Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

独りぼっち

2014年02月26日 | Weblog

昼間ショッピング・センター内を歩くと、所在なげにベンチに腰かけたり気力が失
せたようにぼんやり道行く他人を唯眺めているだけの年寄を多く見かける。


人間、目標を見失うと毎日どう過ごせばよいのか分らなくなるらしい。皆いづれ
は独りきりになって死んでゆかねばならない。独り残された場合のことを考える
と、所在なげに毎日をやり過ごしている人々が他人事とは思えなくなってくる。


     

カミサンはEdより絶対に早く逝くと言い張っている。誰だって一人残されるのは
ヤだから先に逝きたい。出来ることならEdが彼女を看取ってから、少しだけ遅
れて逝ければいいのだろうが、こればかりは思い通りにはならない。^^!


                                           

カミサンの見立てでは、Edは独りになっても平気なタイプなのだという。カミサン
が死んで三日もすれば、もう何事もなかったかのように忘れて、自分の好きな
ことを始めるに違いないのだそうだ。随分薄情な人間に思われているが、3日で
忘れるというのはチョッと酷い・・・


自分ではそれほど薄情ではないと思っているのだけれど、性格的には諦めの
いい方かもしれない。それに、これまでカミサンを置いて一人でハイキングや、
ツーリング、美術館などに出掛けてしまっていたから、Edを独りでいるのが好
きな人間だと思っているらしい。


決して孤独が好きな訳ではないけれど、学生の頃から付き合いの幅はあまり
広くはなかった。大勢より、ごく小人数の仲間と親しく付き合う方が多かったか
ら、傍から見るといつも独りでいるように見られていたかもしれない。


独りというのは、しかし「何でも自分の思い通りにやれる」という意味ではスト
レスが生じない。他人と合わせるために「我慢」しなくてよいのだから。けれど
も楽しい事や感動することがあっても、他人と共有することが出来ないから残
念な場合もある。やはり物事を共有できる親しい仲間は必要なのである。


            



最新の画像もっと見る

コメントを投稿