Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

同窓会?

2015年01月22日 | Weblog

                 

随分むかしのことである、物流拠点の倉庫が神奈川の川崎から埼玉の若葉へ引っ
越したのは。若葉から現在の川越に移ってきてから、既にかれこれ15年になるか
ら、もう20年以上も前だったろう。


41の時に最後の転職をしたのだけれど、どうせ外資だし従業員30人くらいの小さ
な会社だったから、まぁ5、6年会社が存続してくれれば御の字だ、と当時は暢気に
考えていた。それと云うのも、前の会社をリストラされて求職中に、他人(知人)の
紹介でタイミングよく”拾ってもらった”ようなわけだから、あまり先のことまで期待は
していなかったのである。


しかし、わからないものである。前の会社は同じ外資とはいえ、米国の本社は世界
で1、2を争う大企業だったから、もうそこで一生働くつもりだった。それが5年足らず
で突然のリストラである。彼等は”これ以上続けていても業績が伸びない”、と判断
すれば即断で事業を縮小してしまう。自分の思惑は完全に外れてしまい、余儀なく
転職させられる破目になった。


ところが、あまり期待せずに入った小さな会社で、営業技術という仕事が性に合っ
たのか、2、3年経って実際に製品が売れ出すと面白くなってきて、以後すっかり仕
事にのめり込んだ。思い起こせば、定年までの20年足らずの間は、余計なことは
一切考えもせず、ひたすら自分の仕事に熱中していたように思う。会社があと何年
続くか・・・などという余計なことは、正直考えるヒマさえ無かった。


気が付けば定年が翌年に迫ってきていた。ありゃりゃ・・・と少し慌てたけれど、案ず
るより産むが易し、でそのまま65まで嘱託で働かせてもらったのだった。それから
先は個人契約を結んで、今日までづっと物流倉庫で品質管理の手伝いをさせても
らっている。


                                               

入社当時、川崎の倉庫で現場の作業(出荷検査)をしていた若い人が二人いた。T
君とY君である。T君はやがて実家の事業を手伝うために辞め、その後任にF君が
入った。仕事量が増え、倉庫が手狭になったので、会社は広い倉庫に移ることに決
め、数年後若葉に引っ越した。Y君、F君二人とも住いが横浜近辺だったから、倉庫
の移転に伴って会社を辞めた。以来彼等とは今日まで一度も逢っていない。


先日、ひょんなことから、同じ会社のOGであるHさんがフェース・ブックでF君と知り
合い、会社の同窓会をやろうということになった。2月の予定でお誘いを頂いたのだ
けれど、あまり懐かしいという気も起きないし、さてどうしたものか・・・


彼等とは年代も違うし、同窓とは言えそれほど親しかったわけでもないし、長く一緒
に働いた訳でもない。それより何より、もう彼等と面識がある人間は皆辞めてしまっ
たか、鬼籍に入ってしまったのだから、時代は大きく変わった。今更そんな大昔のこ
とを話しても仕方ないしなぁ・・・やっぱり止めておこう。

                   



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