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ハルマゲドン




先日、記事を書いていて芋づる式に出て来た「ハルマゲドン」。

21世紀を迎える直前には終末論が気になる人々の会話によく登場したものだ。



「ハルマゲドン」は今もイスラエルに実在する地名である。

初めてその側を乗り合いバスで通った時、古い物語の中に入り込んでしまったような気がした。
史実としての「関ヶ原合戦跡」とか「ウォータールー」と案内が書かれている土地を見るのとはわけが違うと思ったのだ。

「Har-Megiddo」と書かれた交通表示があるだけで他には何もないラクダ色の広野。
最終戦争の予定地。終わりであり、かつ始まり。
(広野であるからして、布陣を組みやすそうな場所ではあるが、相手がお互い丸見えで、それは兵法的に有効なのだろうか?最終戦争だから正面衝突というわけか?)

ピラミッドや喜望峰を見た時とも比較にならないほどの「ショック」だった。古代の大建造物や大陸の最南端などという実在するものではなく、言葉によって織りあげられた「物語」に動揺させられているという、そのことについてくよくよと考え続けた。

いつか起こる「と言われている」善と悪の最終戦争。
救済も希望も未だなく、破滅も絶望も未だない。
まるで生きることそのもののよう。



湾岸戦争が始まる前、シャバット開けの夕暮れだった。



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