鄧麗君-香港之夜、香港の夜 (中日語合版)
私はかつて30年以上、中国の歌ばかりにはまっていました。
その中の一曲であり、大好きであった歌に、
鄧麗君(トン・リーチン)。日本名(テレサテン)が唄う、「香港の夜」があります。
私にはかなり(お気に入りの歌)だったのですが、
ある時、その作曲者が「井上忠夫」と書いてあるのに気づいて「エッ?」と思いました。
最初は、日本人の名前である「井上忠夫」というのが信じられませんでした。
何故かというと、「香港の夜」は他の中国人作曲家が作曲した歌と比べても、
凄く(中国の歌)然として輝いてる歌だったからです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/32/1276237927dec756a65d5208ae4891bf.jpg)
そして何より「井上忠夫」って、あの大ヒットした歌、
「ブルーシャトー」を作曲した人でしょう。
その井上忠夫が、まさかこんな素晴らしい中国の歌を作曲していただなんて、
最初は全く、信じる事が出来ませんでした。
何かの間違いではないかと疑ったくらいです。
しかし、どう考えてもそれは、間違いなくブルーコメッツの井上忠夫だったのです。
調べてみると彼は様々な歌を、多くの歌手に提供している多彩な人だったのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/95/1ad3f7ba62edbb2575461bd63735abc0.jpg)
ずっと長い間それに気づかなかった私は、彼に本当に申し訳ない思いがします。
あんな素晴らしい歌を作曲できる貴方の才能には、頭が下がります。
しかし彼は奥様の看病疲れや、自分の病気(網膜剥離)などがあって、
2000年にわずか58歳の若さで自らの命を絶ってしまいました。
しかし、鄧麗君の歌は、中国語だとピカイチ的に大好きなんですが、
日本語になると、途端に私は興味が無くなるのです。
あれっていったい何でしょうね?
香港は中国人妻と愛娘と一度だけ行った事がありますが、
忘れられない思い出になりました。
今はすっかり共産化されてしまって、
あの東洋の真珠(香港)は、ただの(石ころ)になってしまったのですね。
でも、井上忠夫さんの最期は、あまりにも悲しい。
本当に惜しい人だったと今更ながら残念に思います。
私はかつて30年以上、中国の歌ばかりにはまっていました。
その中の一曲であり、大好きであった歌に、
鄧麗君(トン・リーチン)。日本名(テレサテン)が唄う、「香港の夜」があります。
私にはかなり(お気に入りの歌)だったのですが、
ある時、その作曲者が「井上忠夫」と書いてあるのに気づいて「エッ?」と思いました。
最初は、日本人の名前である「井上忠夫」というのが信じられませんでした。
何故かというと、「香港の夜」は他の中国人作曲家が作曲した歌と比べても、
凄く(中国の歌)然として輝いてる歌だったからです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/32/1276237927dec756a65d5208ae4891bf.jpg)
そして何より「井上忠夫」って、あの大ヒットした歌、
「ブルーシャトー」を作曲した人でしょう。
その井上忠夫が、まさかこんな素晴らしい中国の歌を作曲していただなんて、
最初は全く、信じる事が出来ませんでした。
何かの間違いではないかと疑ったくらいです。
しかし、どう考えてもそれは、間違いなくブルーコメッツの井上忠夫だったのです。
調べてみると彼は様々な歌を、多くの歌手に提供している多彩な人だったのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/95/1ad3f7ba62edbb2575461bd63735abc0.jpg)
ずっと長い間それに気づかなかった私は、彼に本当に申し訳ない思いがします。
あんな素晴らしい歌を作曲できる貴方の才能には、頭が下がります。
しかし彼は奥様の看病疲れや、自分の病気(網膜剥離)などがあって、
2000年にわずか58歳の若さで自らの命を絶ってしまいました。
しかし、鄧麗君の歌は、中国語だとピカイチ的に大好きなんですが、
日本語になると、途端に私は興味が無くなるのです。
あれっていったい何でしょうね?
香港は中国人妻と愛娘と一度だけ行った事がありますが、
忘れられない思い出になりました。
今はすっかり共産化されてしまって、
あの東洋の真珠(香港)は、ただの(石ころ)になってしまったのですね。
でも、井上忠夫さんの最期は、あまりにも悲しい。
本当に惜しい人だったと今更ながら残念に思います。