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アンティーク・ハンティング




わが家から車でやや北西へ行くと、オックスフォード、そしてコッツウォルズがある。

ご存知のように有名無名の麗らかで愛らしい村がたくさんあり、ここ、サイレンセスターはその中心都市で規模が大きめのコミューンである。
コッツウォルズのかわいらしい村には観光客が多い一方、こちらはローカルが多い印象だ。

わたしがサイレンセスターに来るのはアンティーク宝探しのためだが、この日は目的を同じゅうする人々、また聖堂前にマーケットが出て賑わい、ティールームのテラス席も愛犬連れの人でいっぱいだった。




アンティーク家具を見に行っても何も買わない日ももちろんある。
夫はわたしが良ければいいのスタンスではあるものの、運送や、家の部屋のドアから入るのかなどの実利的面では口出ししてくる。一方わたしはそういうことは考えず、美しければいいと思っている。

この日はラッキーで、ほくほくとマホガニーのチェストと、同じくマホガニーの小テーブルを購入した。




こちらの正面のはちみつ色の石で建てられたサイレンセスターの聖堂は、16世紀前半、ヘンリー8世による修道院解散令により破壊された。
残っているのは、ノルマン時代のアーチとその周辺の壁の一部のみ。

ヘンリー8世が、教会や修道院などを徹底的に解体し、その財産を没収したのは、きっかけとしてはローマ教皇を無視して離婚して再婚するためだったが、教会の莫大な富と土地を国王のものにするという政治的・経済的な動機も大きかった。




この500年前の教会・修道院の「解体」は、わたしは現代の英国にかなり大きな影響を残したと考えている。

当時の修道院は単なる宗教的な施設にとどまらず、学問や技術の中心であり、農村社会の文化的な支柱でもあったからだ。
修道院の土地で農業や技術は発展し、文字文化が継承され、祝祭や芸能など、地域文化を育んできたのだ。
しかしそれを破壊することによって、修道院が持っていた知識の伝承や地域共同体文化の伝承、支えが失われてしまっただろう。

修道院の解体で没収された土地はヘンリー8世によって富裕層に売却され、牧羊などのによる利益を求めてエンクロージャー(囲い込み)に転用された。
これにより農民の立ち退きや貧困が拡大し、貧民の都市移住へとつながる。

この社会の転換で英国社会は世俗化し、商業的な価値観が支配するようになった。


賢明なあなたは、これで英国の料理がまずい理由がお分かりでしょう。

英国料理がまずくなった理由は産業革命の時代に求められることが多いが、料理文化はローカルな人々が、ローカルから引き離されたことによって起きたのである。
これはもうどうしても取り戻せない英国の宿痾なのである。
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