結して得意満面で帰国して、民衆の喝采を受けた最低の戦争責任者です。何故、彼らが「昭和殉難者」として合祀されたのか!昭和天皇が不快感を示されたとしても私は理解できる。

 戦艦大和やインパール作戦、ガダルカナル作戦の参謀が誰か、指揮官は誰かなどの情報は、戦史研究家には重要ですが、私は興味が無い。むしろ、このような狂気の作戦が最高の軍事専門家群(大本営、参謀本部・軍令部など)の中から何の抵抗もなく次から次へと出て来たのは何故か?私はこれを問題にしたい。



コメントが制限字数を超えました。続編は第2報で送ります。お許し下さい。



悠遊子



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靖国参拝問題対話2 (悠遊子)
2006-08-23 16:11:20
06.8.22 靖国参拝問題対話(Part 2)



茶絽主殿



Part 1 の終わりに、満州事変から大東亜戦争勃発・敗戦に至る過程でいわゆるA級戦犯といわれた人たちがどう関わってきたを議論しました。この Part 2では、中共政権が「日本の戦争指導層と一般国民とをどう区別したか」の問題から始めます。



なお、今まで「太平洋戦争」と「大東亜戦争」を必ずしも明確に定義しないで、恣意的に使用しました。そのために混乱が生じた恐れがあります。ここで(私の)定義を付け加えます。

大東亜戦争:1940年12月8日、「真珠湾攻撃」によって始まり、1945年8月15日、「天皇陛下の終戦の詔勅」によって終結したいわゆる「日米戦争」をいいます。

太平洋戦争:1931年(9月18日)に柳条溝事件で始まった「満州事変」、「支那事変」から「大東亜戦争」終結にいたる対米・英・中国・オランダ戦争。なお「満州事変」、「支那事変」は宣戦布告も終戦宣言もなかった戦争です。

もっと大きい言葉として「第二次世界大戦」がありますが、これは上記の太平洋戦争にヨーロッパ・アフリカ地域の戦争を含めた戦争を意味します。ただし、この文には出てきません。



茶絽主殿のコメントは、前報同様、>で始めます。



>蒋介石はそう言ったかも知れませんが、世代の異なる胡耀邦がそんなコメントをしていますか?



蒋介石総統の趣旨は中共首脳のそれとは異なる。彼らは、世代に依らず、人民大衆の反共意識を逸らして党の求心力を維持するために日本をやり玉に挙げてきた。一方、経済・産業面では日本からの援助・協力が不可欠。そうなれば、必然的に善玉日本と悪玉日本を使い分けてみせる必要がある。どちらにウエイトを置くかは、その時々のご都合次第。総裁選での集票目的の約束ごと「靖国参拝」を“公約”を守ると称して実行し、中国側に「侵略戦争を正当化した」という外交上の切り札にさせてしまったのは愚の骨頂!茶絽主さんは、それを中国の干渉を退けた小泉首相の快挙といいたいですか?



>それは、意見の分れる所です。刑死された人達は、悠遊子様の言われる御批判を含めて、刑場へ赴いた。その人達をもう一度裁きの場に連れ出すのですか。

私は独り善がりとは思いませんし、前述したように極東裁判による刑死は戦死に準ずるとの考え方があります。サンフランシスコ講和条約締結迄は、戦争状態継続との立場を取ると、判決を受けて刑死した場合は戦死扱いで良いと思いますが如何。



 東京裁判は我々の側から見た戦争責任を問うた裁判ではありません。私の言った意味の“批判”は含まっていません。戦争指導者が無謀な戦争で国民に犠牲を強いる行為は、我々にとって罪でも、戦勝者には何の罪にもなりません。捕虜や現地人を虐待したとき始めて罪となります。従って、“刑死”を合祀に値する“戦死扱い”と直ちに判断するのは適当ではありません。条文の技術的解釈をこね回して判断するのには賛成しかねます。

靖国神社は、もともと「天皇のために戦死した軍人を天皇が慰霊する場」として創設されました。そこへ、文官も含めた戦争責任者を恣意的に“昭和殉難者”として国難に殉じた英霊と合祀するということはあり得ない。(この原則の可否は今問いませんが)恣意的に解釈を変えずに、あくまでも原則を守るべきでした。リストを作った厚生官僚、受入れた宮司たちは、皇国史観を持つ旧軍人グループであったと聞きます。また、彼らは合祀によって大東亜戦争を「正義の自衛戦争」として正当化しようとする明確な意図を持っていたとも聞く。



さて、太平洋戦争は数百万を超える日本国民を惨害に陥し入れ、数百万の兵士を戦病死させた。それに倍する現地住民たちにも大きい被害を与えた。昭和天皇は、戦後、GHQにマッカーサーを訪ねて、戦争の全責任は私にあると述べられたと聞く。そのとき陛下はどんなご心境で居られたか知る由も無いが、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示されたとしても故の無いことではあるまい。



>ブッシュ(息子)大統領は、かなりの知日家です。それは、J.トーマス・シーファー現駐日大使派遣にも現れていて、全体的に只今の日米関係は上手く行っていると思います。但し、牛肉問題がありますけれども。

>全体的な傾向として、日本の国益に都合の良い外交となるのは共和党政権の時と思います。セオドア・ルーズベルト、ドワイト・アイゼンハワー、ロナルド・レーガン政権などですね。ブッシュ(息子)政権の後、ギングリッチ氏なのか、ライス女史が大統領候補になるのか共和党内でも揉めるでしょう。

>もし、ヒラリー・ロダム・クリントン女史が民主党政権を形成する場合は、相当に要注意と考えます。旦那のボブ・クリントン氏が大統領の時は、日本は政治的にも経済的にもかなり苦労をしました。彼は、徹底した親中派ですから。私は、共和党政権が継続する事を期待します。



知日家であるとか、無いとかで、他国の政治家を評価するのを躊躇します。日本との接触を通じて利益が得られれば、誰でも知日家になるでしょう。極論すれば、キムジョンイルだって一種の知日家です。お友達になりたいですか?やはり、まず、人間としての品格を問わなければ!これは政党についても同じでしょう?

ブッシュ政権の間に(BK-コンビのお陰で)貿易・金融・司法、その他、ありとあらゆる分野で「規制緩和年次計画表?」なるものを突きつけられて、言われるままに日本を開放してきた。例えば、牛肉輸入、何故「売り手のアメリカ」がお客である「買い手の日本」にあれほど居丈高に振舞うのか?これが「アメリカ流貿易自由化」なのでしょうと考えれば理解できる。

しかし、不思議なことに、このところ、民主党政権の始めた戦争・紛争を共和党政権が収めるという巡り合せが続きます。パパ・ブッシュの湾岸戦争は例外ですが!今のイラク内戦、イスラエル・パレスチナ紛争も誰がどう収めるのか注目です。



>靖國問題は、国内でなお議論がある所です。もっと我々が話を煮詰めるべきでしょう。ですが、国内問題である事に変わりはありません。外国は、日本の良心を信じて、黙って見ていて欲しいと希望します。少なくとも、外国政府が外交問題にする内容ではありません。

>本当に、小泉さんが国際問題にしたのでしょうか?日本のマスコミが煽っていた事を忘れてはならないと思います。事実、1985年迄は、靖國は何ら問題になっていませんでした。

>日本神道の考え方、歴史、日本人の捉え方などをもっと幅広く英語や他の外国語で紹介して欲しい。これは、外務省、それにマスコミの役目であろうとも考えます。



やはり、小泉首相も靖国参拝を国際問題化した一人だと思います。

最初に政治問題化したのは、三木武夫さん。

一番の責任者は、(秘かに)合祀を進めた厚生省・神社関係者。

中曽根さんの8・15公式参拝は、中国の介入を招き、初めて国際問題化した。

中曽根さんは、その後、自粛して問題を沈静化した(とご自身はいっている)。

小泉さんは公式参拝再開によって再び国際問題化し、最後に「尻拭い」を阿部さんに任せることにした。従って,今後の阿部さんの対応が問題です。中韓両国もそれを見守っている。これが私の現段階での認識です。

私が少し驚くのは、小泉首相が日本の立場を鮮明にして外国の介入を阻止した点で、現状が一番良いと礼賛するサポーターが大勢いることです。茶絽主さんもそのお一人?

 国際政治の舞台では、どの国も国益(政権保持者の私益?)を巡ってぎりぎりの鎬を削っています。そこへ「日本の良心を信じて・・・」というのは「大甘ちゃんもいいところ」ではありませんか?何故、信じられるのか、相手に通じる言葉で説明し、態度で示さないと・・・ 小泉首相は「言うこと」と「すること」の乖離が大き過ぎる。

日本文化を様々な形で国内外に広報することは大賛成です。筋の通った国際交流を強力に推進したいものです。



コメントが再び制限字数を超えました。続編は第3報で送ります。お許し下さい。



悠遊子

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靖国参拝問題対話3 (悠遊子)
2006-08-23 23:24:55
06.8.22 靖国参拝問題対話 (Part 3)



茶絽主殿



Part 2 の最後では、首相参拝が政治問題・国際問題化した過程を概観しました。

ここでは、隣国との紛争にどう対応すればよいかの問題から始めます。

例によって、「>茶絽主さんの発言」とそれにたいする「私のコメント」の順に進めます。



>その事は、私の申した「必要に応じて」の中に当然含まれます。事の大小に応じて、目を瞑る事や無視する事があって良い。場合によっては、取引きにも使うべきと思います。尖閣問題については、平松茂雄教授からも指摘されていた訳で、その当時の外務省の判断が間違っていたのだと思います。



話しが逸れますが、近頃の北方領土・貝殻島海域での「第31吉進丸・銃撃拿捕事件」どう思いますか?靖国問題とは違うからノーコメントですか?これは、北方領土返還交渉に関連した重要な外交課題だと思いますが、茶絽主さんの仰やる「目を瞑る」レベルですか?それとも「無視する」レベル?

(この問題に関する茶絽主さんのご意見はすでに同氏のブログに発表されております。)

「靖国参拝」とは対照的に、この問題は小泉政権の5年間放置されてきました。そのために、51年ぶりの銃撃事件が起こってしまったという。聞くと、第1次小泉内閣の親中派・外務大臣が諸悪の根源という答えが返って来ました。

私は「靖国参拝」と「北方領土問題」へのウエイトの置き方が逆だと思います。

「靖国参拝」は総裁選の支持者確保のための半ば私的な約束であり、とても”公約“などというべきものでもありません。「北方領土返還交渉」は、1956年、当時の鳩山一郎首相とソ連代表ブルがーニンのモスクワ会談で発表された日ソ共同宣言以来、「国後・択捉・歯舞・色丹の四島一括返還」か、「歯舞・色丹の二島返還」先行かを巡って断続的に続いている日ロ間の懸案事項である。今度の漁船銃撃事件は北方海域の境界の不確定が要因となって発生したものといえる。その重要度は比べようもない。



>私は外務省と何ら関係の無い人間、外交に意見は持っていても責任者ではありません。外務省への御不満をここで申されても、返事の仕様が無いのです。

>安定な電力供給の無い所に、高性能機材を持ち込んでも意味を為しません。これも外務省へお申し越し下さい。

>その通りです。ただ、何度も申し上げますが、御不満を私に言われても困ります。外務省HPにご意見を書く欄がありますから、そこへ御高見を記されては如何。



そのようなお返事を聞くと、全くがっかりします。再度申し上げますが、私は茶絽主さんのご意見をお聞きしているので、不満をぶっつけているのではありません。



茶絽主さんはご不興かもしれませんが、外務省の悪口をもう一言。

今日も今日とて(06・8・21)新聞を見ていると、政府・与党が国家公務員総数5%削減の方針を打ち出している中、外務省定員2000人増員と大使館数を117から150以上に増やす計画をたて、政権交代のドサクサ紛れに採択されるよう水面下で働きかけているそうです。この計画も安部政権下で「行け、行け!ドンドン!」となるかも知れない。増設計画の提案理由が振るっている。

昨年、国連安保理常任理事国入りを目指した決議案が中ソ両国の反対とアフリカ連合(AU)諸国の支持が得られず、(結局、アメリカも反対に回ったが)、廃案になったのは周知の通りです。その理由は、AU45カ国に中国大使館が置かれているのに対し、日本は25カ国に過ぎない。これでは「戦う武器の基本ができていない」ということらしい。

一体、外務省は、人口13億の中国に対して、人口1.3億で、しかも、着実に減少に向かっている日本が数で勝負できるとでも思ったのであろうか?しかも、靖国カードをやすやすと相手に渡した上で!

もし、中国に勝負を挑むとすれば、「質の勝負」「Virtue の勝負」でしかあり得ないでしょうに・・・!しかし、「質の勝負」となると一夕二朝にことは進まない。金さえ出せば「大使館」という箱物はすぐにでも作れるが、中に配置する「優秀な人材」は金をかけ時間をかけなければ揃えられない。戦後60年間、人材育成を忘れて無為に過ごした日々が惜しまれる。



外務省に限らず普通の市民が役所に不満を申し出ても無視されるのが関の山です。ネットの上で意見を交換することで世論の大きなうねりを創り上げると大きいインパクトが生まれます。若い頃やった街頭デモに参加するより遥かに楽で効果的です。ブログはそういう世論形成のためのメディアでもあると考えています。



>昭和11年(1936)、2・26事件の後、軍部(特に寺内寿一陸相)がゴリ押しをして、廣田弘毅首相へ軍部大臣現役武官制を認めさせてしまいましたね。大正2年(1913)に、折角、山本権兵衛内閣が苦労して現役以外の軍関係者を軍部大臣にするように制度を変えたのに。このため、廣田後継の宇垣一成大将による組閣は、軍部大臣現役武官制に阻まれて、流産しました。軍閥の政治への容喙は、この現役武官制復活が大きな要因であり、これは受け入れた廣田首相に責任があると感じます。

>「治安維持法」は、大正14年(1925)の公布、近衛文麿主導の<大政翼賛会は、昭和15年(1940)に設立されました。これ以降は、議会政治では無くなり、翌年、「国家総動員法」が殆ど議論も無いまま大幅に改正されて、国民生活を圧迫して行く事になります。



お説の通りです。

しかし、治安維持法といい、国家総動員法といい、成立当初から悪法を目指したわけではない。それなりの理由付けがあった。しかし、それが恣意的に運用され拡張解釈が行われて、政治の批判者に「赤」とか「非国民」のレッテルを貼って弾圧する極悪非道の法へと変貌して行くのに時間は掛からなかった。この状況は、「戦争放棄」をうたった「平和憲法」が為政者の都合に合わせて解釈改憲されていった状況と重なる。憲法改正は避けるべきものではないが、その意義を十分に総括することなく、成り行きまかせで解釈改憲を積み重ねた流れの延長線上で「自主憲法制定」を声高に唱える動きには胡散臭さを感じてしまう。

憲法を改正して、仮に、国防軍を持ち国防省が出来たとき、かっての軍部のごり押しといった弊害をどう歯止めするか?自主憲法制定論者は、失敗を繰り返さないために、その手段も含めて提案して貰いたいものです。しかし、今、自民党若手あたりでは、拉致問題、ミサイル発射問題、対テロ戦争問題、防衛庁の省昇格問題など、「行け!行け!どんどん」の風潮が充満しています。このあたりから「平成ファシズム」の臭いが臭うのです。



>「国力に見合った国防軍」よりも「富国強兵」の方が分りやすいと言われる理由が私には全く理解不能。憲法改正後の事ですが、通常国防費は、国家予算の10-12%以内;GDPでは2%以内にした方が良いと思います。国力に見合った国防軍とはそう言う意味です。

>明治時代は、平時でも軍事費が平均20%位を占めていたのでは?軍艦を造るのに、明治天皇が内帑費を支出され、公務員全員は給与の10%を拠出した時期もありました。それは、将に異常です。また、「富国強兵」概念が只今の日本国内で通用するとは思えません。



「富国強兵」が分かり易いといったのは、既に試し済みで、功罪ともに良く分かった方針(国家戦略)であったという意味です。現在の日本で通用するお奨めではありません。

明治天皇は軍艦を建造するために「内廷費」を支出されたとのこと、一方、清国の西太后は軍艦建造費を「夏の離宮・頤和園」の建造に振り向けたそうです。日本が日清戦争に勝った所以ですね。今の特定財源を囲い込む族議員・関係省庁の役人どもに、明治天皇の爪の垢でも煎じて飲ませたい!

1840年の英清アヘン戦争以来、西欧列強が清国を半植民地化して行くのを横目で見て近代化を急いだ当時の日本では、茶絽主さんの言われる“異常”は、明治人の気概を示す“当然”です。当時の公務員の多くは”天皇陛下の藩屏”であることを誇りとしていた。給料の10%カット、こぼす人もいたでしょうが、喜んで受け入れた人も多かった?だからといって、私が「明治時代に還ろう」といっていると思わないで下さい。

一方、「国力に見合った国防軍」は、まだ試されていない分かり難い概念です。多分、すぐに「可能な最大限の国防軍」になるでしょう。それなら分かり易い。日露戦争以降太平洋戦争終結に至るまでの長い40年間、苦々しい思いで経験した概念です。

では如何すれば良いのか?その答えが無いのが悩みです。永遠の命題です。全世界が「戦争放棄」の憲法を持って、国際問題の解決に「武力を行使しない」と決意し、実行すれば宜しいのですが!それは、多分、ユートピア幻想に終わるでしょう。しかし、それ以外に、人類に平和な22世紀が訪れる可能性はゼロですが・・・?



コメントが3度制限を超えました。最終編は Part 4 で送ります。お許し下さい。



悠遊子

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靖国参拝問題対話(part 4 & final) (悠遊子)
2006-08-24 13:38:37
06.8.22 靖国参拝問題対話 (Part 4)



茶絽主殿



Part 3 は「国力に見合った国防軍」vs「富国強兵」論議で終わりました。

いよいよ最後のクール「共産主義国家」問題に移りたいと思います。

記述方式は今までと同じです。



>外交には、ある時は突っ張りも重要。最近の安保理決議で、日本は珍しく大分頑張りました。



その通りです。この頑張りが情勢の好転に繋がることを期待します。



>何か、私はそれについて申しましたでしょうか。国策を過った内外為政者は他にも沢山おります。



そうですね。確かにご発言はありません。

茶絽主さんは一本一本の立ち木の枝振りを丹念に鑑賞する方のようですね!私は様々な立ち木(枯れ木も含めて)が集まって造る森林の姿を楽しみたいタイプです。

チェンバレン英首相やローマ法王ピオ12世を引き合いに出したのは、お二人が著名人であり、余分な説明なしに状況を理解して戴けると思ったからです。ことに、外交問題で「強硬姿勢と融和姿勢のバランス」をとることが如何に難しいか?そして挙句の果てに下した苦渋の選択が果たして成功だったのか、失敗だったのかを判断するのがまたまた難しい。それらのことを学ぶ例として取り上げました。



>それは、悠遊子様の推測ですね。只今の日本は、戦争をしなくても経済は上手く動いております。ドイツもそうなのではありませんか。ただ、ドイツは武器輸出をしていますけれども。米国の軍産共同体は、アイゼンハワーが警告したように、定期的に戦争をしなければならない体質になっているようですが。



現代戦争というのは、経済活動の中でも最も活発に消費を刺激する活動と思いますから引き合いに出したのです。何も自分が戦争を始める必要はない。単に便乗するだけで良い。日本経済が上手く動いたのは、遠くは朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需などの寄与が少なく無かった為と思っています。アイゼンハウアーの警告は確実に今も生きておりますが、アメリカだけのことでしょうか?なお、並の軍人大統領なら「産・軍・官コングロマリット」の形成を喜びそうなものですが、アイゼンハウアー大統領の見識には敬服する外ありません!



>私は、共産主義国家が無くなることを期待いたしております。多くの場合、地政学的には共産主義は大陸性国家で花が咲くようです。キューバのような例外はありますけれども。ソ連が自壊したように、武力を使わずに共産主義国家が消滅する事を願うものです。キューバも、独裁者がいなくなると自然に変わるのでしょう。



同感です。と同時に「うーん!」と唸らざるを得ません。私はよほど素直でない、へそ曲がりに出来ているようです。



まず、共産主義国家、資本主義国家(市場原理至上主義国家)、民主国家、専制国家といっても、この体制は100%善、あの体制は100%悪といった単純な「2元論」で割り切るのは難しい。

また、出発点で善と思われていた体制がしばしば(或は、ほとんど確実に)悪で終わる。さすがに悪が善に進化した例はなかったようですが!基本的に、体制の選択は、時の権力者ではなく、住民の選択に委ねるべきである。そのときのスーパーパワーが恣意的に決めるべきものではない。少し歴史を振り返れば、すぐに分かります。しかも驚くほど人間は進歩しないことにも気づきます。



カール・マルクスは「資本主義が成熟するとやがて共産主義に移行する」と(多分、期待を込めて)予言しました。しかし、事実は逆で、茶絽主さんもご指摘のように、大陸性国家(ロシヤそして中国)で花(悪の華?)が咲きました。何故でしょう?

私の解釈はこうです。

資本主義体制といえども、マルクスが予想(期待?)したように「資本家が労働者を搾取する」ばかりでは体制を維持できるものではありません。必然的に体制の成熟とともに労働者も豊かになります。そうなれば、労働者は体制の転覆など希望しない、何故なら、失うものが多過ぎるからです。

慈愛に満ち溢れた帝王の支配する農本制国家で、一旦、帝王がとち狂って取り巻き(例えば、ラスプーチン)の言葉しか耳に入らなくなると、失うもののない農民は容易に扇動されて体制の転覆に走る!迫力(カリスマ)に満ちたアジテーター(例えば、レーニン)が指導すれば一層早い。そこへ、野心満々の策謀家が現れて権力を握ればたちまち最悪の専制国家に成り果てる。



キューバですが、カストロは何か悪いことをしたでしょうか?

1960年、フィデル・カストロとチェゲバラがアメリカの傀儡政権・バチスタ独裁政権を打倒した後、カストロがニューヨーク(国連総会議場)へ意気揚々と乗り込んで、革命の成功をアピールしたところ、バチスタ・ロビーの画策によって経済断交を受け、結局、ソ連をリーダーとする社会主義経済圏に追いやられてしまった。その時アメリカに暫くカストロのやり方を見守る寛容さがあれば、カリブ海の情勢は少し違った経過を辿ったかもしれない。

カストロ政権が国民を抑圧した独裁政権であったら、半世紀もの間、そしてベルリンの壁崩壊後17年も、第1回WBCで王ジャパンと覇権を争うまで政権を維持し続けられたでしょうか?

カストロの大失敗は、フルシチョフの口車に乗って、1962年、ケネディを相手にキューバ危機を演出したこと。あの時は核戦争の恐怖を肌に感じながら緊迫の2週間を過ごしました。結局、フルシチョフが負けて核ミサイル輸送船を呼び戻し、危機が回避されました。フルシチョフは、1964年・東京オリンピックでクレムリンを留守にしている間にブルガーニンの手によって失脚させられる破目になった。



カストロの死後、キューバはどうなるでしょう。



また、十年後、二十年後、三十年後の世界はどうなっているでしょうか?

それを見届けるには、一寸、年を取り過ぎかも・・・?

***************************************** 

最後に、悠遊子様の御健康をお祈りする。

  また、意見交換出来ます事を楽しみに。



The same to you!



悠遊子



饒舌を振るっているうちに第4報まで来てしまいました。これで最後です。

(最後まで)駄弁にお付き合い戴き、誠に有難う御座いました。

こう言った対話がやがて何かを動かす大きなうねりになればと思います。そうは言っても単に時間の浪費に終わるかも知れません。しかし、ネットを通じて意見の多様性を知ることが出来ただけでも愉快なことです。(いずれにしても、色々ものを考える機会が持てたのは大きい喜びです。)



お付き合いのほど、有難う御座いました。改めてお礼申し上げます。



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