河童の歌声

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夜行列車の珍事・アレ~ッ!

2015-09-25 20:19:37 | 日記
それは、私がまだ20代半ばでの出来事でした。
そんな珍事は、恐らく生涯に二度と出会えないと思います。

会社の仕事で九州に行きました。夏でした。
確か福岡だったと思います。
当時、新幹線はまだ大阪までしかありませんでした。
帰路、大阪まで行くべく、私は夜行列車に乗りました。
寝台車でなく、普通のボックスシートの列車でした。

列車内は満員どころか通路に座って寝ている人が大勢いました。
当時の夜行列車は、大体そんな事が当たり前の時代でした。
私は運良く座席に座る事ができたので、ホッとしました。
列車が動き始めると共に、私はかなり疲れていたんでしょう。
また、まだ若かったので寝込むのも早かったのでしょう。
完全に熟睡してしまいました。

さて、福岡を出発してからどのくらい経ったのでしょうか?
私は、ふと真夜中に目を覚ましました。


その瞬間の驚愕を貴方は信じられるでしょうか?
あんなに驚いた事は、恐らく人生で初めてだったと思います。


列車内には私だけしか居なかったのです・・・
私だけが、たった一人っきりで座席に座っていたのです。
さっきまで、あんなに満員だった列車内には私以外に誰も居なかったのです。

「目がテンになる」
「呆然とする」
「頭の中がカラッポになる」
「ウッソーッ」

形容詞で言えば、多分そんなとこなんでしょうね。

しばし呆然として、この列車に何が起こったのか?と考えました。
でも、いくら考えたってそんな事が解る筈はないのです。
何だか恐ろしくなって、多分、鳥肌が立ったのかも知れません(覚えてないけど)

「呆然とする」その言葉しか思い当たりません。
そんな頭になりながら、薄暗い列車内をよ~く見ると、
向こう側の隅に、何やら人の頭らしき物が見えたのです。
「あれは人か?」
私は恐る恐るそっちへと歩いて行きました。

近づくと、それはやはり人の頭だったのです。
50歳くらいのおばさんが一人で寝込んでいたのです。
私は恐る恐るおばさんに声をかけました。

「あの~、気が付いたら列車内に誰も居ないんですけど、何かあったのですか?」
それを聞いたおばさんは大笑いでした。

その日は台風接近とかのニュースが入っていた日だったのです。
多分、広島県あたりだったと思うのですが・・・

おばさんいわく「何処だったかの駅に到着した時に車掌さんが車内アナウンスでこう言ったんですよ」
「皆さん、台風が接近してる状況で、この列車の運行もどうなるか分かりません。
現在、駅の反対側に停車している列車が先行しますので、お急ぎの方は乗り換えた方が良いかも知れません」

それを聞いた乗客(おばさんと私以外)の全員が、ドーッと向かい側に居る列車に乗り換えてしまったと言うのです。
それは、かなりの大騒ぎ・大騒動だった筈なのに、
私の目の前に居るこの若者は、それを全く知らずに寝込んでいたという姿を想像すると、
そのおばさんは、あまりにも可笑しくなって吹き出してしまったのです。

やっと、ミステリー、謎の解けた私は心から安心して大阪へと向かいました。


翌朝、何事もなく無事、大阪駅に到着し向かい側をと見ると、
あの、セッカチな連中の乗った、あの列車が少し前に到着していて、
まだ列車内から乗客が降りている最中でしたとさ・・・バ~カッ!

だから言ったろ~、あわてる乞食は貰いが少ないって。
俺なんか、心からゆったりしてるから、ま、こんなモンかな~。
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カッコ良かったのに~~ッ!

2015-09-25 01:24:19 | キャンプ
あれはいつ頃だったのか?
離婚して、ファミリーキャンプが叶わなくなった私が、
独りっきりのキャンプに行ったのは・・・
行った先は、かつて家族で2回くらい行った事のある道志川の(青根キャンプ場)でした。

その日は、よく覚えてはいませんが、
他にキャンパーが居なかったので、夏の平日のキャンプだったのかも知れません。
その頃発売された本「火花」を読む為のキャンプみたいな感じでした。
「火花」・・「いのちの初夜」の著者・北条民雄の生涯。

夜になって、たった独りっきりのキャンパー・・それが私でした。
他には・・他のキャンパーが居たのです。
それは、まだ10代のスレッカラシのいい加減な若者(バカ者)達、7~8人でした。
彼等は自分たち以外は誰も居ないも同然のキャンプ場でやりたい放題でした。
打ち上げ花火はする、大声でわめきまくる、川に飛び込んではの狂乱の限りでした。

彼等が大人しくなったのは、明け方でした。
その間、私は殆ど眠れませんでしたが、多数の彼等ばか者相手に事を構える事はできませんでした。
その情けない悔しさは、ずっと私の心に尾を引きました。


2012年5月。
私とエリカさんは御殿場の「乙女第二キャンプ場」へキャンプに行きました。
そのキャンプ場は、テントサイトは数が少ないのですが、
ロッジの数は多いといったキャンプ場です。
真正面に富士山が見える素晴らしい景色です。

夜になって、テントでのキャンパーは我々を含めて3組。
テントサイトから数十メートル先に、そのロッジがありました。

そのロッジ(多分3棟)には20~30人くらいの、大学生みたいな人達が居ました。
私達、一般キャンパーはキャンプ場の指示(それは何処でもキャンプ場の常識)にのっとって22時に就寝。
ですが、彼等はそんな事は無視して騒ぎまくっていたのです。
全員がある一棟の野外のテラスに集まって騒ぎまくっていたのです。
時刻はもう23時を過ぎていました。
うるさくて全く眠れない状態だった私は、さすがに堪忍袋の緒が切れました。
意を決して私はテントを出て大声で叫びました。

「スミマセ~ン」
私の大声に気づいた彼等が一瞬、静かになりました。

その時、私はこう言いました。
「貴方がたが、こういうキャンプ場に来て楽しい気持ちよ~く判ります」
「でも、ここには他のキャンパーも居るのです」
「学校には学校のルールがあります。会社には会社のルールがあります。
キャンプ場にはキャンプ場のルールがあります。キャンプ場では10時が消灯時間です。
ルールは守って下さい」

しばらく、彼等の声は途絶えました。
その一瞬あとに、女性の声で、こういう返答がありました。
「ロッジの中だったらいいですか?」と。

でも私はこう言いました。
「キャンプ場は10時が消灯時間なのです、ルールは守って下さい」

しばし彼等は静かになり、女性たちの混乱した声などがかすかに聞こえていましたが、
それっきり彼等は静かに寝入ったみたいでした。
私も、しばらくは興奮状態で眠れませんでした。
そんな時、テントの外を歩き廻る足音がしたので、
私は「これはやる気かな」と身構えました。

やる気ならとテントの中を見ても武器になる物が無いのです。
これには焦りました。
私のケンカは絶対に武器になる物を持ってするのです。
決して素手ではケンカはしないのです。
ケンカ相手が格闘技などの経験者だったりする事があるので、
それには武器で相手を一撃の下にノシてしまう事が絶対条件なのです。

でも、武器になる物が無い。
相手が大学生などの複数では、これはヤバイと焦りました。
でも、何事もなく夜は更けていきました。
あの足音はいったい何だったのだろう?

あくる朝、昨夜の顛末をエリカさんに話したら、
何と・・彼女はそんな事は全然知らずに白河夜船。
な~んも知らなかったと言うんですね~。

あのね~、あんときの俺はそうとうカッコ良かった筈なんだけどね~。
寝てたのね、アンタは・・・(涙)




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