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ブルージュ ほぼ定点観測




先週のパリには春が来ていた。

今日は春は大陸で定着しているのか確認に来た。




ブルージュにも蒼い春が来ていた。

今週末からは夏時間になる...夏時間にするために1時間時計の針を進めるのはまだまだ早いんじゃない?! 春眠とか、そういうの、あなたたちにはないのか? と思うが。




夕焼けも春色!!
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ド・グレイ伯爵の肖像



トーマス・アーチャーによる、アーチャーのパヴィリオンの内部は明かりすらもついていない
トロンプ・ルイユがもったいない...



広大な庭園の先にあるアーチャーのパヴィリオンの外観


日曜日、アンティーク家具を見に、ロンドンを時計盤に見たてて1時の方向へ出かけた。

普段は来ないエリアに来たのだから...と、ついでにその近辺のナショナル・トラストかナショナル・ヘリテージ管理の邸宅と庭園を訪れることに。



母屋を庭園側から眺める


地図を立ち上げて調べると、城や邸宅が3つほど出てくる。

できるだけ帰り道の方向で...と選んだのが、ド・グレイ伯爵の持ち物であったフランス風のシャトーとフランス風庭園であった。

グレイ伯爵といえば、紅茶のアール・グレイの? と一瞬目を輝かせたが、ド・グレイ伯爵と、アール・グレイのグレイ伯爵は別... 
アール・ド・グレイで紅茶売り出そうよ(笑)
シャトーの修復代くらい捻り出せるかもよ!!



フランス式庭園...左右対称なのでこれは片側だけね
ヴェルサイユを彷彿とさせる広大な庭園の奥にはなんと「プチトリアノン」もあるの!!


アール・ド・グレイ、ド・グレイ伯爵のかつての邸宅はWrest Park レスト・パークという。

灰色(グレイだけに)の霧雨が機械仕掛けのようにときどき吹き付けてくるなか、庭園はよく手入れされた幾何学デザインのフランス式ですばらしかった。
わが家の庭は完全に英国式(造られた自然風)なので...新鮮に感じる。



母屋のライブラリー、図書室
こちらが一番当時の面影をとどめている


しかし相当残念なことに、フランス式シャトーは外観はともかく、内部は痛みが激しく、内装や家具も相当失われたようであった。

一見して、伯爵家の手を離れた後は、学校か病院に使われた感じだ。



こちらは野外ボーリングゲームの休憩所として造られたパヴィリオンの内部
この緑色、すてき...でも、荒れています
もったいなーい!!



やはり。
展示物によると、1914年から16年までに約1600人の兵士が治療を受けたという。
その際にオリジナルの内装や家具が撤去・破損されたと考えられたと考えるのが適当だそう。
長期間の放置と改築、さらい20世紀後半には農業研究センターとして使用され、オフィスや実験施設に改造されたため、元の内装が失われた。また、維持管理が不十分だったため、建物の劣化も進んだ、と。

現在も修復を進められているものの、多くの家具や装飾品が散逸し、完全に元の状態に戻すのは難しい。

ド・グレイ伯爵の肖像画ですら...




......


そういえば、90年代の初頭、大阪梅田の阪急百貨店横に、英国のナショナル・トラストの店ができたのを覚えている。

今、調べると、英国のナショナル・トラストに触発され、1993年に設立された日本ナショナルトラスト (National Trust Japan)の出店だったことがわかった。
自然環境や歴史的建造物の保護を目的とし、会員制によって運営されてい、例えば、明治村や旧グラバー邸などの文化財の保存活動を行っているそうである。



こちらはオランジェリー 
わたしはこういうバロックの左右対称の建物に目がない
その名の通り、オレンジの樹を栽培する温室は
イタリアでは16世紀から柑橘を栽培するための温室作りが盛んだったが
フランスで流行らせたのはもちろんルイ14世


英国には、本家本元ナショナル・トラスト National Trust と、後発のイングリッシュ・ヘリテージ English Heritageがあり、いずれも英国の歴史的建造物や自然環境の保護・管理を行う団体である。


ナショナル・トラストは1859年に独立した民間団体として設立され、文化財や自然環境(例:湖水地方、チャーチルの生家など)を幅広く保護している。
資金源は主に500万人以上の会員からの会費、寄付、入場料。
管理対象は約25万ヘクタールの土地、1255kmに及ぶ海岸線、500以上の建造物や自然保護区である。

正式名称は歴史的名所や自然的景勝地のためのナショナル・トラスト (National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty)。
英国人の一体感と愛国心称揚し、アイデンティティを確立するという目的(これが何に利用されたかは簡単にわかるだろう。戦争である)だけでなく、産業革命による環境破壊・文化財の喪失を食い止めた。


イングリッシュ・ヘリテージは1983年に政府機関として設立された。
現在は慈善団体として運営されているものの、依然として政府と関わりを持っている。
主に歴史的建造物や遺跡(例:ストーンヘンジ、ドーヴァー城)を管理し、資金源は入場料、寄付、政府補助など。
管理対象は約400以上の歴史的建造物や遺跡だ。

ナショナル・トラストは文化財と自然環境の両方を広範に保護する独立した慈善団体、イングリッシュ・ヘリテージは国家遺産の保護を担う公的な役割が強い、といえよう。

日本では文化庁、宮内庁、自治体・地方団体が同じような役割を担っているのかな...
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7区を歩こう




もうすでにイングランドへ帰宅済みだが、パリ出発前に、7区にある剥製屋、チーズ専門店、チョコレート専門店、書店、家具屋、花屋...を回遊。
専門店の人の話はいつもおもしろい。商うものへの情熱と知識がすばらしい。

家具屋と花屋では何も買わなかったが。
途中、トマス・アキナスに捧げられた教会へも。

ピンクのヒラヒラのチューリップ、かわいい!
夫が買いましょうと言ったが、いや、イングランドまで水なしではかわいそうかなあ、と。






ルーヴル美術館の、この方たちのような春の花だ。
フラ・アンジェリコの礼拝の天使。

立春すぎて、復活祭へのカウントダウンが始まりましたしね!

あるいは、日本のきれいな友達を思い出させた。




シャルロット・ペリアン...




最後は凱旋門の周りを車でぐるぐる回って、帰途についた。


英国南部にも西風が吹き、一介のニンフが女神フローラに変身した模様。

庭にはブルーベル、水仙、ヒヤシンス、プリムローズ、クリスマス・ローズ、すみれやビオラが...
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永遠のジュリエット! romeo and juliet



夫がカーテンコールで撮った写真


パリからドタバタでロンドンへ帰ってきたのはひとえにロイヤル・バレエのRomeo And Juliet 『ロメオとジュリエット』を観るためだった...

ジュリエット役はわたしの女神、わたしの愛、Marianela Nunez。


彼女が決して失わない少女のような初々しさ愛らしさで(それを失わなない残酷さ悲惨まで)、ほんとうにたった14歳の少女のように見える...
しかも彼女がすごいのは、成熟して全てを包み込むような偉大なる母的であることなんですよっ!! しかも若い時から!!

練りに練られて角のない技術的最高峰であることは言わずもがな、今回もすごいものを見てしまった...

ロメオ役のWilliam Bracewell も素晴らしかった!!


彼らが一緒に踊っているロメオとジュリエットはないが、ゴージャスに息のあったところではこちらGrand Pas Classique をどうかどうかご覧になってみてー
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「美術館は私たちが『読むこと』を学ぶ本」 ルーヴル・クチュール展



フランス皇帝ナポレオン3世妃 ウジェニー 美貌が有名だった... 
ヴィンターハルター画 19世紀
ドレスはガリアーノのディオール 2003−04


「ルーブル美術館は、われわれが『読むこと』を学ぶ本である」とは言い得て妙である。


パリのルーヴル美術館では、初の「服飾展」ルーヴル・クチュール展が開催中で、今月2回目のパリはこの見学のために。



太陽王 ルイ14世 リゴー画 18世紀
ガリアーノのディオール 2006−07


ルーヴル美術館の歴史と、そのコレクションの膨大さ。
一方でフランスの誇るクチュールという芸術。

世界中に知られてきたこれらフランスの文化遺産を、中世から現代までの芸術の総体として類似点を強調しつつ同レベルに展示し、ピース同士の対話をうながしわれわれはそれを読む

そうなのだ、ものはもの単体で存在するのではなく、文脈や関係性でその魅力を発する。
まさにルーヴルは開かれた本である。


この後は毎度のように長ーい(写真も多い)ので、おつきあいいただけない方はここでさようなら(笑)。

でも! なぜ人間は象徴や、同じようなモチーフを多用するのか、という考察をしています!
わたしはこういうことを考えるのがほんとうに好きなの...
お好きな方、おられるかしら。



ミュグレー 鎧のようなボディス 1995−96
同じケースに配列してあるのは黄金の時計 ドイツ 16、17世紀 
両方とも、複雑な内臓を包むメタル...



デムナによるバレンシアガ 2023−24
手前はアンリ4世の甲冑 16世紀



鉄の処女のよう


ルーヴルの装飾芸術部門の約9千平方メートル(!)のスペースに、65のテーマ、クチュールは100点近く。
ディオール、シャネルから、アレクサンダー・マックイーン、ゴルチェ、ヨウジ・ヤマモトまで。

服飾展なら2時間ほどで見学できるかなあと想定したのは甘かった。4時間かかった。



ヴィヴィアン・ウエストウッド 2012−13



トム・ブラウン 2020





アレッサンドロ・ミケーレのグッチ 2017



ドナテッラ・ヴェルサーチによるヴェルサーチ 2002−03


わたしは80年代に初めてルーヴルを訪れて以来、何十回も来館しているが、告白しよう、装飾芸術部門は丁寧に見学したことがありませんでした...

聖遺物箱、個人的な礼拝の道具、ブローチやネックレスや指輪、テキスタイル、食器、花瓶、家具、エナメル、懐中時計、タペストリー、象牙細工、ガラス細工、金銀細工、装飾武具...

このような日用品の美よりも、実用から切り離された美のための美、ルーヴルではまず絵画と彫刻と建築が見たい、と思ってしまうからだ。



カール・ラガーフェールのシャネル 2019
18世紀フランスの特徴的な「爆弾型」のチェスト



ジェレミー・スコットのモスキーノ 2022−23
「爆弾型」チェスト型のドレス


さて、今回初めてじっくり見た日用品の美、クチュール作品、そして展示場となったリシュリュー翼の室内装飾の美(特にナポレオン3世のアパルトマン)...

わたしが最も強く感じたのは、人間が好んで使う象徴やシンボルには、多様性どころかかなりの限界がある、ということだった。



カール・ラガーフェールドのシャネル 2010−11



12世紀ドイツはラインラントのアミュレット(お守り)


シャネルのブレスレットと同じケースに並べられた1000年前のアミュレット(お守り)...見よ、見分けがつかないではないか。



ド直球ビザンチン アプスそのものを着る 
ドルチェ・アンド・ガッバーナ< 2013−14






マリア・ガルシア・キウリのディオール 2017ー18



花、植物、天体や自然現象、時間、動物、瞳や心臓など人体の一部、円や螺旋などの幾何学など、人間がシンボル化してありがたがるものは実はとても限られているのでは? 

人間は「生命と死」「神と権力」「時間と宇宙」にかかわるものが好き?


ユング心理学の「元型(アーキタイプ)」の考え方では、特定の象徴は集団的無意識の中に根づいており、時代や文化を超えて普遍的に現れるという。

そうなると、デザイナーや芸術家の独創性とは何か、独創性などというものはそもそもあるのか、と考えさせられる。



カステルバジャック 2010−11 バンビちゃん...
後方の16世紀のタペストリーから切り取られて抜け出してきたよう


「独創性」とは、まったく新しいものを生み出すことではなく、むしろ限られたシンボルや形をどのように再解釈し、組み合わせ、新たな文脈に置くか、新たな視線を提供するということなのかもしれない...

ベンヤミン的には、引用とは単に権威ある文献を参照する行為ではなく、それを新たな文脈に置き換え、歴史の断片を再配置することで、新しい意味を生み出す手法だ。
マルセル・デュシャンが既存の便器を「泉」として発表したのも、芸術の美しい形そのものより、それを芸術をどう解釈するかという思考の領域に焦点を当てたわけだ。

そう考えると、「独創性」とは完全な創造ではなく、文化的記憶を巧みに操作し、見る人の認識をずらしたり、意外性で驚かせたりする力なのかもしれない。



アレクサンダー・マックイーンによるジバンシー 1997
襟や袖をデフォルメ (ナポレオンの)権力をデフォルメするための装飾とか...
白薔薇オスカルのような軍服だ...



ジャン・バチスタ・バリ 2018−19


フローベールはさらに一歩進んで『ボヴァリー夫人』を書くにあたり、「全くの虚無の上に建てられた小説が書きたい」と宣言した、というのを思い出した。

鹿島茂先生がおっしゃっていた。
「この世に新しいものは何もない 
アレンジしかない 
アレンジメントだけが美というものを成立させる 
どこかに未発見の美があるわけではない 
ごくごく凡庸な、どこにもあるようなもの、一見するとそうは見えないが、その背後で巧みに配置された言葉が自立するような作品として、全てはアレンジメントによって構成される」のが傑作『ボヴァリー夫人』である、と(鹿島茂のN'importe quoi!より)。

フローベール以前の文学では、「作者」は絶対的な存在であり、語り手の視点を通じて世界観を示す役割があった。
しかしフローベールは、小説から作者を消し去ることを目指す。
小説が大きな物語を提示するのではなく、小説を「言葉そのものが自立し、意味が絶対に定まらない」状態を作ろうとしたのである。。

これは、のちのロラン・バルトの「作者の死」にもつながる考え方であり、読者が小説に意味を求めること自体を問い直す試みであった。
つまり、作品の意味は、作者が意図したものではなく、読者がどう受け取るかで決まり、書かれた瞬間から作者の手を離れ、「解釈は無限に開かれる」。

孔子にしてすでに2500年前に「述べて作らず」(私が申すのは先人のコピーにすぎず、オリジナルではない)と宣言している。

ここに展示されている無数のシンボルやモチーフはそういうものなのか?



ミル・フルール、「千の花」のモチーフ
ミル・フルールは中世後期に好まれたパターンで、背後のタペストリーもそうだが
有名なところでは先日書いた『貴婦人と一角獣』にも
マリア・ガルシア・キウリのディオール 2018−2019


ではなぜ人間はなぜ限られた象徴やシンボルのみを使い、アレンジメントだけを行い、解釈を無限に開くのだろうか?

装飾やデザインに多用されるシンボルは、単なる装飾以上の意味を持つ。
それらは社会的、宗教的、あるいは個人的な意味を担いながら時代を超えて生き続けてきた。



シルヴィア・ベントゥリーニ・フェンディのフェンディ 2019−2020


とはいえ、人間の脳はパターン認識に優れているが、認識できる形や概念には限界がある。

単純すぎす、複雑すぎない、リズミカルで覚えやすい形(円、十字、星、渦巻き)や、自然界に存在するもの(花、太陽、月、動物など)は、人類の長い歴史の中で重要な意味を持ち、記憶に定着しやすいという特徴がある。

シンボルはもともと呪術的、宗教的、神話的な背景から生まれたものが多く、それらは歴史的に継承され、文化の記憶として固定化されてきた。
たとえば、西洋美術では古代ギリシャ・ローマの神話のモチーフ(花、月桂冠、天使、獅子など)がルネサンスを経て近代まで繰り返し使われてきた。

こうしたシンボルは、時間が経つほどに「意味の層」を増し、それ自体が持つ歴史的・文化的な重みが、さらに繰り返し使われる要因になっているのだろう。

つまり、人間が長年にわたって使い続けているシンボルは、単に意味があるだけでなく、視覚的・実用的にも「成功したデザイン」だからこそ、生き残ってきたのかもしれない。

そして今後も。



ジョナサン・アンダーソンのロエベ 2023−2024


なぜ人間はシンボルや象徴を多用するのだろうか。
人間は情報にパターンを見出し、その情報を圧縮することで厳しい時代を生き延びてきたからだろうか。

人間がシンボルや象徴を多用するのは、情報の圧縮と効率的な処理のためだと考えると、認知科学や進化論的にも納得がいく。
脳は限られた認知リソースで世界を理解しなければならないため、情報を効率的に処理する必要があるのだ。

シンボルは、複雑な概念や経験を単純化し、圧縮した形で記憶する手段の一つである。
例えば、「王冠」というシンボルを見れば、それが「権力」「王権」「神聖性」などの概念を象徴していることがすぐにわかる。いちいち歴史や背景を説明する必要はないだろう。

まあ、現代社会では、かつては宗教的な文脈でしか意味を持たなかった装飾やモチーフが、世俗化した現代ではファッションの一部として消費されるという現象(ベンヤミン「アウラ」の喪失)と指摘したが。



この辺りからナポレオン3世のアパルトマンでは大変な混雑
みなさんこぞってセルフィやグループ記念撮影をしておられるからだ
この部屋は象徴とモチーフで目が眩むほど豪華に、そして分かりやすく飾られており、
われわれはなぜかそれを大変好む



ゴルチェ 2008−2009



イリス・ヴァン・へルペン 2018ー2019



シャネル カール・ラガーフェールドによる 1987−1988
スカーレット・オハラじゃないが、カーテンを使って作ったドレスのよう



シンボルはパターン認識の結果である。

人間の脳はパターンを探し、意味を見出すことに特化している。

進化的に考えると、ランダムな情報の中から生存に役立つパターンを見つける能力が生存確率を上げ、人間は生存のためにパターンを見つけ、それをシンボル化することで情報を圧縮・伝達してきたのではないか?

シンボルは社会的コミュニケーションを効率化し、個人だけでなく集団の中での情報伝達にも役立ち、特定の集団をまとめる役割を果しつつ、シンボルを共有することで、コミュニティの一員であることを確認できる。

シンボルは記憶を強化し、文化を継承するのだ。



デムナによるバレンシアガ 2020
ナポレオン3世のダイニングルームに



「陽の下に新しきものなし」
昔あったことは、これからもあり、
昔起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何一つない。
(旧約聖書『伝道の書』1:9)



クチュールの最後99点目
飾るのはヨウジ・ヤマモト 2015−16
パリでは彼を何度かお見かけしたことがある


最後までお付き合いくださったあなた、ありがとうございます!
勲章を差し上げたいです。
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