Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

幕引き

2014年07月10日 | Weblog

                  

物事は日々変化していても昨日と今日の違いにはなかなか気付かない。老化
も徐々にではあっても確実に進んでいるのに昨日、今日ではその違いに気づ
くことはない・・・というか意識していない。しかし半年、一年というスパンで思い
返してみると、その違いに気付かされることはある。


耳は難聴が進行して他人の話が聞き取りづらくなり、左眼は霞がかかったよう
に邪魔なものが出来て昼間はチラチラして見辛くなったし、良く寝て起きたのに
腰が痛くて直ぐには背筋を伸ばせなかったり・・・と、身体は忠実に老いたことを
証明している。^^!


生命が尽きるときというのは、何時どのようなかたちで訪れるのか誰にもわか
らないけれど、病気や事故で突然倒れてしまわない限り、この長寿社会では独
りで歩くことさえままならなくなる程長々と生かされる惧れもある。食事も、風呂
も、トイレも何一つ自分一人では出来なくなった時、それでも生きていたいと思う
ものなのだろうか・・・


                                          

他の動物たちと比べて人間は業が深いというか、なかなか潔く死ぬことが出来
ない。ペットとして飼っていた犬も猫も死に際は実に見事で「死」を極自然に受
け入れていた。到底真似は出来そうもない。死ぬ数日前から食べ物は一切受
け付けず、無理に口を開けさせようとしてもキッと固く結んで開けない。最後は
脱脂綿に含ませた水さえ拒んだ。死ぬ準備をしていたとしか思えない。


猫の「もも」に至っては、体力がもう残っていそうもない死の直前まで自力でト
イレに向かい、流石に砂箱の中には這い上がれず、それでも縁に前足を掛け
た姿勢で用を足した。その姿は目に焼きついて今も忘れられない。


犬の「メイ」はEdの帰りを待っていたかのように起き上がったので、トイレかと
思って抱いて庭に出してやった。少しだけ芝生の上を歩いて動かなくなったの
で、直ぐ部屋に抱いて帰った。それから1時間も経たずに逝ってしまったのだ
が、彼らはジタバタせずジッと覚悟を決めて静かに死を受け入れる。


もう大分以前、ある著名な画家の「私の履歴書」というコラム(日経)で読んだ
のだけれど、母親は亡くなる1週間前から食べ物も飲み物も一切口にしなくな
り、静かに自死を迎えたそうである。食べられなくなった時が死ぬ時である・・・
という当たり前のことが、今は出来ない時代になってしまったようである。