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chopin nocturne in c minor op. 48 によせて




最近はフォーレとプロコフィエフとプーランクと、もちろんバッハを練習中の娘のお楽しみが、ショパンのノクターン13番を弾くことだ。
娘がショパン・ファンを自称し始めた頃、わたしが一番好きなショパンとして聞かせたら、たちまち彼女にとっての一番にもなり、それ以来時々弾いているのだ。
他の曲の練習はさっさと終わらせてしまうのに比べ、この曲は一種の情熱とともに練習しているのが分かる。聴いている方も気持ちがいい。
今のピアノの先生は大層難しい方なので、娘はこの曲を見て欲しいとは自分からはとても言えないらしいが。


13歳から15歳くらいで、ずっと続けていた楽器などの稽古を一旦止める人は少なくないのではないかと思う。
これは自分自身の経験からと、子を持つ人の話などからの帰納。

勉強や部活、趣味や友人関係が忙しくなるのはもちろんだが、今までは親に言われたからやっていたにすぎないお稽古を「止めたい」と理屈で説明できるだけの知恵がついてくる。同じ曲を次の次元の完成度を目指して繰り返し教える先生にうんざりして、「なぜそこまで」と問うことができるようになる。あるいは自分の能力と関心の限界や、理想との齟齬を客観的に見つめられるようになるからかもしれない。こういう「目覚め」は人間の成長としては決して悪いことではないと思う。
続けてもいいけど、技術や理論はもういいから弾きたい曲だけ弾きたいよ...どうせプロにはならないんだし、それが無理なら止めたい、もっとおもしろそうな楽器に乗り換えたい、みたいなことを言い出す。


もうかなり前のこと、娘にもそういう時期が来た。
英国では音楽教育は「グレード」試験パスが目的になっている一面があり、試験に通るための地味で陰険なレッスンは子供を音楽嫌いにする要因になっている...とさえ言っていいかもしれない。娘はグレードは終了しているので、コンクール等に出ていい成績を出すのが現行の目的のひとつで、こちらの練習も同じように地味で陰険で巨人の星的練習を要求してくるのだ。
家族としても、同じ曲を傷の入ったレコードのように何度も聞かされ(特に気持ちの入っていないいいかげんな練習を何度も聞かされるのは精神の安定に悪い)、なだめてすかして練習させ、弱音を吐かれたり、グズグズと文句を垂れるのを励ましたり仏の笑顔でやりすごすのは簡単ではない。
そしてついに怒る母。仏の顔は3度までですよ。

ある日とうとう娘が「ピアノは絶対に止めたくないけれど、同じバッハを半年もやらされるのはもうたくさん! 気が狂いそう! わたしはショパンが弾きたいのよ!」と言った。
試験勉強と宿題と、オーケストラの練習、コンクール初出場へのプレッシャー。そしてたまたまその日、休み時間中の友達とのお楽しみで弾いていたアデルの「スカイフォール」の楽譜をピアノの先生に見られ、「あなたみたいなピアニストがこんな曲を弾いてるの?!」と苦笑された、と言う。
この先生は優秀なピアニストであり熱心な教師だが、このように思ったことをすぐに口に出すという困った癖をお持ちなのである。例えば「あなたが他の先生にピアノを教わって来たことが邪魔になるのよね。わたしがあなたのたった1人の教師だったらどんなによかったか!」とか。言うなら言うで、もっと上手いこと言えよ(笑)。

わたしとしては「日本には『守破離』という言葉があってね...」などと説教を垂れてうんざりされることにも疲れていたし、ピアノ嫌いになってしまうくらいなら(<自分がピアノを止めた頃を思い出している)、純粋に楽しみのためだけに教えてくれる先生を探してもいいかな、と思ったりもした。コンクールはエントリーを済ましていたので、それが終わり次第...いや、この年度が終わり次第...そう、プロになるわけじゃないんだし...ただ、ショパンが好きならそれは続けて欲しい。


そうしたら某音楽祭の某部門で優勝して人生初のトロフィーを頂いたのだ。
その後も続けて何度か。

ええ、その次はもうお分かりですよね...

次のコンクールにも出たい、どんどん出たい、もっと難しい曲を弾きたい、地味な稽古も止めない、とこれですよ。


彼女の単純さを笑うこともできるが、人間が何かを続けるためには密室の練習だけでなく、発表会やコンペティションに出、誉められ、賞をもらい、名前が印刷物に踊り、あるいは試験にパスし、特別なグループに入れてもらう、そういう達成感が絶対に必要なのである。
天才じゃない限り。

天才とは「好きなことを長く太く続けられる才能」だと言うが、いや、天才とはひとつのことを誉め言葉やトロフィーなしでも、たとえ失敗続きでも、長く太く続けられる才能のことだ、と言い直そう。


うちの娘はとても天才じゃないので、側にいる時間が一番長いわたしが仏になって誉め続けおだて続ける所存である。

誰かわたしがおだての天才だと誉めて(笑)。
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