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Brugge Style
信じる?
娘はキリスト教系の学校に通っている。
わたしも幼稚園から高等学校までキリスト教の学校に通ったが、昔と今ではテキストの出来が全く違う。
一番大きな差は、(宗派によって取り組み方は違うだろうが、この学校の場合は)キリスト教の時間に他の宗教について学んでいることである。
今度の試験範囲には世界宗教の起源や体系が入っているらしい。へえ~、高度なことしてるねんな。
テキストをざっと見てみたら、どうやらこの筆者チームはキリスト教徒を再生産することよりも、「人間はみな違うのです」というテーマを強調することに熱心らしい。へえ~、一皮むけましたな。
ベルギーは多言語/多民族から成り、移民も一時的に住民となる外国人も多いため、そういう教育の仕方は現実に最も合っているのかもしれない。
あるいは宗教界における新たなる戦略?
娘が「ママは神様を信じている?」と聞いてきたので「信じてない」と即答した。
夫はわたしのこういうバカ正直な態度が邪悪だと言うが、わたしは娘には『できるだけ』正直に話をすることにしている。嘘をついてこじれる方がイヤだからだ。
しかし「これはわたしの考えであって、間違えているかもしれないし、考え方は変わるかもしれない」と強調しても、子どもが母親の意見から多大なる影響を受けることは事実なので、たとえ話を駆使してじっくり話す。
「じゃあ、イエス様のことは信じている?」と、とりつく島を求めて聞いてきた。「人間が彼の教えを取り入れて、すばらしいことができるという可能性は信じる。」と言った。
信じるか信じないか、そんな勉強してないやん。なんでそんなこと聞くん?
「わたしはね~、ママのことを信じてる!」
それはまたおそろしい飛躍ですな...その言葉でわたしが善を為すように縛り付けようとしてる(笑)?
「ママは山姥を信じてる?」
なんや、わたしとヤマンバが同系列か...と言うか、「信じる」の意味が変わってきてるやん...
「じゃあね~、どうしてたくさん神様がいると思う~?」
ああそう聞かれると思ったよ。
単に、真理(神でもいい)というものを人間が知ろうとしたら、それだけたくさんの宗教が必要、ということなのである。どの宗教も真理の一つの側面を表している。
どの宗教も自分のやり方で真理に至ろうとしていて、その過程一つ一つのユニークさが必要なのである。
と、わたしは思う。
だから「ウチの教えであなたも真理に至れます」とか「ウチの教えだけが正しい」という宗教(や主義。スポーツの祭典を開こうとしている某大国とか)には気をつけた方がいい。
わたしが一番怖いのはその狂信から動けなくなっている人たちだ。
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