goo

あらかじめ失われた神戸を求めて





当ブログ上には故郷・神戸にまつわるテキストがたくさんある。

たくさんあるが、どれも異曲同工、主旨はどれも同じだ。


「思い出の中の美しい神戸に触れたくなり、欧州から期待に胸を膨らませて里帰りするのだが、懐かしく美しい神戸はどこにもない。神戸が時代とともに変わってしまったからではなく、もしかしたら昔から『神戸』なんぞどこにもなかったのかもしれない」

という主旨だ。

あるいは「主旨」が自分でもよくわからないから、何度も繰り返し神戸についてのテキストを書き、分かろうと努めているのかもしれない。

だからほとんどの方には意味不明なのかもしれない。


神戸は山と海とその間に広がる空を残して、あのころとはすっかり変わっている。

子供の頃から特別な日に出かけていたオリエンタルホテル、正装する勢いで出かけた神戸大丸、70年代後半から80年代にかけて人気だった異人館通り、メリケンパーク、これらは同じような場所に改装されて残ってはいるが、数十年前とは完全に姿を変えている。

たとえばかつてわたしが青春の時代に親しんだおしゃれなケーキ店やバアなどは跡形もなくなってしまってい、ではそれらが神戸的だったかといえば、それは単に一時代的なもの、自分がたまたま年頃だったからそう感じた(感じる)に過ぎないのではないか、と思う。

80年代の神戸の勢いにしたって、たまたま自分の勢いのある年頃に重なっていたから魅力的なのかも。
あれも一過性のものだったのだ。

異人館がカフェに利用されたのも、安藤忠雄氏の建築が軒を並べて活気があったのも一過性のもので、それらが神戸的かと言われたらそれは一時代を象徴するものでしかないのだ。


わたしは思い出の中の美しい神戸を捉えようとして、毎日神戸の街をうろうろするのだが、それはどこにもない。

ではそれはどこにあるのかというと、強いて言うなら、「租界」「旧外国人居留地」のイメージや、アガサ・クリスティのエルキュール・ポワロシリーズの事件が起こるホテルや閉ざされたグループの中、あるいは「カサブランカ」で亡命せんとする人が集うクラブや、ツヴァイクの『昨日の世界』なんかの中にはっきりとあるわけですな(わたしはひどい帝国主義の植民地主義者なのであろうか)。


当然、わたしが物心ついた頃には外国人居留地はなかった(安政五カ国条約に基づき1868年に作られて1899年に返還された)。そういうものがあった、という雰囲気と、19世紀末に生まれたらしい気質を脈々と受け継いで舶来の物を好む大人がいただけだった。

才能があったら、神戸版『昨日の世界』(ツヴァイク)を書くのだが。
わたしには彼のような感受性も筆力もない上、『昨日の世界』が、失われつつあり、二度と取り戻せない世紀末ウイーンの実体験談だったのに対して、わたしが生まれたのは居留地がなくなってからだし...常に遅れてきている、それがわたしだ。


ついに帰るところがなくなってしまったような気がする。

外国で遠くから、いつか神戸に帰るのだと思っている方が幸せなのかもしれない。

だから、今朝は第二の故郷ブルージュで、第一の「どこにもない」故郷、神戸のことを思っているのだ。



御影、香雪美術館
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )