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聖ヨハネ騎士団のロードス島へ







ギリシャのロードス島にも行った。薔薇の花咲く古の島。

初めてギリシャのロードス島を訪れたのは1998年、結婚して数ヶ月後の春だった。新婚旅行ではない。

その時、1985年に出版された塩野七生さんの「ロードス島攻防記」を読み直し、彼女の描く独特のリズムと島にいる臨場感とが合わさって時間旅行気分だったのをよく覚えている。
高貴さと美しいものをこよなく愛する永遠の若い魂、塩野七生。


今回も島へ向かうボートの中で、表紙のめくれ上がったその新潮文庫を読んだ。

この読み物の中の登場人物は、みなそれぞれが人生の意味を求めている。
主人公の一人、イタリアの騎士オルシーニは「人間は誰にも、自らの死を犬死と思わないで死ぬ権利ががある」と言う。「大きな物語」(リオタール)が有効だった時代、人は自分探しなどする必要がなく、その点では生きやすかったのだろうか。
ちなみにわたしは人生は本来「非意味」(無意味とは違う)だと思う。






20年前、われわれはまずクレタ島にいた。そこで一ヶ月弱バカンスを過ごしたあと、衝動的にオリンピック航空のチケットとロードス島旧市街の外にある瀟洒なビーチ・ホテルを予約してロードス島に飛んだ。

旧市街の脇道で、壁に花と緑が這う木製のバルコニーがある旧市街的な建物の小さなホテルが気に入り、即こちらへ映った。バルコニーから城壁がよく見えるのだった。


ホテルの2、3件隣のカフェではその店主の父親に出会った。
お嬢さん2人で始めたカフェで店番をしているのはいつも彼だった。背が低く、がっしりしていて、深く日に焼けて銀髪が光るギリシャのおやじ。1日に2度、3度とコーヒーを飲みに立ち寄るようになると、夜は毎晩夫と差しで飲むようになった。おやじさんの身の上話を聞かされているようだった。夫はいつもこうして年上の男から可愛がられる性格なのだ。
別れ際にはおやじさんは別れを惜しんで自分のコレクションを分けてくれた。今も我が家の家宝として大切に飾ってある。


今回、そのホテルとカフェを探すつもりだった。
ホテルの名前も、通りの名さえも覚えていない。
20年前、通貨はドラクマで、ネットは普及しておらず、店先に下がっている土産物も今のように一律ではなかった(ような気がする)。

ロードス島の旧市街の脇道は砂色の壁でどこも似たような感じだ。方向的センスだけは抜群の夫が「こちらのような気がする」と歩む先について行くと、ホテルがあった。記憶よりも小さかったが、バルコニーや壁の植物は昔のままだった。

夫はレセプションに座っている寝間着姿の老伯爵夫人かという風貌のマダムに20年前の話をした。ホテルはオーナーが変わり、改装もしたとのことだった。「前のオーナーはギターを弾く人だったけど...覚えてる?」と言われたが全く記憶になかった。


カフェはもうなかった。
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