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手袋の作法




日本の友達から女性の手袋の作法についてちょいと教えてと請われ、書いてみた内容を再現。


こういう話題は「マナーやエチケットなんかナンセンス」と攻撃されがちだ。
ネットという媒体は、ネット以前にはなかった、さまざまな価値観の人が衝突し合う新しい場なのだと思う。

マナーは他人の警戒心を解くものだ。どこで誰に会っても最低限通用するマナーを身につけておくことは、自分が無冠で無力であればあるほど、特に他人の庇護を常に必要とする子供には必須だと思う。大人は子供が1日でも長くサバイバルできるように厳しく躾けるのだ。

だから、死ぬまでずっと同じ価値観を共有している人たちの間でだけ生きて行くつもりの人には、実際、無用の長物だろう。「手袋くらいしたいようにしたらいいじゃないか」と思う方は、読んでイライラしないでね。

......


彼女の質問がまず、「室内でもはずさなくてよい手袋とはどういうものか」だったので...

女性が室内ではずさなくてもよい類の手袋は、最も格の高いキッドや絹製の手袋。これらは服に合わせるのではなく、服を手袋に合わせるものだと思う。キッドや絹の手袋をはめている、あるいは手に持っている「格」に、服が負けるのは、わたしの感覚ではみっともない。

箇条書きで質問に返答:

毛糸の手袋は子供のもの。
屋外用の手袋は、いくら高価でおしゃれであっても、女性でも室内では絶対にはめたままにしない。
はずすタイミングとしては、日本なら訪問先の玄関前でコートなどと一緒にはずす。欧米なら、玄関でコート類を取ってもらう時にはずせばよい。
パステルカラーのキッド製や絹製の手袋ならば、女性は室内でも食卓につくとき以外ははずさなくてもよい。
しかし、そういう手袋はどんな服にでも合うわけではなく、現代的な服装に合わせるならば、分かりやすい例としてエリザベス女王のような服装を参考にすればよいのではないか。
オペラ手袋はパーティーなどでドレスに合わせる。ただし法王、大統領、王族と握手する場合(笑)ははずす。
食卓でもはずす。

補足として:

エリザベス女王の服装は例として出したが、現代のおしゃれの解釈として、比較的フォーマルなスーツやワンピースに淡色シルクジャージ製やレースなどの手袋をし、室内でもはずさない「おしゃれ」をするのはありだと思う。現にわたしが子供の頃は庶民の女性も「よそいき」に、防寒用ではない手袋とトーク帽などを合わせていた。
わたし自身は90歳くらいになったらエキセントリックなおしゃれをする老女になって、そういう格好をしてみたいなーとは思う。

ただひとつ、格の高い手袋をする時は服がそれに負けないこと、これは守るべしではなかろうか。


(防寒防傷用ではない)手袋の意味とは何かという質問に対して:

富と権力と階級の誇示ではないか。
ヴィクトリア&アルバート博物館で開催されているPleasure and Pain展、「靴」の歴史の展覧会では、靴には防寒や防御という実用性がある一方で、古今東西の実用性に欠ける靴は、富と権力と階級(靴の場合はセクシャリティも)の誇示に他ならないという説明がされていた。もっとあっとおどろくような説明を期待していたのだが。

手袋も同じではないだろうか。
淡い色の手袋なんかすぐに汚れるに決まっているし、それを常に最高のコンディションで着用しているということは、「労働とは無縁である」「常にシミひとつない手袋をしていられるほど豊かである」「あくせくする必要がない」「儀式のために正装するほど位が高い」ことのシンボル。


文化とは、元々めんどくさく、手間がかかり、複雑で、グループ内だけでシェアしたものだと思う。
欧米の言語で「シンプルな人」と言うと褒め言葉ではなく、文化資本が乏しく、複雑なもの(つまり文化)が理解で
きない人、必要としない人という意味だ。

なくてもいい飾りとか、形骸化されて誰も起源を覚えていない習慣とか、そういうものの中にこそ、人間がどのよう
に人間になったかという秘密が隠されていると思う。

差別はあってはならないが、グローバリズムで世界が一色に塗りつぶされてしまうのはわたしはごめんだ。世界中の人がTシャツとデニム、という世界よりは、多種雑多な文化がより多く今後の世界に引き継がれていく方を望む。



以上、もしも明らかな誤りがあればぜひ教えて欲しい!!
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