陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

<七里ヶ浜の哀歌>を聴く:真白き富士の嶺

2010-11-22 00:37:58 | 読書・映画・音楽
 鎌倉駅から江ノ電で江ノ島へ向かう途中、稲村ヶ崎を通り過ぎる。緩やかに曲線を描く七里ヶ浜が広がる彼方に江ノ島が見え、晴れていると富士山が顔を覗かせることもある。

 明治43年、今から丁度100年前の1月23日、この平穏な海で大惨事が起きた。日曜日に登校していた逗子開成中学校(私立)の生徒11名と小学生1名(徳田勝三)が、学校に無断でカッター・ボートに乗り込んだ。漁師は止めたと言うが、晴天で風も凪いでいたので、彼等は漕ぎ出した。

 七里ヶ浜沖で突風に襲われボートは転覆、12名全員が溺死した。逗子開成中学校はこれを悼み、2月6日に追悼大法会を営んだ。参加者は5000人。その時、姉妹校の鎌倉女学校・数学教師、三角錫子(当時37歳)が鎮魂歌を作り、同女学校生徒により唄われた。それが、<七里ヶ浜の哀歌>である。




 これは、manamasabu さんの提供する動画。使わせていただきます。

http://www.youtube.com/watch?v=IV8kNoYx4AE&feature=related



<七里ヶ浜の哀歌>   (明治43年=1910)


作詞:三角 錫子
作曲:ジェレマイア・インガルス(賛美歌「天の園」1805)


真白き富士の嶺 緑の江の島
仰ぎ見るも 今は涙
歸らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心

ボートは沈みぬ 千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
風も浪も 小さき腕(かいな)に
力も尽き果て 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里ヶ浜辺

み雪は咽びぬ 風さえ騒ぎて
月も星も 影を潜め
みたまよ何処に 迷いておわすか
歸れ早く 母の胸に

みそらにかがやく 朝日のみ光
暗(やみ)に沈む 親の心
黄金(こがね)も宝も 何にし集めん
神よ早く 我も召せよ

雲間に昇りし 昨日の月影
今は見えぬ 人の姿
悲しさあまりて 寝られぬ枕に
響く波の 音も高し

帰らぬ浪路に 友呼ぶ千鳥に
我も恋し 失(う)せし人よ
尽きせぬ恨みに 泣くねは共々
今日も明日も かくてとわに

(参考)

読売新聞社文化部編、「唱歌・童謡ものがたり」、p.278、岩波書店(1999)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山口大学の研究費不正流用事件 | トップ | 「雪迎え」の舞う日々 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書・映画・音楽」カテゴリの最新記事