日本で初めてのスーパースポーツと言われたのが、1959年の、
ホンダ・ベンリースーパースポーツCB92(125cc)でした。
ホンダは250ccにはドリーム(夢)と名付け、
125ccにはベンリー(便利から採った)と名付けていました。
このスーパースポーツの原型は、
実用車であるベンリーC92(125cc)でした。
この頃、250ccにはドリームC72というベンリー号と同じ実用車がありました。
125も250も、似た様な基本形であり、
角張った、いわゆる神社仏閣型と呼ばれた当時のホンダスタイルです。
私が初めて持ったのも、このC72をスポーツ的なWシートにしただけのバイクでした。
250ccで18馬力だったかな・・
箱根のヘアピンカーブになると出力不足で足で路面を蹴った記憶があります。
今だと250でも50馬力とかの時代ですから、
たった18馬力って・・可愛かったな~(笑)
そういった時代にホンダでは何とかスーパースポーツを持ちたい、
何とか実用車の世界から脱皮したいという一念から、
こういった、スタイルだけはスポーツカーであってもいいから持ちたかったのでしょうね。
でも、これを目にする事は本当に少なかったけど、かなりのインパクトがありました。
しかし、フレームはパイプではなく鋼板製のプレスフレームでした。
本格的なスポーツ車になるには絶対にパイプフレームでなければなりません。
しかし、まだ難しいパイプ成形の技術が無かったのかもしれませんね。
あの世界的な実用車のスーパーカブも、
その前輪支持にはボトムリンクでした。
初のスーパースポーツのCB92も、まだボトムリンクだったのです。
しかし実用車の典型であるスーパーカブも後年は、テレスコピックを使っています。
真っすぐに伸びた一本棒スタイルのテレスコピック。
スポーツであるならば絶対的にテレスコピックでなければなりません。
1960年。
ホンダは満を持して日本初の本格的スーパースポーツを発表しました。
CB72(250cc)24馬力の本格派でした。
日本中のバイク好きは目を輝かせ、羨望の眼でこのバイクを熱く見つめたのです。
あのCB92が、なりたかった本格派の世界。
涙を流して世界に羽ばたきたかった一流のスーパースポーツの世界。
それがとうとう実現したのでした。
まだ中学生だった、バイクの世界に開花したばかりだった私も、
自宅の向かい側にあった木型屋のバイク好きなお兄ちゃんが、
ある日、これの新車に晴れ晴れしく乗って来る様になり、
昼休みになるとタバコを吹かしながら我が愛車を愛おしく熱っぽく、眺めている姿を、
生意気餓鬼の私は憧れて見ていたのでした。
特に彼がバイクを走り出す時に、
両足をポーンと前に投げ出す感じで、颯爽と走り出す姿は今、思い出しても感動するのです。
同じ頃、ヤマハからはYDS-1というライバルが出現します。
(金茶色)と呼ばれたカラーで、ウォーンという独特の、
2サイクル車の排気音を轟かせながら疾走する姿は、
ホンダとヤマハは、どっちがいいか?
なんてあの頃のバイク好きは皆、胸を熱くして語るのです。