Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

剣の天地

2011年02月09日 | Weblog
                       

池波正太郎の「剣の天地」を読んだ。戦国時代の武将・兵法家(といっても上州・大胡に居を構える小領主)上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)の物語である。

伊勢守は”剣聖”というべき剣の達人で、新陰流を編み出した創始者であると同時に、その合理性から現在の剣道の礎ともなっているのだそうである。当時は剣の修行(修練)には木刀か真剣が使われていたので、修練中に大怪我や死に至ることが多かった。伊勢守はそのことから、竹に皮袋を被せた竹刀(シナイ)の原型を発案し剣の修練に用いた。

彼は鍛錬の場を赤城山麓の山中にも設け、しばしばそこに籠もって修行に励んだらしいが、肉体の鍛錬だけに止まらず長時間の座禅を組んで精神の修行にも励んだという。自然に溶け込み自然と一体になることを理想と考えていた。つまり生き方を含めて何事も自然体であることを旨としていた。そのようであったから、感性が研ぎ澄まされ周囲の事情を的確に判断できるようになり、めまぐるしく変わる戦国の世にあっても常に先が見えていた。

昔の人は剣の道においてさえ、頂点を究めた人間は超人的な能力を持つようになったらしい。時代は300年ほど下って、明治から昭和にかけて実在した山田治朗吉という人も「剣聖」といわれた剣の達人だったらしい。

次朗吉もまた鋭い勘の持ち主で、関東大震災をその4年前に予言していた。ある時訪ねてきた知人が帰ろうとして暇を告げたところ、「間もなく友人の○○がここへ訪ねて来ると思うが、会っていかないか」という。知人が「約束でもしていたのですか」と聞いたところ、「いや、唯そんな気がするだけだ」という。すると間もなく本当に友人の○○が現れて吃驚したという。

現代においては、もう昔のような厳しい鍛錬に耐えられる人はいないだろうし、したがって「剣聖」も存在しない。もしいたら今の日本の将来がどのように予見できるか聞いてみたいものである^^!


                          


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