F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

054-3 道の駅「ウトナイ湖」

2015年07月26日 21時41分45秒 | 旅行記
道の駅「ウトナイ湖」に来ました。いい雰囲気です。



雨はひどくなるばかりです。湖に出てみると、







白鳥が



雨は弱くならず、昼寝をして、ここで停泊することになりました。

本日のルート。



本日の走行距離。

50km

北海道の航跡。



本日までの航跡。



本日までの走行距離。

6,722km


054-2 苫小牧にミール

2015年07月26日 14時02分11秒 | 旅行記
ミールは1986年に打ち上げられ、2001年まで使用したソ連の宇宙ステーションです。2001年3月大気圏に再突入し、燃え残ったものは南太平洋に沈みました。

苫小牧科学センターに展示されているものは、予備機です。1989年名古屋で開かれた博覧会にミールの予備機が出展され、終了後、ソ連政府から売りに出され、一社を経て岩倉建設が入手、平成10年、市制50周年を記念して苫小牧市に寄贈されたものです。









迫力があります。コアモジュールのミールと実験棟のクバントがドッキングされた状態で展示されています。





ドッキングというのは最後は無理やりがっちり止める仕組みだと思っていましたが、こんな端子が・・・・1mm以下の精度でないと壊れてしまいます。







それに金属で覆われていると思っていましたが布です。



内部も見学できます。



当時は



冷蔵庫。



プライベート。



ベッド。



トイレ。



アナログ感いっぱいの装備。



不可思議なもの。どういう原理なのでしょう。





楽しめました。旧ソ連の洗練されていないデザインが何とも言えません。無骨さは相当な無駄があると思いますがそれでも機能は果たす。大きなミサイルや傾いたレーダーも性能はいいのでしょうか。

8月16日、「こうのとり」の5回目の打ち上げが予定されています。アメリカが立て続けに失敗しているので期待されています。



600mほどのところに市場がありました。





ホッキ貝。



生モノではなく、ホッケをいただきました。




054-1 勇払/八王子千人同心

2015年07月26日 13時29分48秒 | 旅行記
1800年(寛政12年)伊能忠敬が蝦夷地の測量をした年です。その年、八王子千人同心と呼ばれる半農半士(実際は侍としては扱われなかったらしい。)の有志(2男3男対策とも)100人が苫小牧市の勇払と釧路に隣接する白糠に50人づつ移駐します。さらに1か月後15人づつ増勢されます。警備と道路の開削、開墾が目的でした。勇払にはすでに交易の拠点である勇払場所ができていたそうですが。

3年半後、30数人がなくなり、計画は取りやめられ、移駐した人たちは函館などに四散します。勇払では65人のうち、16人が亡くなったそうです。そして交易に従事していた人たちのものも含め200余年前のお墓が苫小牧市によって丁重に祀られています。











公園内に当時の幕府の役所を模した「勇武津資料館」があります。





当時の資料はほとんどありませんでした。丁寧に説明していただきました。



八王子から1か月半、歩いてきたそうですが、冬は厳しかったでしょうね。苫小牧市民会館の一角に銅像がありました。





母子像は、

「梅女は、千人同心にまつわる民話で語られる女性です。千人同心のひとり河西祐助とともに入植した妻・梅が女の子を出産しますが、北国の厳しい生活で体調を崩し幼子を遺して亡くなりました。その後、赤子を抱いた幽霊が出没し、夜な夜な墓地から女の泣き声や「この子にお乳を飲ませてください」と訪ねる声が聞こえるという噂話が現在民話として伝わっています。(引用)」