長編音楽ドキュメンタリー「荒木栄の歌が聞こえる」予告編
昨日の歌声喫茶・国立うたOH会は、
九州の労働作曲家・荒木栄・特集でした。
歌声喫茶で、荒木栄はとても人気がありますね。
荒木栄特集というだけで、それを目指して来る方もかなり居ます。
私も勿論、荒木栄の歌は大好きで、
前に出て唄いたくなる歌が、本当に多いですね。
2008年製作の「荒木栄の歌が聞こえる」というドキュメンタリー映画を観たのは、
2009年9月12日、現在の「町田のうたごえ広場」の会場でした。
その日から町田の歌声喫茶が、確か始まった様な・・
2009年というと、私は歌声喫茶にはまってまだ間もない頃で、
荒木栄という作曲家の何たるかは、全然分っていなかったのでした。
荒木栄という人がどういった人なのかを調べてみると・・・
1924年10月14日~1962年10月26日(享年38歳)
三井鉱山で働いていた父の家の、10人兄妹の三男として、
福岡県大牟田市に生まれる。
三井三池炭鉱の機械組立工として働く、労働者、作曲家でした。
1959年に始まった、三池争議の中で、多くの労働歌を作曲。
荒木栄は、本当は音楽家になりたかった様です。
20歳ころから、独学でハーモニカやバイオリンを学ぶ。
23歳・・戦死した兄の妻(ひさえ)と結婚。
また、キリスト教の洗礼を受ける。
25歳・・作曲を始める
30歳・・胃を手術
35歳・・共産党に入党
37歳・・胃を手術
38歳・・その5ヶ月後に逝去
深浦のブンブンさんのホームページ(おけら)によると、
荒木栄の作曲した歌は75曲ありました。
そんな中でも、
沖縄を返せ・・がんばろう・・心はいつも夜明けだ・・
この勝利ひびけとどろけ・・(組曲)地底の歌・・仲間の歌・・
花をおくろう・・星よおまえは・・我が母の歌・・
彼の名曲は実に多く、そして歌声喫茶の仲間達は、
みな、そういった歌になると生き生きとして高らかに唄うんですね。
私も前に出て唄う時には、心から大きな声で唄います。
そういった時って、本当に楽しくワクワクしてきます。
38歳とは、あまりにも早すぎる死でした。
もっと普通に生きていたら、一体どれほどの名曲が生まれていた事か。
まだまだ、彼の歌は一部の人にしか知られていませんが、
実に勿体ない気がします。
日本の音楽の世界にとって残念な事です。
昨日の歌声喫茶・国立うたOH会は、
九州の労働作曲家・荒木栄・特集でした。
歌声喫茶で、荒木栄はとても人気がありますね。
荒木栄特集というだけで、それを目指して来る方もかなり居ます。
私も勿論、荒木栄の歌は大好きで、
前に出て唄いたくなる歌が、本当に多いですね。
2008年製作の「荒木栄の歌が聞こえる」というドキュメンタリー映画を観たのは、
2009年9月12日、現在の「町田のうたごえ広場」の会場でした。
その日から町田の歌声喫茶が、確か始まった様な・・
2009年というと、私は歌声喫茶にはまってまだ間もない頃で、
荒木栄という作曲家の何たるかは、全然分っていなかったのでした。
荒木栄という人がどういった人なのかを調べてみると・・・
1924年10月14日~1962年10月26日(享年38歳)
三井鉱山で働いていた父の家の、10人兄妹の三男として、
福岡県大牟田市に生まれる。
三井三池炭鉱の機械組立工として働く、労働者、作曲家でした。
1959年に始まった、三池争議の中で、多くの労働歌を作曲。
荒木栄は、本当は音楽家になりたかった様です。
20歳ころから、独学でハーモニカやバイオリンを学ぶ。
23歳・・戦死した兄の妻(ひさえ)と結婚。
また、キリスト教の洗礼を受ける。
25歳・・作曲を始める
30歳・・胃を手術
35歳・・共産党に入党
37歳・・胃を手術
38歳・・その5ヶ月後に逝去
深浦のブンブンさんのホームページ(おけら)によると、
荒木栄の作曲した歌は75曲ありました。
そんな中でも、
沖縄を返せ・・がんばろう・・心はいつも夜明けだ・・
この勝利ひびけとどろけ・・(組曲)地底の歌・・仲間の歌・・
花をおくろう・・星よおまえは・・我が母の歌・・
彼の名曲は実に多く、そして歌声喫茶の仲間達は、
みな、そういった歌になると生き生きとして高らかに唄うんですね。
私も前に出て唄う時には、心から大きな声で唄います。
そういった時って、本当に楽しくワクワクしてきます。
38歳とは、あまりにも早すぎる死でした。
もっと普通に生きていたら、一体どれほどの名曲が生まれていた事か。
まだまだ、彼の歌は一部の人にしか知られていませんが、
実に勿体ない気がします。
日本の音楽の世界にとって残念な事です。