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内部が暗く、ほとんどどの写真も上手く撮れておらず、残念。


ヴィクトリア・アルバート博物館で開催されているバレンシアガの回顧展へ行ってきた。

もちろんうれしがりゆえバレンシアガを着て! 
すごーく昔のだけど...


そうしたら、うっとりするほどハンサムでおしゃれな男性に(多分業界の人)「あなたのドレス、素敵ですね」と声をかけられ、それが今日のクライマックス。

もうバレンシアガの歴史なんぞどうでもよくなってしまった。


レポートおわり。


いやいや。

デザイナーの回顧展といえば、最近ではアレクサンダー・マックイーンのが大成功したことが記憶に新しい。

あれを超えるデザイナー回顧展は、規模の点でも、充実面でも、感傷的な度合いでも、なかなかないだろうとは思う。


バレンシアガは、98年に在りし日のグッチ・グループが買収して一斉を風靡したあのバッグなどで盛り返すまでは、長く忘れられていたデザイナーだった。

忘れられていた理由は、バレンシアガ自身がオートクチュールにこだわったこと、ライセンス製品のせいで名前の価値が暴落したことではないかと思う。

バレンシアガ自身はライセンスものの服や帽子に正確度を求めたらしいが、例えばあのデザイナーの名前入りのバスタオルやコーヒーカップ、あの安物くささといったらない。

また、時代が変わり、ライセンスものであっても「頭の先からつま先までの一揃え」(帽子とドレスと共布のコート、共布の靴など)を着る層が減ったからだろう。

わたしが子供の頃、女性はオーダーメイドの服(か、自作の服)を着ているのが普通で、あれらはディオールのコピーだと思っていたが、「バレンシアガ」のコピーが多かったのかも!


展示物には、今見ても、いや、今見るからこそ、すぐにでも着たいドレスがたくさんある。
特にブラック・ドレス。

バレンシアガ活躍した60年くらいまでの人々は、2017年の女がこのように思うと想像できただろうか。
2017年に人はどんな服装をしていると思うかと人々に質問したら、多くが「宇宙服」と答えたんじゃなかろうか。

そこでクレージュですよ。クレージュ、今調べたら、バレンシアガで10年働いていたそうです!


単に綺麗なドレスが展示してあるだけでなく、レントゲン撮影を通したパターンの解析があったのは最高におもしろかった。

それを見学した後、バレンシアガについて語る現代のデザイナー(どなただったかは失念してしまった)が、「バレンシアガは(布の)グロテスクさを熟知していた」と表現していたのは上手いことを言うなと感心した。


もうひとつよかったのは2008年に撮影されたドキュメンタリーの一部。

バレンシアガでカッター(採寸から仮縫い、本縫いまで一連の作業を担当する人)をしていた男性が、1954年の女性用スーツを、バレンシアガの顧客であり友人であったスペインの公爵夫人の娘(かなりお年)のために作成する様子。

その作業は職業とか技能というよりは、まるで魂の浄化に関連する、なんと言えばいいだろうか、神に奉納される武術の儀礼であるかのように見え、なぜか懐かしいような、ものすごく尊いような、そんな気にさせられた。



クリスチャン・ディオール御大はバレンシアガについてはこう言ったそうだ。

「オートクチュール界は、バレンシアガが指揮者のオーケストラのようなものだ。われわれデザイナーはミュージシャンで、バレンシアガの指示に従っている」と。
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