Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

冬の夜長・・・

2014年12月16日 | Weblog

                 

もうかなり大昔に陳舜臣の「秘本三国志」(文庫本)を買った。面白くて数年置い
てからまた読んだ。後から教わったのだけれど、陳舜臣の三国志は正史に基づ
いた小説で、亡くなったJinさんは吉川英治の「三国志」(三国志演義に基づく小
説)を愛読していた。彼は何度となく読み返していたとかで、登場人物の名前や
エピソードを実に良く憶えていて、飲むとよく二人で話した。


もう一度読もうとして本箱から引っ張り出してみたけれど、旧い本は如何せん活
字が小さくてEdの老眼では眼鏡がないと読めない。^^!通勤時にでもと思った
が、薄暗い電車の中ではちょっと無理かも・・・


                                            

陳舜臣の「録外録」という本の冒頭に次のような話が出てくる。

「鶏肋」という言葉は曹操が最初に使って有名になった言葉らしい。(西暦219)
年曹操は長安から漢中に進んだが陽平という所で劉備が屈強に拒んだため長
安に還った・・・(正史)。正史のこのくだりには、その後(注)が加えられつぎのよ
うなエピソードが記された。


曹操は撤退しようと思い、ただひとこと「鶏肋」と云った。部下はそれが何の意味
かわからない。主簿(書記)の楊修だけが帰り支度をした。他の人が尋ねると、
ーー鶏のアバラは食べようとしてもたいして肉は付いていない。けれども捨てて
しまうのは惜しい気がするものだ(美味しいスープの出汁になるから)。漢中を
そんな土地であると云ったに違いない。大きな損害を出してまで占領しなければ
ならない土地ではないから、撤退するに決まっているーーという意味のことを答
えた。果たして曹操のその言葉は撤退をほのめかしたものであった。


ただ一人曹操の言葉の意味を悟った楊修は、しかしその時そ知らぬ顔をしてお
くべきであった。曹操は、楊修の期待通り彼の頭脳の回転の速さを認めた。


曹操はこのころ後継問題で、長男の曹丕にするか三男の曹植にするか迷ってい
たが、やはり長男に継がせることにして、将来の禍根を絶つため三男の取り巻き
を粛清した。その中にいた揚州は、最も油断がならない人物として殺されてしまっ
た。頭の良さを認められたことが、裏目に出てしまったわけである。


                                            

現在の民主党の礎を築き、2009年の総選挙で自民党から政権を奪った立役
者、小沢一郎氏は官僚、財界、マスゴミ、米国から(彼等にとって)最も警戒すべ
き人物として政治生命を絶たれてしまった。本来彼が総理大臣をやっていれば、
日本はもっと国民の目線で政治が行われる国になっていた筈である。


1900年前とは違うから殺されはしなかったけれど、彼を悪者に仕立て上げた
TV、大新聞のマスメディア並びに国民の大いなる期待を裏切った管直人と野田
佳彦の大罪は決して許されない。日本の近代史上最大の汚点である。


                      



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