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猫好き・犬好き

2017-07-20 08:43:04 | 日記
私は大の猫好きです。
いえ、猫だけじゃなく、犬も大好きです。

生まれた時から家には猫がいました。
それから20歳になる頃まで、家にはずっと猫がいました。
犬は・・一度も飼った事がありません。
ですから、どっちかと言うと、猫好きとなってしまうみたいです。
理想は、犬と猫を一緒に飼う事だったのですが、
それは実現しないままでお終いになってしまいました。

猫に関する思い出はいくらでもあります。
一概に猫と言っても千差万別で、実に色々な猫がいました。

「貴婦人」・・・
そのメス猫は、最後まで飼い主になつきませんでした。
エサを食べると、後は一切飼い主になつかず、
毅然とした風で、孤高の真っ黒い猫でした。
彼女は人間をどういった風に思っていたのか?
まるで理解不能ですが、いつまでも気になる猫でした。

私が今でも悔いている猫がいます。
子猫だった時に、高校生だったバカな私は、
そいつに木登りを覚えさせようと、木に登ぼらせるという事をしたのです。
そうしたら、その猫(オスかメスかは覚えていません)が、
木から落ちてしまいました。
打ち所が悪かったのでしょう。
その猫は一生(いざり)になってしまったのです。

本当に、私は彼(彼女)に謝っても謝りきれない思いで、
今でも心が痛むのです。
寝返りも排泄も全部を私達家族がやったんですが、
彼(彼女)は生きていても、ちっとも楽しくなかったと思います。
最後の様子はまるで覚えていないのですが、
きっと私は泣いたんだと思います。

訳の分からない病気になってしまった猫がいました。
その猫は、突然、発作が起きて、
家の中を激しく狂気の様に走り回り、
それが収まると、息も絶え絶えで気息奄々状態。
あまりの可哀想さに、医者に安楽死の注射を打ってもらいました。
あの狂気の状態は今でもハッキリ覚えていますが、
本当に可哀想で見ていられませんでした。

家から数百メートル歩いた場所に、ある工場がありました。
そこの床下に猫の家族が住み着いていました。
そこに秋刀魚をまるまる一匹持っていき、与えました。
野良猫な母親は警戒心丸出しで、私を威嚇しましたが、
子どもの為に秋刀魚を与えていました。
それを見ながら私は秋刀魚を持って来た甲斐があったなと安堵しました。



ホワッツ・マイケルという猫漫画がありましたね。
あれは結構面白かった。
猫好きのヤクザが出てくるのが笑えましたね。

ヤクザって、いわゆるコワモテでしょ。
それが「猫ちゃ~ん」って相好を崩す様なんて、まるでイメージぶっ壊し。
そこが笑えて面白かった。

ある時、近所の道を歩いていたら(田舎道的な道)
ご婦人が佇んでいました。
俺があまりにもカッコイイんで待っていてくれたんです。
違うってッ!
彼女の目の先に居たのは、一匹の大型犬が放し飼い状態で座って居たんです。
そのご婦人は私に「あの犬が怖くて通れないんです」と訴えてきました。
私はそのご婦人を伴って犬のそばへと歩いて行きました。
私は犬に手を差し伸べ口を鳴らすと、犬は嬉しそうに尻尾を振っていました。

そうなんです、私はいくら大型犬でもちっとも怖くなんかないんです。
犬も、私が犬好きである事を見抜いてなついてくるのです。
それにしても、そのご婦人いい女だったのにな~。

犬と猫と、どっちでもいいんです。
私は動物が大好きなんです。
今まで何度も言ってるんですけど、
やっぱり人間の女性がイッチャん好き。だ~い好き。
殆ど病気状態で、だ~い好き。

動物は人間と違って、気持ち、心を剥き出しにします。
そこには何の嘘もなく、ためらいもありません。
それこそが・・それこそが、
私達、人間の嘘やいつわりに惑わされる事と、違っているんですね。
だから、いつも何処か心の隅で後ろめたさに悩んでいる私達、人間の、
心の本質を揺さぶり、魂に触れる何かに人は感動するのかも知れません。

たかが猫、たかが犬。
でも、彼等はどれだけ私達、人間という弱さを抱える生命体を、
心から支えてくれているんでしょうか。
私は彼らに心から、ありがとう、ありがとうと言いたいのです。







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