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新しくなった東京のベルギー大使館開館に合わせて桜の歌が詠まれたそうだ。

それにちなみ、こちらのニュースで「日本人の花見」とか「桜への異常な執着」といった報道が取り上げられていたのには驚いた。
もしわたしが日本の事情に詳しくない外国人だったら、何と風流な人たちかと感動するところである。


わたしの友人知人からも「夙川の桜」「芦屋川の桜」「大阪城の桜」などという写真がたくさん届いたし、またいつも楽しみにしているブログでも桜の写真が満載...やはり「異常」事態だ(笑)。

敷島の大和心、ですよねー。



わが家の桜の老木からこぼれたさくらんぼの種から芽が出、1メートルくらいに育った。この先、どこに引っ越すことになっても連れて行けるように鉢植えにしてある。


自分が見て、自分が撮ったこの桜の写真をどうしても載せたい!!というのもやはり大和心の一種なんでしょうかな。



朝日に匂ふ山桜花。



















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続・末は博士か大臣か 




娘が音楽学校の試験で演奏した時、審査委員の先生に「このまま一所懸命練習すれば、必ず有名なピアニストになれます」と言われたそうだ。


父親や祖父母はそれを聞いて、手の舞い足の踏むところを知らずという様子であったが、昨今の日本のお子たちの眼を剥くほどの技術の高さや、例えばマルタ・アルゲリッチら、天才と謳われるピアニストの幼少時の演奏(較べるなって)を心に刻んでいるわたしとしては、かえって白けてしまう。

夫はわたしの冷めた態度が理解できないと言う。
両親そろって舞い上がってどうするんだね。



先日も書いたが、彼女は「大人になったらお医者になるか、古生物学者になるか、ピアニストか、迷っているんです」と謳うように言い、わたしは「ゆえるときにゆっとき」と思う。大人が呪文のように「夢を忘れなければ必ず夢は叶う」と繰り返すのは知っているが、わたしにはどうしてもそうは思えないのだ。そういえばこのようなことを言うのは日本の大人で、ベルギーの大人が言うのは聞いたことがない。いつから日本人はそう言うようになったんだろう。


あるいはわたしは本当に白雪姫の継母化しているのだろうか?

白雪姫を始め、童話に登場する魔女は「継母」の真の姿ということになっているが、原典では「実の母親」の真の姿なのだそうだ。
母親が実の娘にあんな仕打ちをするなど惨すぎるというので、口承が書き留められた次点で「継母」に書き換えられたのだ。

母親は自分が衰え、将来が先細りであることに対し、娘の現在と未来が輝かしいことに強い嫉妬を覚えるのだそうである。

つまりなんですな、娘がコンパで帰宅が遅いとか、ボーイフレンドが複数いるだとか、何をしているかよく分からないけれど毎日急がしそうに外出ばかりしていると言って怒る母親は、娘が心配というより、深層心理では嫉妬している、という解釈になる訳だ。


わたしにはそういう実感はないし、母親が怒るのもそういう理由だけではないと思うが、昔話が語る人間性への洞察には戦慄を覚える。



娘にはどこに住んでも誰と住んでもどんな境遇でも「幸せな人」になって欲しい。


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さまざまの 事思ひだす 桜かな




わが庭に一本だけある老桜も満開である。


「さまざまの 事思ひだす 桜かな」


この句を夫に説明するなら

「桜。 いろいろなことを思い出させる。」

となるが、身も蓋もない、と言うか、ニュアンスが全然違いますよね...





チェーホフの三人姉妹には

「でも意味は?」
「意味?ほら雪が降っています。そこにどんな意味があります?」

というくだりがある。チェーホフ偉大なり。


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St. Jan Hospital








聖ヤン・ホスピタル。


手前の運河に突き出た小さい部屋は隔離病棟で、死人が出たらそのまま運河に流していたそうである。




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ブルージュと白鳥








愛の湖まで散歩。




ブルージュに白鳥が多いのは、
市民が起こした反乱を鎮圧した際、
支配者側が「この事件の記憶として永久に白鳥を飼い続けよ」
と言ったから、ということになっているが、

どうも「まんじゅうこわい」系の話であるような気がする...


それとも白鳥の飼育は反乱を起こしたことを後悔させるほどに徒労が多いのだろうか。


白鳥じゃなくてワニだったら...などと、つい考えてしまう。


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