言わずと知れたイギリス・ファンタジーの古典です。
本では読んだことはなくても、映画、アニメ、劇、ミュージカルなどでおなじみのことでしょう。
もともと劇として書かれた作品なので、映像との親和性は抜群です。
夢と冒険の国ネバーランドでのピーターを中心とした冒険物語は、あまりにも有名です。
海賊、インディアン(当時はこの用語も平気で使われていましたが、正しくはネイティブ・アメリカンです)、猛獣、妖精、人魚など、子どもたちの冒険心をくすぐる素材が満載です。
中でも、主人公の子どもたちたちが空を飛べるというバリーの発明は画期的なことであり、現在までに多くの追随者を生み出しています。
その一方で、家族の愛情、中でも母親への賛美は、この物語のもう一つの柱になっています。
おかあさんごっこや赤ちゃんごっこなどの疑似家族を演ずることは、子どもの成長過程で欠くことのできない要素で、バリーはそれを巧みに作品に生かし、子どもがやがて大人になっていき、またその子どもが生まれるといった生の繰り返しを見事に描いています。
その対比として、永遠の子どもであるピーター・パンという不滅のキャラクターを作り上げました。
この「永遠の子ども」というのは、多くの児童文学者の共通のモチーフであり、かくいう私自身も自分の中に「永遠の子ども」が潜んでいて、その子に向けて作品を書いていた時期があったことを認めざるを得ません。
この「永遠の子ども」は、通常は自分自身の子どもが生まれたときに消えてしまうのですが、中にはいつまでも守り続けている人たちもいるようです。
私の場合は、自分の中の「永遠の子ども」は消えなかったもののだいぶ薄れてしまいましたが、自分の息子たちが成人した今でも彼らの中に「永遠の子どもたち」を見ることができました。
きっとこれは、児童文学者に与えられた特殊技能なのでしょう。
孫の男の子たちが生まれてからは、息子たちの中の「永遠の子どもたち」も少し薄れてきました。
でも、私が長生きすれば、成人した孫たちの中にまた「永遠の子どもたち」を発見できるのでしょうか?
さて、この作品は百年以上も前に書かれた作品ですので、賞味期限を過ぎた素材(ネイティブ・アメリカンへの偏見、母親になることに偏ったジェンダー観、偏狭なイギリス紳士像など)も散見されますが、この作品の歴史的な価値を考えると、現代に合わせて翻案するのではなく、原作通りの翻訳に、当時の偏見に対する現代の見解を注釈として附けて、子どもたちに手渡したいものだと思っています。
ピーター・パンとウェンディ (福音館文庫 古典童話) | |
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