以前、司馬遼太郎の街道をゆくシリーズを単行本で読み始め、16まで読んだとこ
ろで飽きてしまい中断してしまった。(飽きっぽい^^!)
しかし少し前に自分の本を整理・処分した際、このシリーズは「捨てない」カテゴリ
ーに分類してあったので、今また少しづつ読み直している。たまたまシリーズ13・
壱岐・対馬の道を読んでいたら、偶然にも現在竹島の領土問題でもめている朝鮮
との、歴史的な浅からぬ外交関係を改めて知った。
お粗末ながら、この本を読んで日本の歴史を、最も近い隣国との関係という面か
ら学び直したような気がする。
室町期から戦国にかけて東アジア沿岸を荒らした倭寇のうち、朝鮮沿岸を襲って
いたのは主に対馬倭寇だったらしい。度々被害を蒙ってきた朝鮮は倭寇の懐柔
策として対馬島主を交渉相手に毎年穀物を与えることにした。
先進国の彼等にしてみれば、貧しく野蛮な日本(倭)人を何とか鎮めておくための
苦肉の策であり、島主には貿易も許し朝鮮の官職も与えた。云わば表向き対馬
を朝鮮の幕臣扱いの形にしたらしい。
秀吉の死後、(朝鮮出兵に加わらなかった)徳川幕府の誕生を喜んだ朝鮮は、表
敬訪問の使節を送り、以後十数回にわたり朝鮮通信使として両国が相互に行き
来することとなる。(辻原登の「韃靼の馬」はこのころの対馬藩を題材とした小説
だった。阿比留という名前の家臣も実在)
終戦後、韓国の李承晩大統領は「対馬は韓国の領土である」と主張して米国に
返還を要求したらしい。時の米国務長官ダレスは「対馬はきわめて長期間に亘り
日本の領土であった」として、この申し入れを終わらせたという。
李承晩がこのようなことをいう根拠は上のような歴史経緯を踏まえてのことらしい
が、その李承晩が勝手に引いたラインを楯に、竹島は自国領と主張して譲らない
今の韓国大統領も、どこかで相通じるものの考え方をしているらしい^^!
興味ある話ではある。
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