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河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

陸前高田への旅

2016-10-03 06:16:15 | 旅行
大きな被害を受けた陸前高田市[震災翌日]


岩手県の陸前高田に行って来ました。



東日本大震災・一年後の2012年に行こうとしたんですが、
当時は電車が気仙沼までしか無く、あきらめて気仙沼を、
独りで歩き回ったのです。

海から600メートルの内陸にまで乗り上げ有名になった漁船、
第18共徳丸が、鹿折唐桑駅前に鎮座していたのですが、
そこをバスで通りかかると、漁船は既に撤去されていて、
盛り土によりかさ上げされている町は、以前の風景は
もう何処にも有りませんでした。



気仙沼までは従来通りのJRが来ていますが、
そこから先はBRT方式のバスに乗り換えて陸前高田へ向かいます。

陸前高田では、キャピタルホテル1000というホテルに泊まりました。
被災前は海岸にあったのですが、
津波被害で取り壊され、場所を変えての高台に新築し直されての営業です。
名前の1000と言うのは、
歌手の千昌夫が最初、ホテル建設の資金を援助した事からだそうです。





かつての海岸には7万本の松原がありました。
しかし、津波で全滅し、たった一本だけが生き残り、
「奇跡の一本松」となって残っていました。
でも実態は、ほぼ枯れ木状態で、その姿を残す為に大金が投じられています。



今回は陸前高田の「語り部」の方にお願いし、
タクシーと共に3時間借り切っての被災地巡りとなりました。
3時間は時間的に比較的余裕があるので、被災地以外の名所なども見せて頂きました。



7万本の松の木は、根本から1~2メートルくらいで、
すっぱりと切断されていました。



かつて在った「道の駅」前の慰霊碑で、
観光客が持ってきた花束を整理する、ガイドの新沼さん。



道の駅では、屋上の看板の上(15,1メートル)まで津波が来ました。



3階建ての、この小学校は完全に水没し、
屋上にある水位の看板には、14,1メートルの記載があります。
しかし、この学校の生徒は避難し、死者は出なかったそうです。
この小学校は保存される事になったそうです。



この建物も保存が決まった雇用促進住宅で、
5階建ての建物の4階までは完全に水没し、5階の真ん中まで津波が来ました。



陸前高田の市街が一望できる箱根山(450メートル)の展望台にて。
広田湾と、右奥が陸前高田です。



同じく、箱根山から。
この半島状態の場所に、あの俳優の村上弘明の家がありました。
こちら側と向こう側は津波で途切られてしまい一時は(島)になったそうです。



語り部さんの案内で、お隣の大船渡にある観光名所、
穴通磯(あなとおしいそ)を見に行きました。
向こうに見えるのは大船渡の市街地ですが、
防波堤の高さが景観を損ねているのが感じられますね。



陸前高田から仙台に戻る途中の気仙沼駅にある喫茶店です。
昼食を食べに途中下車して行ったのですが、そんな店は無く、
たった一軒だけあったのがこの喫茶店(シー・キャンドル・コーヒー)
しかし、マスターが神奈川県の辻堂に居た事もあるという後藤さんという方で、
ライブをする事もあるというオシャレな店でした。



ホテルからは真正面に楽天の野球場が見え、
この日はソフトバンクとの試合が行われていました。



その日の夜は「歌声喫茶・仙台バラライカ」で歌声です。
昔、仙台駅前にあった「歌声喫茶・若人」の同窓会という月一の日でした。



いつも泊まる仙台サンプラザホテルからの早朝風景です。



仙台駅のそばにあるAERビルの31階にある展望台から見下ろす仙台市街です。
高さ145,5メートルだそうです。



仙台に行くと必ず行く店で、いつもの三色丼を注文し、



今回は「ひれ酒」を飲みました。



昼食後は「バラライカ」の昼歌に参加。
3時半まで居ましたが、
私達は3週間前にもバラライカに行ったばかりで、
南部さんからは「いつ仙台に移住するの?」
「来週もお待ちしてますね」なんて冷やかされてしまいました。
バラライカでは、私も妻も苗字などで呼ばれた事は皆無で、
いつも「河童さん」「エリカさん」なんですね。(笑)


これで、津波の被災地は、
石巻2回。気仙沼。南三陸町。陸前高田の5回となりましたが、
最も印象に残るのは、
被災3ヶ月後に行った石巻で、それは凄い臭いでした。
今回行った陸前高田では、もう5年半も経っているので、
以前の市街地や面影は、完全に無くなっているみたいですし、
地元の人が見たら、浦島太郎状態なんだと思います。
やはり、少しでも早くに被災地は皆さんに見て欲しかったですね。

被災地が完全な姿で復活する日は、まだまだ先の事でしょうが、
私達は日本人として、事実を見る義務があると私は思います。
そして、旅行に行くなら東北に行き、
少しでもお金を使って、東北を支援して欲しいと願っています。

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名城巡り

2016-08-19 15:21:56 | 旅行
最近はもう行ってませんが、
私は若い頃には、仕事の途中や、旅行などであちこちの城を訪ねて行きました。

城郭巡りの最も好きな点は、
「一国一城の主」という言葉を肌で実感できる事かな~・・・
それは、男として実に憧れの対象となる感覚ですね。

日本には5つの「国宝天守閣」があります。
姫路城・松本城・犬山城・彦根城・松江城です。

それはどれも行きましたが、
やはり日本一と言えば、姫路城に尽きます。



天守閣だけではなく、城郭の全てがそのまま残っている城でもあるし、
何より「白鷺城」と呼ばれる、その真っ白い姿の優美さは、他の追従を許しません。
その姿を下から仰ぎ見ると、何だか「お姫様」がそこにいらっしゃる様に思えてきます。

天守閣の大きさから言えば、大阪城に譲りますが、
その大阪城は再建天守なので、コンクリート製で、中にはエレベーターがついています。
しかし、その大きな天守閣に登ると、
豊臣秀吉の権力が如何に大きかったかと納得しますね。

同じ再建天守閣に名古屋城がありますが、
あれはテッペンの(金のしゃちほこ)くらいしか見るべき物は無い気がします。
あまり好きな城ではありません。

松本城は、烏城とも言われ、真っ黒な天守閣ですが、
真っ白い北アルプスを背に聳える姿はとても、いい感じです。
犬山城は小型の天守閣ですが、つい最近までは個人の持ち物だったそうな。
松江城は、姫路城を見た後で行くと、何だか見劣りがしますが、
やはりそれなりの由緒ある国宝天守閣なんですね。
彦根城はかなり大型の天守閣で、情緒豊かな風情のあるいいお城ですね。

行った回数が一番多いのは、
私の家の墓地があるという事で、小田原城です。
その城を見下ろす場所にあるのが、
あの太閤一夜城と言われる、石垣山城ですが、
そこは最前線の仮城ですから、勿論、天守閣などあろう筈はありません。
苔むした石垣の残骸があるくらいですね。

他に行った城には、
広島城・熊本城・島原城・富山城・吉田城・唐津城・大多喜城・久留里城・
松江城・会津若松城・岡山城・小倉城・今帰仁城・などがあります。

その中でも一風変わった城に、島原城があります。





5層の屋根と屋根との間に普通は在る(破風)と言われる三角の屋根が全く無いのです。

同じ九州には小倉城があります。



天守閣の一番上の部分が(八が開いた状態)
つまり下より上の部分が大きくなっているのです。
これは西洋建築の流れを引いた建築様式だという事です。

今年、広島旅行に行った時に尾道にも行ったのですが、
そこの山の上には「尾道城」がありました。
尾道駅前から良く見える山の上に聳えたっています。
地元のタクシーの運転手さんが、渋い顔で言いました。
「あんなみっともない物は、早くぶっ壊して欲しいね。地元の面汚しだよ」と。

熱海には「熱海城」があります。
これも尾道城と同じで、歴史的ないわれは何も無い観光の為の城。
日本には、こういった具合に勝手気ままにおっ建てた、勝手城はかなり在るんですね。
中には個人的な城もあるし。

しかし、本物は・・・

城って、本当にいいんです。
見る価値は絶対にありますよ。

今だったら、最近お色直しの済んだ、真っ白な姫路城が、やはりお勧めです。
是非一度お出かけくださいね。

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裕次郎記念館閉館

2016-08-09 05:49:46 | 旅行
北海道・小樽港にある「石原裕次郎記念館」が閉鎖される事になったそうです。

石原裕次郎は、父親の仕事の関係で、
3歳から9歳までの6年間を小樽で過ごした事から、
彼の没後4年の1991年に開館し、16年間の幕を閉じる事となりました。
閉館日は来年の8月だそうです。

開館一年目の1992年には来場者が126万人だったそうですが、
昨年は20万人とかなり少なくなっていました。
延べ1800万人の来場者という事なので、かなりなもんだったんですね。
しかし、最近は石原裕次郎を知らない若者も居るとかで、
これも時代という事なんでしょうね。
私達世代から見れば、寂しいのひと言ですね。



私は昨年6月の初めての北海道旅行で、ここに行きました。
そういえば、来館していた人はあまり多くはなかったですね。
展示物も、今となっては時代を感じさせる物が多かったし・・・
閉館も、まあ止む無しという感はありますね。

裕次郎記念館から向こうに見上げる丘の上には、
(ニシン御殿)とか言われる建物があり、
妻のエリカさんは、そこにも行きたかったらしいんですが、
結局、裕次郎記念館だけで時間が経ってしまって行きませんでした。

もし、ニシン御殿に行けば、私達と同じで北海道を旅行中の、
栃木歌声の(わかさん、たかちゃん)と会えたのに~ッ。
とに角、後になってそれを知り、無念の気持ちでいっぱいでした。

それより何より、翌日の朝。
私達は札幌のホテルを出て、時計台に向かってレンタカーを走らせたのですが、
ホテル近くの信号で停まった時、目の前の横断歩道を渡って来る女性。
それは、歌声喫茶でお馴染みの、ある女性だったのです。

エリカさんが「〇〇さんが居る」と言うので、
よく見てなかった私は車を脇に寄せ、彼女が歩いて来るのを待ちました。
すると、それはまぎれもなく一人で歩く彼女だったのです。
こんな遠くまで来て、歌声でよく見知った顔に出会うとは、奇跡みたいなものです。
しかし、私達は彼女に声をかける事が出来なかったのです。

何故なら、私(河童)と彼女とは以前は、良き友人だったのですが、
ある時から、私の傍にはいつもエリカさんの存在がある様になり、
それは彼女には耐えがたい事だったみたいです。
以来、彼女は私達には(シカト)で、もうどうし様もない断絶状態。
もし、声をかけても、情けない思いをするのは私達。
それでは、声などかけられる筈もなく、とっても無念な思いでした。

さて、今年の6月、
私達は群馬県の吹き割りの滝にドライブに行きましたが、



瀧から駐車場に戻る時、道路を横断している私達を見ていた人が居たのです。
歌声喫茶で時々出会うその女性は、
娘さんと二人で観光バスの最前席に乗っていると、
横断歩道で停まった時に、目の前を渡っている私達を見かけたという事です。

彼女にすれば、大きな声で私達を呼び止めたかったでしょうが、
そういった事って、本当に無念な気持ちですよね。
後日、彼女にそんな話を聞かされた私達も、
「あ~、残念無念」のひと言でした。

石原裕次郎記念館閉鎖から、そんな事を思い出してしまいました。







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日本一の不人気県

2016-07-05 13:20:39 | 旅行
日本で最も人気の無い県として、茨城県が何年間もその座を保っているらしい。

次点候補として、群馬県・佐賀県・栃木県とからしいんですが・・・
茨城県と言われると、
私は申し訳ないのですが「やっぱりね」という気持ちがするのです。
日本の47都道府県・全制覇を成し遂げた私でも、そう思うのです。

若い頃は週末ともなると、土日で関東一円など数百キロを車で走り抜けていた私ですが、
まず何処を目指すかというと、大体が甲信越方面でした。
茨城県方面にハンドルを切るという事は、一度としてありませんでした。
何故?・・・魅力が無い。これに尽きます。

では、何んで魅力が無いの?
国立公園が無い。
山が平坦で凹凸が無い。
これは山梨県を走っている時の山岳風景の面白さとは大違い。
何処まで走ってもノッペラボウで面白くも何ともないのです。
海・・茨城県の海に魅力を感じる人・・まず居ませんね。
沖縄みたいな(ど真っ青)でもないし、海岸線に凹凸が無いし。

2013年6月。
歌声仲間の女性が歌声喫茶を立ち上げたので、水戸へ行きました。
水戸駅に降りると、県庁所在地の駅であるにも係わらず、
その人の少なさに驚きました。

こちらの感覚で言うと、東京郊外の駅くらいの人並みでしかないのです。
仮ににも県庁所在地だろう、と思ってもそんなものなのです。
茨城県って魅力が無いとは感じていましたが、
何だか拍子抜けするくらいでした。

茨城県を故郷とする人にとっては屈辱的だと思います。
(オラが故郷)は、絶対に、いい、と思いたいでしょう。
でも、日本全国レベルで言ったら、やっぱり・・仕方ないよね。
国立公園すら無いんだから、やっぱり負けちゃうんだよね。
あきらめなさい、地形は変えようが無いんだからね。

さて、次点の県。
まず、佐賀県は首都圏からは遠いので、それなりの魅力は感じます。
群馬県・栃木県・・国立公園があります。

もうそれだけを採っても、茨城県に勝ち目は無いのですね。
本当にお気の毒だとは思うし、
私の祖母は、何でも茨城県出身だったとかだしでも、やっぱり仕方ないよね。

さてと、この魅力に欠ける県を、
日本最大級の超・魅力的な県に変えるには・・・どうすんの?

魅力的な歌声喫茶を立ち上げるっきゃないだろッ!
メインとなるスターは・・・

俺っきゃないだろッ!(爆)
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吹割の滝と谷川岳

2016-06-20 05:11:40 | 旅行
群馬県にドライブ旅行に行って来ました。

私達は、よく行くキャンプの時にはドライブ状態になりますが、
いわゆる(ドライブ)というのは、あまりした事がありません。
それで「ドライブをしに行こう」となったのですが、
最初は目的地が定まりませんでした。
結局、私が行った事の無い、(吹割の滝)と(谷川岳)とを組み合わせて、
群馬県へとドライブに行きました。

関越道・沼田インターを出て行った先は、
これは私は全く知らなかった観光地(ロックハート城)です。
スコットランドに実在していた城郭が売りに出されたのを、
俳優の津川雅彦が私費で買い取り、北海道に再建する予定だったのが、
金銭的な面で地元と折り合いが付かず宙ぶらりんとなっていたのを、
群馬県が引き取ったといった事で、この地に再建されたそうです。







まるで、本当に中世のイギリスに行った様な気がします。



中にはこんな展示物も・・・



お姫様がそこに座っている様な気がしました。



貸ドレスがあり、着飾った若い(お姫様たち)がいっぱいに溢れていました。
みな、自撮り棒にスマホを付けて、(つかの間の夢)を撮っていました。


次に向かったのが(吹割の滝)
2011年11月に(歌声バス旅行)で尾瀬に行った時、
すぐそばを通ったのですが、吹割の滝は横目に見ただけで立ち寄らなかったのです。
そんな思いがあったので初めての滝は楽しみにしていました。









この日は水量が少なく、迫力に欠けましたが、
逆にこれが台風通過後などで、水量が多かったら怖いくらいなのでしょうね。

この日は、水上温泉の水上館という旅館に泊まりましたが、
あの歌声司会者のバクさんは、沼田出身でしたね。
ロックハート城には、沼田インターから向かいましたが、
沼田駅は川の傍に有り、市街地はそこからかなり上がった高い地区にあり、
(標高差の激しい町)なんだなと思いました。
バクさんの家は一体どこにあったのかな~?


翌日は早くから谷川岳に向かいました。
何処まで自家用車の乗り入れが出来るのか不安でしたが、
5年前から、谷川岳ロープウェー駅前から先は、
環境保全の為に、完全乗り入れ禁止となったそうです。



この電気自動車だけが唯一、一ノ倉沢まで乗り入れる事の出来る乗り物で、
この車は、乗客数が厳密に8名までとなっていて、
私達以外のグループでは、定員オーバーで乗れずに徒歩で向かった人も居ました。
徒歩だと約1時間、この車は時速19キロで20分足らずで着きます。
帰りは私達も徒歩でロープウェー駅まで50分くらい歩きました。



行きついた先がこの風景。
何十年も一度は行ってみたい、この目で見てみたいと念願だった場所だけに、
着いた時には鳥肌が立ちました。

谷川岳の大岩壁にまつわる本は何冊も読んでいたし、
高校時代の同級生が真っ先に(21歳)で、ここで死んだので、
彼の逝った場所をこの目で見たかったのです。

高校時代は、はにかみ屋でチョッとハーフっぽい顔立ちの男でしたが、
その彼がまさか、これほど壮絶で足がすくみそうな岩壁に挑んでいたなんて、
まるで想像を越えていました。

東京から遠い、北アルプスまで足を延ばさずとも、
もっと近い群馬県に、いい山があると紹介した人の中に、
有名な「大島亮吉」が居ました。
昭和初期に名を成した彼は30歳で北アルプス・前穂北尾根で墜死しましたね。



昭和35年(1960年)には、一ノ倉沢を代表する大岩壁・衝立岩(ついたていわ)で宙づり事故が発生しました。
横浜蝸牛山岳会の21歳と23歳のクライマーでした。
助けを求める声を聞いた他のクライマーが連絡し、救助隊が駆けつけましたが、
彼等を救助する事ができず、救助すべき手段は断たれたのです。
ザイルの先端で振り子の様にブラブラと揺れる姿は、まだ生きている様にも見えましたが、
下から医師が双眼鏡で確認した結果、
既に絶命していると判断され、遺体を収容する方法として、
自衛隊による銃撃でザイルを切断して落としたのです。
下で見守る遺族達の目の前で、若い彼等は無言のまま、下のスラブへと落下して行きました。
これは当時の世間、登山界を巻き込んで大論争になった事件でした。



写真、真ん中の岩壁が、事件の起きた衝立岩です。

一ノ倉沢には、どのルートでも初登攀争いがあり、
それも積雪期初登攀だったりとかまびすしい位の戦いでした。
帰らなかった彼等が岩壁に挑んでいる最期の姿の写真があったり、
ザイルにぶら下がった遺体の姿があったり、
一ノ倉沢には、数えきれないドラマがあり、
現在は世界でもダントツ一位の810名を越える死者を数える、この(魔の山)は、
そのドラマを知ってか知らずか、ただ悠然と、また勇壮にそそり立っていたのでした。
これを「悪魔の微笑み」とでも言いましょうか・・・

この大岩壁は一体どれだけの人々の涙を流させたのでしょう?

私は、ただただ茫然と打ち眺めるだけでした。





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