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地震予知に対する政府の無能は・・・

2015-09-12 23:11:59 | 日記
過去のミクシーにも書いたのですが、
東京などの首都直下型大震災はすぐそこに迫っています。

なのに、政府は大昔の地震学の権威者とやらの、
「何の役にも立たない」理論から一歩の進歩もありません。
地べたなど、いっくら掘じくったって、そんなものは何の役にも立ちません。
そんな古代の遺物的な事は、もうそこまで来ている大地震の予知には間に合わないのです。

では、我々は一体何を信じ行動したらいいのでしょう?
もう十数年前から、いっときは話題に上った人に、
「八ヶ岳南麓天文台」の串田嘉男氏が居ました。

また、その後には、
「青松倶楽部」の進村耕喜氏が居ます。

また、つい最近には
「MEGA地震予測」の、東大名誉教授の、村井俊治氏が居ます。

村井氏の事はあまり知りませんが、
前の2氏はいづれも地べたなど全く見向きもしません。
彼等はかなりな確率で地震予知の実積をあげていますが、
いづれもFM電波を使ったりで、空中の電磁波で地震の予知をしています。
(詳しい専門的な指摘をされると私にもよくは解らないのですが)
それでも、彼等は地震の専門家ではなく、いわゆるアマチュアなのです。

そこまで迫る大地震を予知する為には、
地震の大家などの肩書を持つ人達の意見など、どうでもいいのであって、
私たちは要するに「当てればいいのです」
当てる為には、素人だとか専門家だとかはどうでも良いのです。

地震の権威者とやらが、今まで「地震が来ますよ」などと発表した事が一体あったでしょうか?
ありませんね。
彼等は地震が起こった後になって、さも権威者的な見解を述べるだけですね。
でも、私たちはそんな(後の祭り)などを聞かされたからって、
それが何の役に立つのでしょうか。

私たちがあなた方(地震の権威者)にして欲しい事はただひとつ、
「いつ大地震が来るのか」その一点だけなんです。

現在の日本にとって、首都直下型大地震は、
オリンピック以上の最重要項目です。
それが来たら、オリンピックなど吹っ飛んでしまうんですから。
なのに、政府は地震予知の為に年間120億円という、
全く役にも立たない予算をつぎ込んでいます。
この20年では4000億円という無駄金を使ってしまったそうです。

年間120億円というと、月に10億円。
毎日3287万円を使ってしまうんです。
そんな大金を使って、それは地震予知には何の役にも立たないなんて・・・

地震の権威者っていい御身分ですね~。
毎日毎日3287万円もの大金を使って、大好きな地震研究とやらの世界でお楽しみ。
それでいて、世間マスコミからは「権威者」って、それって何なの?

さて、いざ大地震は来てしまった。
大被害が出て、死者も数十万人。
でも、権威者はこう言います「予想外、想定外だった」と。
そんな後の祭りの言い訳の為に年間120億円。

今の政府は何でこんなムダ金をいつまでも使うのでしょう?
何故、本気の地震予知の為に、アマチュアを国家的規模で支援しないのでしょう?
彼等アマチュアは、かなりな確率で地震予知の実積をあげているのです。

一旦、大震災が来たら、その被害額は何兆円にもなるでしょう、
その百分の一の金額でも彼等支援に注げば、被害額はかなり減るんじゃないのでしょうか?

一体、東京はどうなってしまうのでしょう?
何故、政府は地震に無関心なんでしょう?
私にはまるで理解できないのです。










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マレー沖海戦

2015-09-12 05:20:54 | 軍艦




1941(昭和16)年12月10日。
マレー半島、シンガポール沖の海で、歴史を塗り替える海戦が起こりました。
それが「マレー沖海戦」

「海戦」と言うのは、普通、軍艦対軍艦が対戦するものというのが常識ですが、
このマレー沖海戦は、全く違っていました。
軍艦対航空機だったのです。
軍艦はイギリス軍であり、航空機は日本軍です。
日本軍には、ただ一隻の軍艦もなく、50機といわれる航空機がその全てでした。

何故に歴史を塗り替えたかと言えば、
「航空機の威力がとてつもないものだ」という事実を目の当たりにした事でした。

それまでは、海の王者は戦艦であり、
完全な状態にある戦艦を、航空機で沈める事など、
あり得ない事と世界中の軍、関係者は思っていたのです。
それが、航空機だけで、たった2時間で沈められてしまったのですから、
それは世界中の軍関係者に大ショックを与えました。


当時イギリス支配下にあったマレー半島を攻略すべく、
日本軍は3万5千人の兵をマレー半島目指して艦船で送ります。
それを阻止しようとイギリス東洋艦隊の、
戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」35000トンと、
巡洋戦艦「レパルス」32000トンがシンガポール港を出撃します。

巡洋戦艦という艦種は、戦艦に比べ、スピードは速いが、
その分、防御力は弱いという艦種です。
つまり、レパルスはプリンス・オブ・ウェールズに比べて打たれ弱いのです。

12時45分、海戦開始。
最初に沈められたのは、やはりレパルス。
しかし、プリンス・オブ・ウェールズもほどなくその後を追う事になります。
プリンス・オブ・ウェールズに座乗する司令官は、
トーマス・フィリップ大将。
彼は強烈な戦艦最強支持者であり、大鑑巨砲主義者でありました。

大鑑巨砲主義・・・
大きな軍艦に、大きな大砲を積む。
それこそが海上においては最強だという考え方。
その究極が、世界最大の戦艦大和であり武蔵でした。
つまり、日本海軍ほど「大鑑巨砲主義」を信じていた軍は無かったのですね。

トーマス・フィリップ大将の親友は(名前は失念)
彼と違って、航空機最強主義者でした。
海上最強を誇る戦艦を、航空機だけで沈める事は、絶対に可能だ。
彼等は親友でありながら、その意見の食い違いをお互いに譲らず、
絶交するという事態になってしまいました。

完璧な状態にある戦艦は、航空機など物の数ではないと信じていた、
自分が乗る、イギリスが誇る新鋭戦艦が、
たった数十機の航空機の前に、まるで歯が立たず2時間で沈められて行く光景は、
彼を絶望に追い込みます。
絶交した親友との事を思うと、彼にはもう希望はありませんでした。

部下の兵が沈みゆくプリンス・オブ・ウェールズからの退艦をうながしますが、
彼は涙ながらに「ノーサンキュー」と言って、艦と運命を共にします。

イギリスの首相・チャーチルは、
第二次世界大戦中で最もショックを受けたのが、マレー沖海戦だったと述べています。


この海戦は、以後の戦争のやり方を根本的に変えてしまいました。
航空機こそが戦争の主力であり、
今まで信じられていた戦艦最強主義は、意味の無い事になってしまったのです。

その戦艦最強主義を最も信じていたのが日本軍であり、
それを根本から覆してしまったのも日本軍だったという皮肉。

これ以降の第二次世界大戦は、その様相を大きく変えていったのです。
それが、マレー沖海戦でした。
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