Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

北風

2014年02月06日 | Weblog

                  

久しぶりに身を切るような風の冷たさを味わっている。少し降っただけなのに、
僅かに残った雪を掠めて吹いてくる北風は毛糸の帽子や手袋を突き抜けて肌
を差す。零下十数度の地方では一体どれほど冷たいのだろう・・・


最近は冬でも東京近辺はあまり厳しい寒さというものを感じない。むかし(半世
紀も前だけど・・・笑)は真冬になると、下駄と足袋で外を歩くと指先が痺れるよ
うな感じになったり、風呂の帰りに濡れタオルが凍って板みたいになったりした
ものだけれど、今では想像すらできない。


あの頃は暖房といえは炭の炬燵か学校では石炭ストーブくらいで、建物は隙
間風スース―だったから炬燵に入っても背中の方まで暖かくなることはなかっ
た。^^!


小学生、中学生の頃はお袋が古いセーターなどを解いた毛糸で手袋やセータ
ーを編んでくれた。毛糸(ウール)だから温かくはあったけれど、雑多な色を繋
ぎあわせた毛糸だから色も太さもごちゃまぜで、雑種の猫や犬の模様みたい
だった。(笑)


それにしても、むかしは蒼洟を垂らした子供が多かった。それを服の袖で拭う
ものだから袖口が汚れてテカテカしていた。栄養も悪かったし、着るものも暖か
い冬物など十分なかった時代だから、年中鼻かぜでも引いていたのだろう。


栄養失調でやせ細り、汚れた顔にハエがたかっている貧しい国の子供の写真
が、援助を求めるキャンペーンでよく見るけれど、日本もむかしはあんな風だっ
たなあ・・・と思う。貧困は病気を生み人は短命になる。日本は豊かになった。
老人が増えるわけだ・・・


着るものも住いも快適になり、外の寒さ暑さを気にせずに生活するようになっ
た我々は、自然の厳しさを半分忘れかけている様な気がする。夏は暑く冬は
寒いものだ、という極当たり前のことを肌で感じていた昔を、忘れないようにし
たい。

                  


疑問

2014年02月05日 | Weblog

                 

昨日夕飯時テーブルに着いたら唐突に「日本って、いい国なんだろうか、それと
も良くない国なんだろうか・・・」とカミサンがいう。普段世の中のこと、特に政治
家、役人、マスコミ、警察などに対して批判的な目でみているせいか、ふと別な
方向から考えてみたくなったという。


自分の住んでいる国がいいのかよくないのかなんて、単純明快に答えの出し
ようがない。我々が物事を批判的に観るのは、世の中の不正とか間違いを正
したいとか、より良くしたいという気持ちの発露であって、国のあらゆることを
批判、否定している訳ではない。


良いか悪いかという単純な比較が、例えば日常生活の物質的なことだけを考
えているなら、他所のアジアの国々と比べれば「良い方」かもしれないし、生活
の「質」といった精神的な面なら、欧米各国より「良くない」かもしれない。


今の日本で、明日の生命の危険を感じながら生きているひとは居ないと思う。
つまり戦争がなく凶悪犯罪も少ないから安心して毎日が送れる・・・いい国で
ある。


しかし、平和憲法を踏みにじって戦争できる国に姿を変えつつあり、情報公開
の世界の流れに逆行して特定秘密保護法を成立させ、福島の事故から何も学
ばず原発再稼働推し進めている・・・良くない国である。


今現在のことだけでなく将来のことを考えたとき、我々は大いなる不安を感じ
る。子や孫たちに戦争や危険な原発と放射能廃棄物という(人類にとっての)
巨大な”負の遺産”をのこす・・・良くない国である。


                                        

残念ながら、我々日本人より欧米人のほうが考え方、物の観方、生活態度、
他人との接し方、どれをとっても遥かに”大人”に見える。日本の封建時代より
過酷な帝政国家の時代を生き抜いてきたヨーロッパ人のほうが、より大きな苦
難を経験し、それに打ち勝って自由と権利を手にしただけに、民主主義という
ものの大切さ、理解の深さが違うのだろう。


同盟国である米国さえも失望させるようなことをやって、平気な顔をしている日
本の首相は、人権問題を批判して先進各国が欠席するソチ・オリンピック開会
式にどうしても出席するそうである。


やっぱり日本はガキの国家だ!(笑)・・・先進国とは並ぶべくもない

                  


ガラ携

2014年02月04日 | Weblog

              

携帯電話を使い始めたのは仕事上で、会社から持たされたからで、それまでの
呼び出し専用のポケベルでは呼び出されても直ぐ電話できなかったり、しなかっ
たりして甚だ不便だった。しかし当時(今から15年くらい前)の携帯はメールが出
来ないもので、通話だけの文字通りの「携帯電話」だった。


携帯電話というものを初めて目にしたのは、米国初出張(1982年?)のときで、
同行させてもらった本社営業担当者の車に積んであった。大きさは昔の無線機
(トランシーバー)ほどもあって、車だからこそ積んで移動できるけれど、とても今
のように持って歩けるシロモノではなかった。^^!


それでもアメリカは進んでいるなあ・・・と思ったが、それから僅か十数年後日本
でもアッという間に普及してしまい、いまではもうEdが持っているような携帯電話
は時代遅れの”ガラ携”と云われる存在になってしまった。購入したのはスマホが
出始める直前だったから、未だ!7年くらいしか経っていないと思っているのだけ
れど・・・(笑)


携帯が流行り始めたころジジイが一番驚嘆したのは、若い女の子たちの指使い
である。片手で携帯を持って同じ手の親指だけを器用に使って、素早くメールを
打っている。その素早い指の動きは年寄には人間ワザとは思えなかった。真似
してみたけれど、携帯がずり落ちてしまい、一語も打ち込めないうちに床に落と
すのが関の山だった。^^!


Edはそれでもバイク仲間と時々携帯メールでやり取りしていたから、”両手使い”
ながら少しは馴れた。カミサンはメールが苦手らしく、彼女にメールを送っても返
信は味も素っ気もない「了解」一語だけというのがが多い。(笑)


ま、それはいいけれど今使っている「ガラ携」がダメになったら代わりがあるのだ
ろうか。電話とメール機能だけあれば事足りる我々ロートル世代にまで、「スマホ
を・・・」なんて云うんじゃないだろうね。ヤだよ!スマホを使った通話料金はバカ
に高いそうではないか・・・

            


運動

2014年02月03日 | Weblog

          

ウィークデーの早朝ウォーキングをサボり始めて1ヶ月、何か差し障りが出るかと
思ったけれど今のところ如何ということはない。そりゃあそうだ、そんなに急に差し
障りがでたら大問題である。^^!


こういうことは、時間と共にジワリ効いてくる類のことだから、あれっ!と思った時
はもう手遅れ、ということなのかも知れない。年寄はとくに足腰のへたりが早いか
ら、階段の上がり降りや小走りした時など症状が出てくる。朝の寒さが緩んできた
ら早めに再開しよう!


Edはガキのころから、とにかく落ちつきのない子どもで、動きまわっていないと気
が済まない人間だったから、「静かにしろ!」と、よく兄から叱られた。家の中にい
ても、ヨガの真似事をしているみたいに手足を動かしたり、でんぐりかえって遊ん
でいたから、家族は辟易していたろうと、今にして思う。(笑)


そのせいか、中学、高校では体操が得意だった。鉄棒、跳び箱、マット運動が好
きだったから高校では一時体操部に入ったが、上には上がいてこりゃあ駄目だな、
と諦めて直ぐ辞めてしまった。^^!その他水泳、剣道、空手、ラグビー等々、面白
そうな運動には何にでも首を突っ込んだ。有り余るエネルギーは、脳ミソより身体
を鍛えることだけに使い過ぎてしまったようだ。(笑)


天はニ物を与えず。偉くもお金持ちにもなれなかったけれど、身体だけは丈夫に
なった。しかしこの歳まで長生きてしまうと、丈夫な身体がホントに良いのかどう
か・・・一寸複雑な心境になる。


何もすることがなくなってからも、丈夫で唯長生きだけしたって世間様の足手まと
いだし、生きていても何のためにもならないような気もする。亡くなったJinさんが
呑むと友人のことで笑っていたけれど、彼に「お~い、元気にしてるか」と電話を
すると、返ってくる返事が「死ぬのを待ってるだけだよ・・・」。取りつく島の無い答
えだったそうである。


そろそろEdもそういう年頃に入ってきたのだ。やはり若いうちに”身体”だけでな
くて、もっと”脳ミソ”も鍛えておけば良かった、と今頃になって後悔頻りなのであ
る。(苦笑)