渚にて (1959) Opening&Finalseen
数日前のブログで「人類滅亡の日は予想よりはるかに早い」を書いたのですが、
その時に添付した音楽「ウォルチングマチルダ」
私達は歌声喫茶ともしびで「ウォルチングマチルダ」という歌を唄っています。
その歌は、オーストラリアの歌だという事は、よく聞かされています。
殆どの人が知っている知識はその程度だと思われます。
中にはそれが映画「渚にて」の主題歌だと知っている方も少しはいるようです。
本当のところ、その歌はどういった歌なんでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/7a/073383f3a570e34b6c8919aa319a48d9.jpg)
Bearsden Fiddlers - Bonnie Woods o' Craigielea/Waltzing Matilda
この曲に詞を付けたのは、
アンドルー・バートン・バンジョー・パターソン(1864ー1941)という詩人で、
彼は婚約者の友人女性がチターで奏でたスコットランドの曲に、詞を書いたそうです。
それが、オーストラリア非公式の国歌(ウォルチングマチルダ)となったのですね。
さて、映画「渚にて」とは、どういう映画だったのでしょう。
1959年のアメリカ映画。
主演のアメリカ潜水艦、艦長にグレゴリーペック。
その恋人となるオーストラリア女性にエヴァ、ガードナー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0b/e316d478a44b9dbc111ef92246fe1639.jpg)
私は中学生か高校生の時に映画館で、この映画を観ました。
ショッキングな内容に、その怖さだけは印象に残っていて、
大人になり、改めてそれを観たくなってDVDを買い求めました。
それは当時としては未来になる1964年が舞台です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/bd/54d8859561d159538b3bd39dc27ab8ed.jpg)
米ソ対決で第三次世界大戦が始まり、予期せぬ核戦争が勃発してしまい、
人類は滅亡の日を迎えてしまいました。
その瞬間、海中深く潜っていたアメリカ潜水艦は、滅亡を避ける事ができました。
しかし、北半球は放射能に汚染されて全滅。
潜水艦は、まだ人類が生存していた南半球のオーストラリア・メルボルンに入港します。
そこから科学者などを乗せてアメリカの現況探査に行きます。
しかし、街並みは完璧な状態を保ってはいますが、人っ子一人いません。
そこに居た人達は全て死に絶えていたのです。
そこが故郷だった乗組員の一人は、艦から密かに脱出して岸に泳ぎ着きます。
彼は、どのみち死ぬんだったら、懐かしい地で死にたかったのです。
潜水艦は彼の意思を尊重して彼一人を残し、再びオーストラリアに帰って行きます。
人間が死に絶えた筈のアメリカのある場所から、意味不明のモールス信号が発信されていました。
誰か生存者がいるのか?
捜索に行った隊員が見たものは、
窓にかかるカーテンに糸が付けられ、その先にはコーラのビンが縛ってありました。
そのビンがモールス信号機のキーに結ばれていたのです。
風にそよぐ度に意味不明の信号が発信されていました。
死にたくはないが、死から逃れられない理不尽さ切なさ故に、
誰かが悪戯の小細工をしたのかもしれません。
オーストラリア政府は国民に安楽死の錠剤を配ります。
自動車レースが好きだったある男は、
自宅ガレージに目張りをして、レースカーのエンジンを目いっぱい吹かし、
排気ガスによる死を選択しました。
愛する人が現在居なくなっていた女性は、人として女として(愛)を求めていました。
潜水艦の艦長は、アメリカの妻、子供達がみな死んでいったのは間違いないのですから、
彼も一人っきりの、男でした。
その彼等がそういった状況だけとは言いませんが、惹かれ合っていったのは、
ある意味、自然の摂理と言ってしまえば、見も蓋もありません。
しかし、絶対的な時間が無いのは判り切っているのですから、
追い詰められた最後の、人として必死の想いだったんだのではないでしょうか。
二人は、愛という最後の綱に、人間としてのやり切れない思いを託したのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ff/c79808a693ec142f4fcd839fc82f99fa.png)
潜水艦の艦長や、乗組員たちは、
全員が潜水艦に乗り組んで、オーストラリアから太平洋へと出港して行きました。
彼等はいったい何処に行くのでしょう?
彼等に行く場所など地球上の何処にも無いのです。
海軍軍人として艦と共にいつも通りに行動し、
艦と共に、仲間達となすがままに逝くのを皆は望んだのではないのでしょうか。
彼も彼女も、あと数日しか生きられない現実。
永遠の別れ。
女は、見送る潜水艦の姿に何を想ったのか。
その別れのシーンは実に悲しく切なくやり切れなかった。
あの時代に、こんな世紀末のストーリーがあり、
映画が撮られていた事が、不思議であり恐ろしくも感じた秀作です。
数日前のブログで「人類滅亡の日は予想よりはるかに早い」を書いたのですが、
その時に添付した音楽「ウォルチングマチルダ」
私達は歌声喫茶ともしびで「ウォルチングマチルダ」という歌を唄っています。
その歌は、オーストラリアの歌だという事は、よく聞かされています。
殆どの人が知っている知識はその程度だと思われます。
中にはそれが映画「渚にて」の主題歌だと知っている方も少しはいるようです。
本当のところ、その歌はどういった歌なんでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/7a/073383f3a570e34b6c8919aa319a48d9.jpg)
Bearsden Fiddlers - Bonnie Woods o' Craigielea/Waltzing Matilda
この曲に詞を付けたのは、
アンドルー・バートン・バンジョー・パターソン(1864ー1941)という詩人で、
彼は婚約者の友人女性がチターで奏でたスコットランドの曲に、詞を書いたそうです。
それが、オーストラリア非公式の国歌(ウォルチングマチルダ)となったのですね。
さて、映画「渚にて」とは、どういう映画だったのでしょう。
1959年のアメリカ映画。
主演のアメリカ潜水艦、艦長にグレゴリーペック。
その恋人となるオーストラリア女性にエヴァ、ガードナー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0b/e316d478a44b9dbc111ef92246fe1639.jpg)
私は中学生か高校生の時に映画館で、この映画を観ました。
ショッキングな内容に、その怖さだけは印象に残っていて、
大人になり、改めてそれを観たくなってDVDを買い求めました。
それは当時としては未来になる1964年が舞台です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/bd/54d8859561d159538b3bd39dc27ab8ed.jpg)
米ソ対決で第三次世界大戦が始まり、予期せぬ核戦争が勃発してしまい、
人類は滅亡の日を迎えてしまいました。
その瞬間、海中深く潜っていたアメリカ潜水艦は、滅亡を避ける事ができました。
しかし、北半球は放射能に汚染されて全滅。
潜水艦は、まだ人類が生存していた南半球のオーストラリア・メルボルンに入港します。
そこから科学者などを乗せてアメリカの現況探査に行きます。
しかし、街並みは完璧な状態を保ってはいますが、人っ子一人いません。
そこに居た人達は全て死に絶えていたのです。
そこが故郷だった乗組員の一人は、艦から密かに脱出して岸に泳ぎ着きます。
彼は、どのみち死ぬんだったら、懐かしい地で死にたかったのです。
潜水艦は彼の意思を尊重して彼一人を残し、再びオーストラリアに帰って行きます。
人間が死に絶えた筈のアメリカのある場所から、意味不明のモールス信号が発信されていました。
誰か生存者がいるのか?
捜索に行った隊員が見たものは、
窓にかかるカーテンに糸が付けられ、その先にはコーラのビンが縛ってありました。
そのビンがモールス信号機のキーに結ばれていたのです。
風にそよぐ度に意味不明の信号が発信されていました。
死にたくはないが、死から逃れられない理不尽さ切なさ故に、
誰かが悪戯の小細工をしたのかもしれません。
オーストラリア政府は国民に安楽死の錠剤を配ります。
自動車レースが好きだったある男は、
自宅ガレージに目張りをして、レースカーのエンジンを目いっぱい吹かし、
排気ガスによる死を選択しました。
愛する人が現在居なくなっていた女性は、人として女として(愛)を求めていました。
潜水艦の艦長は、アメリカの妻、子供達がみな死んでいったのは間違いないのですから、
彼も一人っきりの、男でした。
その彼等がそういった状況だけとは言いませんが、惹かれ合っていったのは、
ある意味、自然の摂理と言ってしまえば、見も蓋もありません。
しかし、絶対的な時間が無いのは判り切っているのですから、
追い詰められた最後の、人として必死の想いだったんだのではないでしょうか。
二人は、愛という最後の綱に、人間としてのやり切れない思いを託したのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ff/c79808a693ec142f4fcd839fc82f99fa.png)
潜水艦の艦長や、乗組員たちは、
全員が潜水艦に乗り組んで、オーストラリアから太平洋へと出港して行きました。
彼等はいったい何処に行くのでしょう?
彼等に行く場所など地球上の何処にも無いのです。
海軍軍人として艦と共にいつも通りに行動し、
艦と共に、仲間達となすがままに逝くのを皆は望んだのではないのでしょうか。
彼も彼女も、あと数日しか生きられない現実。
永遠の別れ。
女は、見送る潜水艦の姿に何を想ったのか。
その別れのシーンは実に悲しく切なくやり切れなかった。
あの時代に、こんな世紀末のストーリーがあり、
映画が撮られていた事が、不思議であり恐ろしくも感じた秀作です。