徳川七代将軍の時代、大奥御年寄・江島と歌舞伎役者の密会事件により、1300人近い人間が罪に問われた事件です。江島が、将軍生母の月光院の名代で墓参の途中、歌舞伎役者生島と宴会をし、門限に遅れました。そのことが月光院と前将軍家宣の正室との政争(覇権争い)に利用された、という事件です。
江島の軽率な行動は非難されても仕方がない、というものの、さほどの遅刻でもなかった事件を(ご法度ではあるので、ある意味では大罪かもしれませんが、必要以上に)大事にしてしまった周囲の人たちの思惑が、人間の愚かさを表しています。今も、こういうことは、よく目にします。江島生島の事例を、我々は学び、何が罪で、何が大事だったのか、その本来の意味を失わないように、したいものです。
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