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死海文書を見た、頃




「約2000年以上前に羊皮紙などに書かれ、1947年以降に死海のほとりで発見された「死海文書」の全編が、デジタル撮影されてインターネット上で公開されることになった。イスラエル考古学庁(IAA)と米検索大手グーグルが19日、共同プロジェクトの計画を発表した。」(ヤフーニュース「死海文書」をデジタル化、ネット上で全編公開へ)

このニュースを読んで、グーグルの独擅場っぷりが空恐ろしくなったのだが。
それは置いて。

いろいろ思い出す。


学部生時代、わたしは中東に住んでいた。

歴史学者になる夢を見て彼の地へ留学したのだった。


何だったのだろう、年齢的なものもあったのだろうか、結局、勉学よりも自分探し(笑)に明け暮れ、ほとんど何も身に付かなかった。

周りの生徒は英国人、アメリカ人、フランス人、ドイツ人、ポルトガル人、ブラジル人などいろいろで、しかし彼らには「ユダヤ人」という共通のアイデンティティがあり、いったい何の関係もない日本人がここで何をしているのか、という感じだったから(みんなには本当によくしてもらったけど)、それでわたしは自分探しに目覚めたのかな...

今考えてみたら、「縁もゆかりもない」日本人としては、例えば「ユダヤ人」という思考の色メガネをかけていない、ユダヤ文化圏の外の人間としてモノの見方を提示する、などできたであろう。まあ何年も経ってから言うは易しですな。

で、「見つからない自分」の代償行為に恋愛にはまったりした。恋愛というのはアイデンティティを補強するための劇薬であるわけで。効き目も強いが副作用も強けりゃ、覚醒時も辛い、と。

そして戦争が始まるとともに撤退を余儀なくされた。

帰国してしばらくして、わたしは別のことを学ぶようになった。



今ではTVで会話を聞いてもほとんど理解できないが、当時はヘブライ語もできたのである。
ヘブライ語は神学や神秘主義との関係もあって非常に興味深い言語なのだ。

死海文書はエルサレムの死海文書館で見た。
あれの解読に参加できるような学者になっていたら(そんな才能はないから心配はないか)...まずベルギーには住んでいなかっただろう。

でも、探す自分などどこにもない、ということが分かったのは、ベルギーでの生活のおかげだから(単にベルギーに住んでいる間に年をとっただけなのかもしれない)まあ、人生、どうなるか分かりません。



もえ、はこのように書きます。右から読んでね。


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