河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

さようなら・さようなら・・・

2015-09-23 07:24:30 | 歌声喫茶
最近、歌声喫茶の世界から2人の方が逝ってしまいました。

10日(木)には、国立の歌声喫茶「オリジ」でアコーディオンを弾いていた、
青山義久さん(67歳)が逝ってしまいました。
孤独死だったそうです。
青山さんは昨年奥様を亡くした為に、一人暮らしだったそうですが、
その日脳内出血で倒れ、人知れずに逝ってしまったそうです。

約束はきちんと果たす律儀な人だったのに、
アコーディオン講座の講師として来る筈の日に姿を現さないのを不審に思った方々が、
既に逝ってしまっている青山さんを発見したそうです。


また、これは昨日「歌声喫茶・さんたま屋」で知ったのですが、
歌声喫茶界のカリスマ的な存在・ヤギさんこと青柳常夫さんと、
よく一緒に行動していた山本あけみさんが亡くなったそうです。

いつもベレー帽をかぶっていた美人の彼女です。
何年か前に大腸ガンの手術をしていたそうで、
それが胃に転移していた事を見落とされていたとかで、
発見された時には内臓出血がかなりに及んでいたそうです。
青山さんと一緒で、やはり孤独死でした。
土曜日だったそうですが、それが12日か19日だったかは分かりません。
私よりは若かった様に見えましたが、年齢は知りません。
カメラマンだったそうですが・・・
いつも綺麗にしていて美しく、素敵な印象の女性でしたね。

人間・「死」というのはまさしく(最期)なんですね。
いくら私達がどう思おうが、その人にとってはそれが全てなんですね。

しかし、同じ時期に歌声仲間が共に「孤独死」
誰にも知られずに、部屋の中でたった一人っきりで、この世から「さようなら」をしていく自分。
家族全員に見守られながら逝く幸せな人も居れば、
誰にも看取られず、誰にも知られずに、言い残したかった言葉もきっとあったでしょうね。
二人の胸の内は誰にも分かりませんが、孤独死というのはあまりにも切ないですね~。

それが、たった数日間の出来事だなんて、ショックでした。
歌声会場でも、その死を知らされて泣いている人も居ました。

歌声喫茶にはまってから、既に数人の方の死がありましたが、
今回の様な「孤独死」というのは初めてでしたので、
何とも言い様の無い気持ちがするのです。



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昨日から今日へ

2015-09-20 06:09:04 | 日記
昨日の歌声喫茶は、小田急線・高座渋谷駅の「青麦」に行きました。
「青麦」に行くのは、これで3回目ですが、
南林間に行ったのが2回で、高座渋谷は今回が初めてです。

松本みやこさん主催の歌声喫茶「青麦」は、
絶対的にこの場所で開催するという訳にはいかないみたいです。
何処の歌声喫茶主催者も、開催会場を押えるのに四苦八苦しているみたいで、
今度の月は抽選に外れたとかで、本当に涙ぐましい苦労には頭が下がります。

「青麦」が他の歌声喫茶と違う点は、
バンド(ピアノ・ベース・ドラム)の演奏がバックだという事です。
アコーディオン一台でささやかにやっている歌声喫茶などに比べると、
実に豪華なんですね。
更にピアノ演奏の女性がステージ(3ステージ)毎に衣装替えするのです。
そんなのって他では絶対に見た事はありませんね。

昨日は初めてバクさんが司会者として呼ばれていましたが、
バクさんは私達を見て、チョッと驚いたみたいでした。
私達も、意外な人がスタッフをやってたんでビックリしましたが。

これで、私の歌声喫茶遍歴は今年101回目。
歌声喫茶にはまった状態(2009年)になってからは、
年平均110回ですので、この分では110回どころか、
最高回数(2010年)の132回を追い越す勢いです。

歌声喫茶は参加回数を誇るものではありませんが、
ホントに「おバカ」だと自分でもあきれてます。


さて、昨日まではそうでしたが、
私達は、今日から3日間のキャンプに行きます。
場所は山梨県・上野原・秋山の「さがざわキャンプ場」
ここは2回目ですが、妻のエリカさんと一緒にキャンプに行く様になってから、
3度目に行ったのが、このキャンプ場でした。

今日のキャンプで、今年6回目、20日間のキャンプ歴です。
エリカさんと一緒のキャンプも、今年で6年目。
合計35回、112日間ですので、
歌声喫茶と同じで、実によく行ったものだと思います。

キャンプから帰る日(22日・火曜日)は、昼頃に帰宅して入浴後、
夕方から国立の歌声喫茶「さんたま屋」に突撃~ッ!

さ~てと、3日間、天気の心配は無い様だし、行ってくるぞ~ッ!

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最も想い出深い力士・明武谷

2015-09-18 23:56:50 | 相撲


明武谷は、本名を明歩谷と言います。
本名を四股名にしていた時期も長かった。

今の相撲さんには、もう一人も残っていないソップ型(いわゆる痩せ型)の代名詞であり、
その端正な顔立ちは外人女性に最も人気がありました。
これほどハンサム(今で言うイケメン)力士は現在に至るまで誰も居ませんね。
その当時の力士の平均身長は182センチ程度でしたから。
彼の、身長189センチ・体重113キロは、まさに長身痩躯の見本でした。



1937年4月生まれ北海道出身。
角界を離れてしまいましたが、現在は78歳になっている筈です。
最高位は関脇でしたが、「起重機」という愛称で、その長身を利した(吊り出し)を得意技としていました。
同じ時期に明武谷と同じに、吊り出しを得意技にしていた、小兵の若浪(178センチ)が居て、
彼の吊り出しは小兵力士ゆえに、「天井を向いて吊る」と言われました。
明武谷と若浪との吊り合戦は実に想い出深い一番であり、
今ではそういった技と技とのぶつかり合いの相撲というのは、殆ど無くなっているのが残念です。

あの大横綱・大鵬との相撲なんていうのも想い出深いし、
彼が土俵に上がっただけで(サマになる)という、
言ってみれば「お金の取れる」力士であったと思います。
そういった力士こそファンには、たまらない魅力であり、
そんな力士の出現を私達、相撲ファンは(今ではそうでもなくなってしまってますが)望んでいるのですね。

今の力士は昔で言えば、みな(アンコ型)ばかり、
その為に、押し合いへし合いの押し出し、寄り切りばかりの決まり技。
そんな相撲なんて面白くも何ともないんですね。

在位期間は、1954(昭和29)16歳~1969(昭和44)32歳。
引退後は親方として後進の指導をしていましたが、
妻の影響でキリスト教系の宗教「エホバの証人」の宣教師になり、
(格闘技は聖者の教えに反する)として、角界を去りました。(43歳)

「明武谷」
彼が相撲界に与えた存在感は一種独特の価値がありました。
そんな相撲さんを、再び見られる事があったなら・・・
本当に、そう願っています。


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空の要塞・B-29

2015-09-18 07:36:50 | 軍事
もう30年以上も前の話でしたが、私の母がこんな話をしてました。
「何処だかの女子高校生が、日本が過去に戦争をした事を知らなかったそうよ」

「へ~、日本とアメリカが戦争したの。それでどっちが勝ったの?」

そんな事が新聞に載ってたそうよ・・・と。

それを聞いた私はかなり驚きました。
日本が戦争をした事を知らないッ!
これは殆ど‘絶句‘ものでした。

また、これは私自身の経験ですが、
ある3人の若者(20歳くらい)が、「忠臣蔵」を知らなかったのです。
この時もかなり驚きました。
あれほど年末になるとテレビ等で放映されているのに、こいつらはアホかと思いました。

私の友人(昭和25年生まれ)が、ある時、私との会話でこんな事を言いました。
「B-29?俺それ知らないよ」
私は思わず「エッ?」と思いました。

彼は九州の福岡出身、それで戦後の昭和25年生まれ。
東京出身ならいざ知らず、九州だと、もうB-29は知らないのかな~?っと思いました。


あのね、B-29というのはアメリカの爆撃機で、広島・長崎に原爆を落とした飛行機なんだよね。





それまでの爆撃機(爆弾を投下する為の飛行機)と決定的に違うのは、
与圧室を持っているという点。

つまり高高度(9000メートル以上)の高さを飛ぶと、
酸素は薄いし、寒いしで、酸素マスクや防寒着などを付けないと無理だったのですが、
B-29の搭乗員は半そでで乗ってたくらいなんです。
つまり、現在私たちの乗っている旅客機と同じという訳です。

しかし、その怪物B-29を向かえ撃つ日本の戦闘機は、それほどの高高度は至難でした。
絶対に無理ではありませんでしたが、その高度に達するまでは凄く時間を要し、
操縦士は寒いし、酸素は薄いし、
戦闘機のエンジンは能力的に限界で、ほんのチョッとだけしかの戦闘時間しか残されていなかったのです。

それを迎え撃つ空の要塞B-29はと言えば、
優れた火器管制装置が搭載されていて、
非常に高い練度を必要とされた機銃射撃が、誰にでも行える様になっていて、
命中率が驚異的に向上していたのです。
おまけに、その機銃が機体にハリネズミの様に(13門)多数装備されていたので、
日本の戦闘機はうかつに接近する事さえままならなかったのです。
最後はB-29に対し、体当たりをする戦闘機すらあったのです。
それほど撃墜するのが難しかったのですね。

B-29の総生産機数は3970機で、
日本への参戦は昭和19年11月からでした。

10人の乗組員によって、9トンの爆弾を搭載する、この空の要塞は、
日本中を焦土と化し、行きつく先には、広島・長崎への原爆投下があったのです。



エノラゲイ。
B-29には一機一機、個別に名前が付けられていたのです。
それが広島で10万人を殺した飛行機・B-29でした。


B-29というのは、そういう飛行機・空の要塞の爆撃機だったのです。
知らなかった人も、少しは覚えておいてね。





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今、私は唄っているんです・・・

2015-09-16 11:35:11 | エリカの日記
最近、歌声に行って唄っている最中に迷惑だと思われる事が続けてありました。
それは、楽しく唄っている時に、やたらに話しかけてこられる事です。

今は何処の歌声会場に行っても45分唄って、15分休憩というパターンが多い様です。
私達は何処の会場に行くにしても、開場時間よりは30分位は余裕を持って、
会場に着く様にしています。
それだからこそ主催者に挨拶したり、知り合いとお話が出来るのですね。

ところが、用事があって遅れる事は仕方ありませんが、
遅く入って来ると同時に周りにいる人にやたらに話かけたり、
曲目によっては、その内容について色々言ってきたりするのです。

特に夏頃になると、どうしても反戦歌や平和を願う歌が多くなってきますが、
その事で、ある人は「憲法9条や安保法案に反対する人達が国会に押し掛けたりしてますが、
私は賛成なんですけど、あの人達の中に入って(賛成)と言ってはダメなんでしょうか?」
という事を私に言ってきましたが、そんな事を私に言われてもネ~・・・
返事のしようがないし。
下手をすると周囲から白い眼で見られるか、
もしかしたら罵声を浴びせられるでしょうね・・・


また別のある人は、上馬の歌声喫茶でいつも見かける方ですが、
その日は台風だったので、さすがの私も、あの風雨の中を出かける気にはなれず家に居ました。
その台風の日の事を、楽しく唄っているさなかに、
「上馬には行かれたのですか?どうだったのでしょうね・・?」と問われ、
私が「その日は台風で行きませんでした」と応えると、
他にも話しかけてこようとするので、
「申し訳ないのですが、今は歌声の最中ですので止めて頂けますか・・・」と。
私よりはるかに年長者のその方に、失礼とは思いましたが、ハッキリとお断りしてしまいました。


私語、雑談は休憩中にお願いしますよ。

うたごえ最中は唄う事に集中したいんです。 私・・・


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