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伝説のやくざ・花形敬

2020-12-14 06:04:09 | 日記
花形敬 Kei Hanagata Scarface


伝説のやくざと言ったら、やはりこの男になるだろう。





花形敬(はながた・けい)本名(たかし)
1930年(昭和5年)~1963年(昭和38年)享年33歳。
彼は素手での喧嘩(ステゴロ)で圧倒的な強さを誇りました。
やくざ相手の喧嘩では、どんな相手だろうが武器を持たずに素手で戦うのを信条としていました。

小田急線の経堂駅から自宅まで徒歩10分とかを、
全く他人の土地を踏まずに行かれたという裕福な家庭で育ったそうです。



裕福な家庭に育ったヤクザというと、
後に「塀の中の懲りない面々」という小説の大ヒットで作家になった、
安部譲二がいます。
彼もまた、花形敬ほどではないにせよ、裕福な家庭に育ったそうです。





安倍譲二は、やくざでありながら日本航空の客室乗務員(パーサー)をしていました。
そんな安倍を三島由紀夫が小説にしたのが「複雑な彼」という本で、
1966年(昭和41年)から女性セブンに連載されました。



また田宮二郎主演で映画にもなりました。


花形敬は地元の千歳中学を自主退学後、移った国士館中学において、
後の住吉会・住吉一家・石井組会長となる石井福造と番長争いを演じました。
後に石井は「あいつは普段眼鏡をしている時は上品に見えるけど、
眼鏡を外すと凄い顔になるんで、ビックリしちゃったよ」と語っている。
国士館を退学処分になった後、明治大学予科に進学し、
ラグビー部に所属します。

1950年(昭和25年)石井福造の仲介で安藤組の舎弟になり、
渋谷を中心に活動する様になります。



安藤組というのは、横井秀樹襲撃事件で有名になった安藤昇が組長のやくざです。
安藤昇は、その後やくざに嫌気がさし、映画俳優となりました。
花形敬はこの安藤昇に最も可愛がられる存在になります。



伝説のやくざと言えば、
山口組三代目、山口組を日本最大の組織に育て上げた
田岡一雄をあげない訳にはいきませんね。



またボンノと呼ばれた山口組、若頭補佐の菅谷政雄。
背中一面に夜桜の入れ墨で知られた、夜桜銀二などもいました。

多くの伝説的やくざを差し置いてなお、
花形敬を一番に挙げるのは、あの力道山をも怖がらせた存在感。
力道山が開いた店を巡って一寸したトラブルがあった時、
花形敬が乗り込んでいったみたいですが、
何しろ176センチの力道山を遥かに上回る身長。
183~185センチはあったと言われるガタイと、
当時のやくざは現在と違って、人を殺す事などなんとも思わないどころか、
それが勲章になる、箔が付くといった時代でしたので、
流石の力道山も花形敬の迫力には敵わなかったのでしょう。



本田靖春という方が、彼の生涯を本にしています。

花形敬」 360p


1988年には陣内孝則主演で映画になっています。
この映画を製作する時、何人かの役者から「我こそは」といった立候補があり、
陣内孝則が白羽の矢を射止めたという事ですが、
同じく立候補した松田優作、私は彼に演じて欲しかった。

当時のやくざでは誰も居なかった、
白いスーツ姿をトレードマークにして颯爽とヤクザ界を闊歩した花形敬は、
横井秀樹襲撃事件で服役中の安藤昇に代わって、組長代行をしていましたが、
敵対するやくざから待ち伏せされ、
川崎・溝の口にある家に車で帰宅し、歩いている所を、
3人の刺客に襲われ、1963年(昭和38年)9月27日夜、
33歳の短い人生を終えたのでした。



花形敬の墓は、小田急線・経堂駅から徒歩10分にある常徳寺にあります。

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