代作問題で渦中の佐村河内守さん 会見ノーカット14(14/03/07)
佐村河内(さむらごうち)守が、現代のベートーベンと言われた事がありました。
私の範囲内の人でも「凄い作曲家が現れた」と言っていた人がいました。
その頃、私はそんな名前の作曲家の事など全然知らず、
かといってCDを買って聴いてみようとも思った事はありませんでした。
ただ佐村河内という風変わりな名前だけは覚えていましたので、
2014年に彼がペテン師であり、
ゴーストライターの作曲家が実はいたのだという事件が発覚した時は驚きました。
と言うか、そんな漫画みたいなペテンが現代という世の中で、
通用していたんだという事実に唖然とさせられました。


この現代社会に於いて、突如現れた天才作曲家となると、
やはりペテン師としては、こういった如何にも風な演出が必要ですね。
全てがあからさまに剥がされた後の映像を観ると、
実にイヤらしい嫌いなタイプの生の男でしかありません。
彼はいったいどういった経歴の男なのでしょう。
佐村河内守 1963年9月、広島生まれの、一応は作曲家。
高校卒業後は京都に行き、東映京都撮影所で俳優養成所に通いながら、
役者としての生活を始めます。
テレビなどで端役で出演。
1988年(25歳)3才年上の女性と結婚。
この頃、作曲家で音楽プロデューサーの大倉百人と知り合う。
大倉は佐村河内のデモテープで声はいい事を評し、
売り出そうとしたが、佐村河内の虚言癖に気づいて事務所を辞めさせます。
1990年(27歳)
音楽バンドのリーダーとして「サミー」名で活動。
メロディー作りを始める。
1994年(31歳)
NHK制作の「山河憧憬」シリーズ中の一話「武蔵野」の音楽を担当した。
1996年(33歳)
新垣隆(本当の作曲家)が、佐村河内のゴーストライターとして、曲を作り始める。
出会いは、当時シンセサイザーを使って簡単な作曲をしていた佐村河内が、
映画「秋桜」の音楽の仕事を依頼された事から始まりました。
アシスタントを探していた佐村河内は、自分が作曲した短いテーマ曲を新垣に渡して、
「これをオーケストラ用の楽曲として仕上げてほしい。
私は楽譜に強くないから」と頼みました。
そして、「この作品は僕の名前で発表したい。
君の名前は演奏家としてクレジットするし、将来は必ず引き上げるから、
協力してほしい」と言ったそうです。
この時、新垣隆氏は佐村河内より8歳年下の25歳でした。
この曲は佐村河内が200万円もの自腹を切り、
新垣が大学で集めた学生オーケストラに演奏させて録音させたのです。
1998年(35歳)
ゲームソフト「バイオハザード」の交響曲として発売。
この際のプロフィールには、
「5歳から作曲を始め、あらゆるジャンルを自在に操る鬼才」などと表記。
1999年(36歳)
全聾(ぜんろう)としての設定にする。
しかし、社内では耳が聞こえている事は、皆が知っている暗黙の了解事項だった。
2001年(38歳)
アメリカの雑誌「タイム」に、現代のベートーベンと紹介される。
2002年(39歳)
横浜市から身体障碍者手帳を交付される。
2003年(40歳)
交響曲第1番「HIROSHIMA」が完成。
2005年(42歳)
交響曲第2番が完成。
2008年(45歳)
交響曲第1番が広島交響楽団により、世界初演される。
2010年(47歳)
東京交響楽団により、「HIROSHIMA」が東京芸術劇場で演奏される。
2011年(46歳)
映画「桜、ふたたび加奈子」の音楽が、
佐村河内名義で担当が決定。
2012年(47歳)
佐村河内作品集がCDにより発売。
NHKで「日本が涙、耳聞こえぬ作曲家、奇跡の旋律」として、
佐村河内が紹介され、この番組が反響を呼び、
交響曲第1番のCD売り上げがオリコン週間総合チャート9位を獲得。
2013年(48歳)
NHKスペシャル「ピアノの為のレクイエム」
津波で母を亡くした石巻市の10歳の女の子の為に作ったもので、
佐村河内が女の子の母親が消えた女川町の浜辺で、
明け方までの一晩を過ごした時に出来たものだとする曲です。
佐村河内守を特集したNHKスペシャル
「音を失った作曲家」が放送される。
この番組が大反響となり、
オリコン週間総合チャート2位となる。
月刊誌「新潮45」11月号に、
音楽評論家、野口剛夫による、
「全聾の天才作曲家、佐村河内守氏は本物か」と、疑問を呈する記事が載る。
2014年(49歳)
週刊文春の暴露記事を送られた佐村河内が、
弁護士を通じて関係各所に謝罪した事から、
ゴーストライター問題が発覚したのでした。
そもそも33歳から始まったペテン師としての活動。
15年間も世間を騙し、一時はベートーベンの再来かと騒がれた。
それも元は役者志望だったという経歴から、その資質が窺がえます。
全部がバレて記者会見場での開き直ったふてぶてしい態度。
長髪をなびかせ黒メガネでポーズを丁稚上げた幼稚な演出。
バレてしまうと人はかくも手の平返して叩きつぶすのです。

一方、こちらが本物の現代のベートーベン、新村隆氏。
佐村河内守の様な気取ったポーズで居る必要もなく、
素のままのチョッと大人し過ぎる気弱な感じ。
佐村河内氏の"ゴーストライター"新垣隆さん会見ノーカット01(14/02/06)
もう全ては終わってしまった訳ですが、
佐村河内守氏は、全ての信用を失い職も失い、マンションも売り払ったそうです。
恐らく、それまでの貯えなどで隠遁生活をしていたのでしょうが、
それも永遠に続く訳にもいかず、最近は本来の作曲家としての歩みを始めたみたいです。
新垣隆氏は、きっと温かい目で見られているんだと思います。
何しろこちらは被害者的に見られている感じですからね。
それにしても、まさか、まさかの事件ではありました。
こんな嘘みたいな事がいつまでも続けられる筈はない。
彼等にしても、いつかはきっとバレる、そう思いながら引くにも引けず、
後戻りが出来ない嘘に疲れ果てていたかも知れません。
耳の聞こえない天才作曲家は、
やっぱりベートーベン以外には現れるもんじゃないですよね。
佐村河内(さむらごうち)守が、現代のベートーベンと言われた事がありました。
私の範囲内の人でも「凄い作曲家が現れた」と言っていた人がいました。
その頃、私はそんな名前の作曲家の事など全然知らず、
かといってCDを買って聴いてみようとも思った事はありませんでした。
ただ佐村河内という風変わりな名前だけは覚えていましたので、
2014年に彼がペテン師であり、
ゴーストライターの作曲家が実はいたのだという事件が発覚した時は驚きました。
と言うか、そんな漫画みたいなペテンが現代という世の中で、
通用していたんだという事実に唖然とさせられました。


この現代社会に於いて、突如現れた天才作曲家となると、
やはりペテン師としては、こういった如何にも風な演出が必要ですね。
全てがあからさまに剥がされた後の映像を観ると、
実にイヤらしい嫌いなタイプの生の男でしかありません。
彼はいったいどういった経歴の男なのでしょう。
佐村河内守 1963年9月、広島生まれの、一応は作曲家。
高校卒業後は京都に行き、東映京都撮影所で俳優養成所に通いながら、
役者としての生活を始めます。
テレビなどで端役で出演。
1988年(25歳)3才年上の女性と結婚。
この頃、作曲家で音楽プロデューサーの大倉百人と知り合う。
大倉は佐村河内のデモテープで声はいい事を評し、
売り出そうとしたが、佐村河内の虚言癖に気づいて事務所を辞めさせます。
1990年(27歳)
音楽バンドのリーダーとして「サミー」名で活動。
メロディー作りを始める。
1994年(31歳)
NHK制作の「山河憧憬」シリーズ中の一話「武蔵野」の音楽を担当した。
1996年(33歳)
新垣隆(本当の作曲家)が、佐村河内のゴーストライターとして、曲を作り始める。
出会いは、当時シンセサイザーを使って簡単な作曲をしていた佐村河内が、
映画「秋桜」の音楽の仕事を依頼された事から始まりました。
アシスタントを探していた佐村河内は、自分が作曲した短いテーマ曲を新垣に渡して、
「これをオーケストラ用の楽曲として仕上げてほしい。
私は楽譜に強くないから」と頼みました。
そして、「この作品は僕の名前で発表したい。
君の名前は演奏家としてクレジットするし、将来は必ず引き上げるから、
協力してほしい」と言ったそうです。
この時、新垣隆氏は佐村河内より8歳年下の25歳でした。
この曲は佐村河内が200万円もの自腹を切り、
新垣が大学で集めた学生オーケストラに演奏させて録音させたのです。
1998年(35歳)
ゲームソフト「バイオハザード」の交響曲として発売。
この際のプロフィールには、
「5歳から作曲を始め、あらゆるジャンルを自在に操る鬼才」などと表記。
1999年(36歳)
全聾(ぜんろう)としての設定にする。
しかし、社内では耳が聞こえている事は、皆が知っている暗黙の了解事項だった。
2001年(38歳)
アメリカの雑誌「タイム」に、現代のベートーベンと紹介される。
2002年(39歳)
横浜市から身体障碍者手帳を交付される。
2003年(40歳)
交響曲第1番「HIROSHIMA」が完成。
2005年(42歳)
交響曲第2番が完成。
2008年(45歳)
交響曲第1番が広島交響楽団により、世界初演される。
2010年(47歳)
東京交響楽団により、「HIROSHIMA」が東京芸術劇場で演奏される。
2011年(46歳)
映画「桜、ふたたび加奈子」の音楽が、
佐村河内名義で担当が決定。
2012年(47歳)
佐村河内作品集がCDにより発売。
NHKで「日本が涙、耳聞こえぬ作曲家、奇跡の旋律」として、
佐村河内が紹介され、この番組が反響を呼び、
交響曲第1番のCD売り上げがオリコン週間総合チャート9位を獲得。
2013年(48歳)
NHKスペシャル「ピアノの為のレクイエム」
津波で母を亡くした石巻市の10歳の女の子の為に作ったもので、
佐村河内が女の子の母親が消えた女川町の浜辺で、
明け方までの一晩を過ごした時に出来たものだとする曲です。
佐村河内守を特集したNHKスペシャル
「音を失った作曲家」が放送される。
この番組が大反響となり、
オリコン週間総合チャート2位となる。
月刊誌「新潮45」11月号に、
音楽評論家、野口剛夫による、
「全聾の天才作曲家、佐村河内守氏は本物か」と、疑問を呈する記事が載る。
2014年(49歳)
週刊文春の暴露記事を送られた佐村河内が、
弁護士を通じて関係各所に謝罪した事から、
ゴーストライター問題が発覚したのでした。
そもそも33歳から始まったペテン師としての活動。
15年間も世間を騙し、一時はベートーベンの再来かと騒がれた。
それも元は役者志望だったという経歴から、その資質が窺がえます。
全部がバレて記者会見場での開き直ったふてぶてしい態度。
長髪をなびかせ黒メガネでポーズを丁稚上げた幼稚な演出。
バレてしまうと人はかくも手の平返して叩きつぶすのです。

一方、こちらが本物の現代のベートーベン、新村隆氏。
佐村河内守の様な気取ったポーズで居る必要もなく、
素のままのチョッと大人し過ぎる気弱な感じ。
佐村河内氏の"ゴーストライター"新垣隆さん会見ノーカット01(14/02/06)
もう全ては終わってしまった訳ですが、
佐村河内守氏は、全ての信用を失い職も失い、マンションも売り払ったそうです。
恐らく、それまでの貯えなどで隠遁生活をしていたのでしょうが、
それも永遠に続く訳にもいかず、最近は本来の作曲家としての歩みを始めたみたいです。
新垣隆氏は、きっと温かい目で見られているんだと思います。
何しろこちらは被害者的に見られている感じですからね。
それにしても、まさか、まさかの事件ではありました。
こんな嘘みたいな事がいつまでも続けられる筈はない。
彼等にしても、いつかはきっとバレる、そう思いながら引くにも引けず、
後戻りが出来ない嘘に疲れ果てていたかも知れません。
耳の聞こえない天才作曲家は、
やっぱりベートーベン以外には現れるもんじゃないですよね。
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