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ホテルの部屋にもクリスマス・ツリー




ベルギーのブルージュに戻ってきた。

同じホテルに投宿。

先週はクリスマスの飾り付けが始まったばかりで、部屋にはまだなかった...なかった...




ツリーが!! 
ドアよりも背が高い...
各部屋にひとつずつ、ツリーがあるなんて贅沢だ。

今夜はこれを見ながら眠るのだ。


イングランドの家のツリーは、3つ目を玄関ホールに出したところで途中で出てきてしまった。
帰宅したら早速完成させよう...
世界に光を灯そう...


9つの部屋があるこのホテルは、どの部屋もデザインが異なる。
今までいろいろな部屋に泊まったが、「驚異の部屋」並みに装飾品やものが多いのにゴタゴタせず、統一感と安定感があるのは「スタイルがある」からなのだろう。

写真のこの部屋は色に統一感を与えるために、古本の表紙までオフホワイトに塗ってある。
家ではそこまでできませんよね...
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サンタのヘルパー、仕事はじめ




夕方、ブルージュの常宿 The Notary に戻ると、クリスマスの飾り付けが始まっていた。
昔は12月6日の子供のお祭り、聖クラース祭(聖クラースはサンタクロースの原型になった聖人)が終わってから準備したものだ。

ホテルでは今日から、エントランスのホール、サロン、庭、図書室...そして各部屋にも飾りつけをするそう。

クリスマスの準備に忙しいサンタのヘルパーたちの舞台裏の仕事姿、見ちゃった感じ...これほどワクワクすることって他にある?




あ、ツリーにライトが巻きつけられた模様...




これでもまだ完成形ではない。




夕食後、23時前、入り口のドアを開けたら、もう誰もいないエントランスに完成形のツリーが闇に浮かび上がった...




ヨーロッパは冬時間になり、一気に夕方が暗くなった。
その分、光が映えるのである。
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ベルギー解放80周年




モエはロンドン?

という写真で始まる今日のオハナシ。


ブルージュで友達とランチで盛り上がっていたら、鼓笛隊の音色が聞こえてきた。
(ランチはL'Aperovino Wine & Tasty Tapas で。オーナーマダムが友達の友達でソムリエ。おすすめです)

わたしは大きな窓に向かって着席しており、窓の外を英国陸軍のグレナディア・ガーズがおもちゃの兵隊さんのように行進するのを見て、ブルージュの景色が一瞬で「ロンドン」に変わったと、目を丸くした。

それだけ、彼らのコスチュームにはインパクトがあるということだ。

グレナディア・ガーズ以外のどの軍の制服を見ても、どこの国の何隊かというのは、わたしにはわからないと思う。




どなたもご存知と思うが、特徴的な黒い帽子は「ベアスキン」Bearskin。
その名の通り、カナダ産の黒熊の毛皮で作られており、高さ約45センチもある。
もともとはナポレオン戦争時にグレナディア兵が着用していた帽子で、兵士をより大きく、より威圧的に見せるためのデザインだ。

威圧的というよりもコミカルだと思うのは、わたしがこれを平時にしか見たことがないからか。



その時食べていたL'Aperovino ランチのメイン・ディッシュ。
前菜はサーモンの刺身。


グレナディア・ガーズ(Grenadier Guards)は、イングランドの最も古い近衛歩兵連隊のひとつだ。

その起源は1656年、ピューリタン革命により大陸に亡命せざるをえなかったチャールズ王太子(後のチャールズ2世)が、亡命先のブルージュで自分の護衛部隊を設立したことによる。

チャールズ2世がブルージュに拠点を置いたのは、現代でも英国島から大陸へ海峡を渡ってすぐという地の利や、当時スペイン領ネーデルランドの一部であったブルージュが、自分を追放したイングランドの議会派政権とは距離を置いていたからだろう。

ピューリタン革命は、専制的な王権に対する議会の力を強化し、近代民主主義の基盤を築いた、一方で、宗教的・政治的な対立を激化させ、クロムウェルによる独裁的な統治をもたらした。

英国でフランス革命のような急激な革命が起こらなかったのは、すでにピューリタン革命があったからだと考える研究者もいる。



ブルージュの人気ショコラティエ、チョコレート・ラインのウインドウには
数トンのチョコレートで制作したカナダのシンボル、バッファローが登場して街の話題になっていた。
カナダ軍の兵士は、ベルギー解放で多くが犠牲になった。


最後になったが、この日9月12日にブルージュで行われたグレナディア・ガーズ音楽隊のパレードは、1944年のベルギー解放の80周年を記念している。


ベルギーは第二次世界大戦中の1940年、ナチス・ドイツに占領された。

1944年のノルマンディー上陸作戦が成功し、連合国軍が西ヨーロッパを解放していく過程で、同年9月にベルギーも解放された。
この解放作戦には、英国、アメリカ、カナダなどの連合軍が参加した。

まあ...戦争の悲惨さや犠牲を記憶するのは非常に大切とはいえ、外国軍がわが物顔で街を平和パレードするのはどうなのか。

平和の象徴が軍であるというのが、今の時代合わない、いや合わないと考えねばならない。

軍事による解決、軍事による平和よりも、別の次元のより平和的な解決、つまりは対話や協力を求めるべきと思うからだ。
とにかく、軍が「平和の名のもと」にパレードを行う趣旨には、わたしは両手をあげて賛成できない。

しかし軍事主義的な威圧感をも、グレナディア・ガーズの特徴的な制服と、コミカルなベアスキンが多少中和していると強く思う。
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嵐が秋を連れてきたブルージュ




前回すでに書いたことだが、水曜日のブルージュはひどい天気だった。

気温は真冬用のコートが必要なほど下がり、ホテルの部屋には暖炉を入れ、真っ青な空が広がったかと思うと、5分後には槍のような雨...
風が吹き、傘を飛ばす。
その後にはハケではいたかのような青空、そして5分後はまた大雨...
一日中。

とても、とてもベルギーらしい天気だ。

ベルギーらしいといえば、友達が当てにしていたレンガ職人さんが待てど暮らせど来ず、急に「明日行きます」と連絡してきたという(これも前回書きましたね...)。
連絡が来るだけマシ、これもベルギー、あるあるなのだ。


また、夫がブルージュの市役所に書類を取りに行くという用事があり、事前に何度も電話で「ブルージュの市役所で受け取るのですね」と念を押してのうえのことだった。
しかし、当日窓口へ行くと「あなたの現住所は英国にあるので、ロンドンのベルギー大使館に取りに行ってください」と。

ああ、これぞベルギーのお役所仕事である。
彼らは全く無礼というわけではない、ないけどね...

こういった職人さんの仕事の約束や、お役所仕事は、人間の力ではどうにもならない「悪天候」のようなものだと彼らは思っている...




暖炉は年中活躍。
昼間は暑くても、朝晩が冷える時期、暖炉を入れるのは最高だ。
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大邸宅 ブルージュの場合




昨夜は雨、夕食後、夫とひとつの傘を使ってブルージュを横切ったのはなかなかロマンティックだった。

今朝は唸るような大雨の後、快晴。
晴れ女だから...

かと思えば、お天気雨。

変わりやすい天気と、予定通り来ない職人さん(<明日会う予定の友達が、「レンガ職人さんが来るはずだったのに...」と、さきほど)はブルージュの名物である。


「忙しくなりそうな9月」と書いたのだったが、現実逃避に忙しい。
ブルージュに来ている。




そういえば。

今、仕事中の夫に付き合い、コーヒーを飲みながらホテルの地図室に座っており、直前の記事で「城」「宮殿」「大邸宅」の違いを考えてみたのを思い出した。

それにに鑑みると、宿泊中のホテルThe Notaryは「大邸宅」の部類に入る。
Notary とは「公証人」の意味であり、19世紀に同建物に居を構えた公証人一家から来ているという。

大邸宅:富裕層や貴族が、快適かる誇示的に住まうための豪華な私邸。居住の快適さや美観に重点を置いているといえよう。
住み心地の良さや豪華な室内装飾を備え、権力よりも、富と社会的地位を反映している。


13世紀からブルージュはその最盛期を迎え、ヨーロッパ一繁栄した都市と謳われた。
その栄華は、交易、金融、毛織物産業に支えられ、富裕な商人階級が経済的・政治的に大きな力を持っており、彼らは都市の発展を支えただけでなく、ヨーロッパ全体の貿易と経済に深く関わっていた。

そこで公証人は、なくてはならない存在であったろう。





わたしは部屋数の少ないホテルが好きだ。
こちらは9部屋。

向かいにある、こちらも馴染みのデュークス・パレス(Duke's Palace)は、136部屋。
14世紀に建てられたフランダース伯爵の住居で、後にブルゴーニュ公爵の住居となった。
プリンセンホフと呼ばれただけあって、諸プリンスの宮殿。




また晴れました。
また、柴に吠えられました(笑)。


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