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あれから2年・外国人の2年間




夫の仕事の都合でベルギーから英国へ転居が決まったのが2年前(2011年)の6月。
娘が英国の私立女子校を受験したのが7月。
8月には家を探しまくり、
無事中学部へ進学したのが9月。
引っ越しが完了したのが10月。

今週、娘は中学2年生の学年度を終えた。
上位4パーセントの生徒に与えられる成績優秀賞を式典で受賞するというおまけつき。
本人は know it all タイプのティーンエイジャーらしく、「全然たいした賞じゃない」などと涼しい顔で言っているが。


誉められる、ということはすなわち「居場所ができる」「そこに居ていいという承認を受ける」ことである。
幼い子が誉められながら成長すると精神的に安定するというのはそういう理由でだ。
人間にとって、確固とした居場所があるのがアイデンティティのベースなので、英国では「外国人」である娘にとって、受賞はさらなる自信につながるだろうという意味合いで母親は喜んだ。
感動しいの夫は式典で涙ぐんだと言うし、祖父母連はお祝いは何がいいか早く教えてくれと矢の催促。それぞれ温度が違う。


外国人...そうだ、学校が大好きで、朝から晩まで充実した毎日を送っている彼女にはふと寂しさの影が差すことがある。
それは自分は外国人である、お客さんである、という寂しさだ。寂しさと言うと語気が強すぎるかな? 

端的には、学校で「我らは英国人である」という旗の下に、言わず語らず皆が団結するとき感じる、かすかな疎外感のことだ。
女王陛下の誕生日などの王室ネタ。去年のオリンピックでの英国人の活躍や、先日ウィンブルドンで77年ぶりに英国人が優勝したこと。英国祝日には親戚一同家族の友人一同が集まるとか、夏は毎年イングランド南西部の保養地で過ごす習慣、「英国中の親戚に土地のスラングを聞き取りし、分類すること」という宿題が出るとき。英国料理が少しも旨いと思えない、英国独特のスポーツのルールを知らない、など。

子供の頃からこうしてきた、両親も祖父母もこうしてきた、という物事への取り組み方、考え方。
何かをする時に自然と醸し出される、言外の「私たちは英国人だからこのようにするのが当然」という空気。
わたしも外国生活が長いので、そのような空気が漂う場面は多々知っている。単位が国民民族でなくとも、(趣味や職業のグループ等々)ふと居心地の悪さを感じることはあり得る。わたしは今は学校や会社等のグループに属していないためか、おばちゃんになったせいか別にどうでもいいことだと思っているが、学校で日々の大部分を過ごすティーンエイジャーにはどうでもいいと思えないケースがあるのではないか。


彼女がたまに「ブルージュに帰れたら!」と腹から絞り出すように漏らすのはそういう理由がある。
完全なブルージュっ子である自分、ブルージュの街も文化や習慣も細部まで身に染み付いている自分、教えられるより教える側である自分、お客さんではない自分(つまり主人ということか?)...そういうのを懐かしがっているのだ。


来年の今頃はブルージュへ本帰国する算段をしているだろうか? あるいは英国で暮らす外国人として(わたしはどちらに住んでも外国人だが・笑)心機一転しようとしているだろうか?

「あれから3年」の記事はどのようなものになるだろうか。
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