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Brugge Style
エッフェル塔はパリのシンボルに
通常はベルギーのブルージュからパリを目指すので、パリの環状線には北のサン・ドニから入り、パリの市門のひとつであったPorte de la Chapelleで入市するのだが、今回は大西洋にそってカレー、ルーアン、途中ジベルニー(モネの庭のあるところ、冬だから今回はパス)などをかすめ、西のブーローニュの森16区の方から入市した。
エッフェル塔はパリの街の中心からさまざまな角度で、お天気によってはっきり見えたり、雲のスクリーンの上に映る映像のように見たり...久しぶりにこんなに近くで見た。
19世紀の作家、モーパッサンは、エッフェル塔1階のレストランによく通ったという。
好きだったから? ではなく、「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」だと。
(モーパッサンの『ベラミ』や『脂肪の塊』は、今読んでも相当おもしろい)
エッフェル塔が建設された1889年当時、多くの芸術家や知識人はそのデザインを酷評した。
フランスの伝統的な建築様式に親しんでいた人々にとって、鉄骨で構成された巨大な塔は「無用で醜悪」な存在であったという。
これは、当時のフランスの建築界が「ボザール様式(Beaux-Arts)」を理想としていたことと関係がある。
ボザール様式は、古典主義に基づく石造りの、対称的で、装飾豊かなデザインを絶対視しており、「美しい建築とはすなわち石を用いた美的デザイン」という固定観念が根強かったのだ。
そのため、錬鉄(現代は主に鋼鉄、錬鉄以前は耐久性に劣る鋳鉄)素材そのもののエッフェル塔は「工業的すぎる」「芸術ではない」と見なされたのである。
上記のモーパッサンやシャルル・グノー、アレクサンドル・デュマ・フィスなど、著名人300人が連名でエッフェル塔に抗議したのは有名だ。
彼らはエッフェル塔を「醜悪な鉄の怪物」「ボルトで留められた鉄の煙突」などと酷評し、その影はまるで「パリに落ちたインクのシミ」のようだとまで。
しかし、時代が進むにつれてエッフェル塔はパリの象徴として受け入れられ、今では世界的に愛される建築となっている。
この写真は、1870年創業、2012年に改装された、ポン・ヌフのたもとにある百貨店、サマリテーヌ。
外観はアールヌーボーとアールデコの折衷のようで、内部には錬鉄性の美しい階段と天井がうまい具合に保存されている。
19世紀の産業革命により、鉄とガラスを多用した建築が急速に発展した。
特に、鉄骨構造は広い空間を支えるのに適していたため百貨店(ボン・マルシェ、ギャラリー・ラファイエット、プランタンも)、鉄道駅(オルセー、サン・ラザール、リヨン駅など)、橋(アレクサンドル3世橋)、万博会場(ロンドンの水晶宮)、パサージュ(ギャラリー・ヴィヴィエンヌ、ギャラリー・ジェフロワなど)、市場(レ・アル)など、産業革命と手に手を取った作品が多く生み出された。
なんと美しい百貨店。
こちらも当時は散々な言われようだったそうですよ...
美的価値観というのは決して普遍ではない、ということがよくわかる。
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