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河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

摩周湖で思ったこと

2017-11-18 07:31:53 | 旅行
霧の摩周湖(布施明)


2015年、6月26~30日。
私達は北海道へ4泊5日の旅行に行きました。

日本には47の都道府県がありますが、
私はその内の46都府県を20代で制覇していました。
残ったのは北海道、ただひとつだけ。
しかし、そのひとつがまるで制覇できないというか、
もうそんな事はどうでもよくなっていたのです。

行く機会があればそれでいいけど、
チャンスが無ければ別に目くじら立てて行く事もないやと思っていたのです。
60歳を越えてから再婚し、二人で旅行をとなった時、
私が望んだのはやっぱり、ひとつだけ残った北海道でした。

羽田から北海道に千歳空港に降り立った時、
「これでようやっと47都道府県の全制覇が成った」と思いました。
札幌・時計台・・小樽運河・・美瑛・・
そういった初めての観光地を巡っていましたが、
4日目に訪れたのが摩周湖でした。



霧の摩周湖とはよく聞いていますが、
その日の摩周湖は綺麗に晴れ上がって私達を迎えてくれました。



その美しく輝く青い色(摩周湖ブルーというらしい)を見た時、
初めて「北海道に来たな~」と心から思いました。

そこで思い出すのは布施明の「霧の摩周湖」
ここに来た人の大多数はまず、この歌を口ずさむでしょうね。
ある意味、北海道を代表する歌になっています。
それは仙台を代表するのが「青葉城恋歌」であるみたいに。



こうして私の47都道府県・全制覇は完遂しましたが、
その中で印象的な場所は2か所。
それは、北海道と沖縄。

北海道は他の日本とスケールが違っています。
そして沖縄は、本土との文化の違いです。

でも、日本というのは、やっぱり魅力的ですね。
いい所がいっぱいあります。
海外旅行はパワーが必要で、私みたいな歳になると、
チョッとしんどいかなと感じたりしますが、
その点、日本だと言葉や文化やしきたりなどで安心感があります。

摩周湖の、あの場面を思い出すと、
「あの瞬間の私はとっても幸せだった」と思います。
そういった瞬間を持てた事は本当に、幸せだったと感じるのです。



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干上がった名勝・楽寿園

2017-09-01 07:25:45 | 旅行
昨日のブログにも書いたのですが、
三島の名勝・楽寿園について、もう少し詳しく書いてみたいと思います。
私は今までに干上がった池などというのを見た事はなく、
とても興味を覚えたのです。

「楽寿園」は三島駅のすぐ南側にある公園です。
三島は富士山の雨や雪などが伏流となって、10数年の歳月をかけ、
富士溶岩地帯である三島に湧き出てくるという豊富な湧き水の場所です。

その豊富な地下水を工場用水として使う為に、
三島市の誘致に乗って、
1961年(昭和36年)に、東レ(以前の会社名・東洋レーヨン)が、
三島に工場を造ったのです。

その翌年あたりから、楽寿園の池の水は減少し始めました。



楽寿園は、1890年(明治23年)に、
小松宮彰仁親王の別邸として造営されました。
それを1952年(昭和27年)に三島市が購入し、
市立公園として一般公開にしました。
昭和29年には、国の天然記念物・名勝に指定されました。
公園には楽寿館という由緒ある建物や、
動物広場・のりもの広場・郷土資料館などがあります。
入場料は300円ですが、三島市民には広報で無料券があります。





豊富な湧水による池に写る楽寿館は一風の絵です。
それが、今では完全に干上がってしまい、
その風景を見る事は殆どありません。





水の無くなった池などというのは汚いし、異様な光景です。
入場券を買う時に係員から「現在、池には水が全くありません」
と言って干上がった池の写真を見せられましたが、
「それじゃやめます」という観光客はまず居ないでしょうね。
折角そこまで来ているのですから。
池に長い事、水が無いので、底には草が生えていました。

ごく一部に残された水たまりには鯉が住んでいましたが、
水は澱み切って10センチ先も見えない様な状態で、
そこに魚が住んでいるのが不思議でした。

この公園から南に2キロ先に、柿田川湧水公園という沼津市民の憩いの場があります。
そこは、コンコンと盛大に地下水が湧き出ていて、楽寿園とは大違いです。
そこに多分、私的に商売をしている老人が、
楽寿園の様変わりに付いて語ってくれました。

老人によると、
東レが三島に来てから池は干上がり、
夏休みと、正月に工場が休みになった時だけ、楽寿園は水が戻り、
すぐに干上がってしまうと言っていました。

でも三島市は、誘致に応じて三島に来てくれた東レに、
税金などの面でも恩恵をもたらせてくれた恩義があるので、
(東レの為に池が干上がった)などと言う事は出来っこなく、
うやむやにしている感があります。

ネットでそういった経緯を探しても、殆ど無く、
ごく少数にその件が載っていました。

私は自分のブログで7月7日に書いた、
「消えゆく世界第四位の湖・・アラル海」を思い出してしまいました。
ソ連は大量の川の水を綿花畑に導入した事で、アラル海を干上がり状態にし、
三島市は大量の地下水を企業が吸い上げた事で、楽寿園の池を干上がらせてしまいました。
どちらも人間のなせる事であり、
その風景を見た者に、異様な感覚を与えています。

三島市はこの異様な光景を、これからどうして行くんでしょうか?
興味津々ではあります。




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妻の誕生祝いに伊豆へ小旅行

2017-08-31 18:31:45 | 旅行
妻の誕生日(8月29日)のプレゼントは何がいいか?
と訊いたところ「美味しい刺身が食べたい」という事で、
ネット検索で、伊豆の民宿へ小旅行となりました。



そこが沼津の民宿「美晴荘」
私達は3階の一番手前の角部屋に泊りました。

初日は三島のスカイウォークに行きたかったのですが、
天気が悪く、行っても富士山は見えないのがはっきりしているので、
それは取りやめて、箱根の「星の王子様ミュージアム」に行きました。











「星の王子様」は、フランスの作家、
アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリが書いた童話で、
全世界で1億5千万冊を超える、大ベストセラーになりました。

サン・テグジュペリは1900年生まれ。
幼い頃から空に憧れ、パイロットの道に進みました。
1931年に「夜間飛行」を発表。
1939年「人間の土地」はベストセラーになり、
テグジュペリは作家としての地位を確立します。





1943年(昭和18年)「星の王子様」出版。
戦時下のフランスから偵察飛行に出て、そのまま消息を絶ちます。
長い間、その最期は謎に包まれていましたが、
2004年になってフランス・マルセイユ沖で飛行機が発見され、
2008年に元ドイツ軍パイロットが彼を撃墜したのは自分であると公言しました。
彼は、テグジュペリのファンだったので、
彼の機を撃墜した後は二度と飛行機に乗らなかったそうです。





その後は、箱根の大涌谷に行きました。
大涌谷は2015年5月に火山活動が活発化し立ち入りが規制され、
ロープウェーも運行中止となりましたが、
2016年7月から規制が解除になりロープウェーも運行再開となりました。

私はここに来た事があったかどうか、甚だ記憶が定かではなく、
全く初めて行った気がしました。
妻の話によると、以前に比べ観光区域が凄く狭まっているそうです。

さて、その後は芦ノ湖の観光船・というか海賊船に乗りました。





ここでも中国人観光客は多かったですね。
彼らはひたすら記念写真ばかりを撮りまくっていました。
白いチーパオ(チャイナ服)は珍しいですね。



次に、三島駅のすぐそばにある、
楽寿園という公園に行きました。
そこには楽寿館という由緒ある建物が池の向こうに見えるのです。

ところが、一体どうした事なんでしょうか?
池には一滴の水も無かったのです。
園内に居た係員によると、
もう50年も前に三島市は東レを企業誘致したのですが、
それ以後、水はどんどん減り続け、枯渇してしまったそうです。
でも、三島市は自らの首を締める事には一切触れず、死んだフリをしているみたいです。
かつての池の底には草が生えていました。



これが悲惨な事態となってしまっている現在の状況です。



美晴荘からの富士山です。



夕食はお目当ての刺身三昧。
この後も、続々と魚料理が出てきて、もう食べられない状態。



これは翌朝の料理。
ま、この辺りは何処でも同じな感じ。

天気予報よりずっと好天に気を良くして、
思い切って三島・スカイウォークに行ってみました。



しかし、一時間前には見えていた富士山は雲に隠れてしまいました。



妻の左に富士山の根元は見えるのですが、頂上は見えません。
去年の10月にも、ここに来たのですが、
その時は雲で何も見えなかったのでとリベンジしたのですが、
それは無残にも叶いませんでした。



最後の観光は沼津の柿田川湧水地でした。
富士山からの湧き水がこんこんと湧き出ている場所で、
写真・左側からは大量の湧き水が溢れていました。

今回の小旅行は、妻の誕生祝いなのですが、
手近の旅行であっても、充分に楽しめるものなんですね。
車の運転をするのは私だけというのが「コンチクショー」
だってね、アナタ、宿に着くまで一滴の酒も飲めないんですよ。
そんな理不尽な事ってありますか。
バッカヤローな旅行でした。





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独り旅

2017-07-29 04:40:52 | 旅行
先日、歌声仲間の男性が、北海道へ二週間の独り旅に行きました。

彼はその紀行文をフェイスブックに投稿していました。
それに私は「羨ましい」といったコメントを入れました。
それは、心から羨ましかったから入れたのですが、
では、私が今から独り旅に行くかと問われれば・・それはチョッと疑問。

2009年、私は歌声喫茶界では有名になっている、
青森県の深浦歌声ツアーに初めて参加しました。
翌2010年も一応参加したのですが、
私は一人だけで仙台までで引き返し、深浦には行かなかったのです。
仙台市内を一人で散策したのですが、
深浦に行く皆さんたちは私に「一人じゃ淋しいのに」とか言っていましたが、
私は若い頃から独り旅が大好きだったので、
全然淋しくないどころか、むしろ楽しいのです。
独り旅の(良さ)を知っているのです。

でも、この時はチョッと不純で、
新宿ともしびで、ある女性と待ち合わせていたのです。
彼女と逢うとドキドキしたんですが、結局はダメでした。



翌2011年には、やはり深浦に行く皆さんと仙台で別れて、
今度は津波の被災地、気仙沼へと一人で出かけたのです。
私の心の中には(津波)という比重はとても大きかったのです。
何が何でも私は被災地の現状を見たかったのです。
深浦で歌声を楽しむのも人生、
津波被災地で被災者たちに涙するのも、また人生。

2015年6月。
私は妻と初めての北海道旅行へ行きました。



札幌の旧北海道庁。



阿寒湖畔のアイヌ。



「霧の摩周湖」でお馴染みの、摩周湖。
ここに来た時ほど「北海道に来たんだな~」と感じた事はなかった。

さて・・

若い頃にはあれほど独り旅を愛し、
その良さを心から楽しんでいた私が、
こうして妻なる女性と二人での旅行をする様になると、どう変化するのか?

もう、独り旅には戻れないのです。
決して戻れない。

摩周湖で「来たぞ、北海道、いいよな~北海道」とのたまっているのを、
脇で聞いていてくれる妻が居ればこその楽しさ。

阿寒湖畔の大きなホテルのレストランで、
大勢の宿泊者たちと夕食をしてる時・・・
もし自分一人だけだったら、どんなに淋しいだろうと思うのです。

人間はやっぱり一人だけって良くないよな~。
北海道に独り旅に行った彼は、
妻子持ちですが、奥方様は彼とは一緒に行かないとか・・・
う~ん、何だかよく分からんけど、ま、いいか~。

このブログはフェイスブックに書く筈だったのに、
写真の添付が上手くいかないんで、しょーがねーんで、
ブログにしちゃいました。

独り旅に戻れない、二人じゃないとヤって事は、
もし一人っきりになったら・・・いい女と再婚すりゃいいんじゃね~か!




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分らないホテルの仕組み

2017-07-22 05:03:40 | 旅行
昨日、仙台バラライカの在るホテル・
仙台サンプラザホテルに予約の電話をしました。

10月7日(土)と、まだまだ先の事なのですが、
ネット予約で検索しても、該当する部屋が無いと出るばかり。
何処から入っても結果は同じ。
しびれを切らして、直接電話したのですが、
あれで約1分くらい待たされ(この1分間というのは、かなりの長時間)
「あいにくその日は空きが在りません」

2ヶ月以上先なので、それが満室というのに合点がいかず、
「その日に何かあるんでしょうか?」と訊くと、
「その日は団体様が入ります」との事。
そう言われてはどうにもならずに電話を切りましたが、
いつも仙台のホテル確保には悩ませられるのです。

私達は仙台に27回行っていますが、
いつもすんなり確保できない事の方が多いのです。

他のホテルでは、こういう事がありました。
予定の日がダメで仕方なくあきらめ、
それから2ヶ月くらい先の日の予約をお願いしたら、
「それでしたら、両方とも確保できます」って・・・
あのね~、だったらさっき言った満室って言葉は何なんだよ!
イラッ!

2年くらい前には、本当に仙台中のホテルが満室という事がありました。
後に知ったのですが、
アイドルグループの(嵐)のコンサートがあったのです。
そういったファンは、取りあえずホテルを確保しまくるみたいなのです。
その為に、一般客が大迷惑で、
その日の騒ぎは社会問題にもなったのです。

それは特別としても、
過去にも予約が取れなく途方に暮れ、
仙台市内をあきらめて、電車で仙台から離れたホテルに行った事もあります。
何か、医者の全国的な学会があったとかの話でしたが。

以前の歌声喫茶・仙台バラライカでは、
店のはす向かいに小さなホテルがあり、
そこは比較的、予約の確保が楽にできたのです。
おまけに部屋からはバラライカが見えていて、本当に良かった。

でも、新規のお店の、仙台サンプラザホテルになってからというもの、
本当にホテルの確保はいつも悩ましい。
サンプラザホテル側も、バラライカという歌声喫茶を抱えているのなら、
遠くからの客の為に、せめて一部屋くらいは押さえておいて欲しいですね。
いくら団体が入ると言ったって、一部屋くらいは何とかなると思うのですがね~。

この前は、やはりホテルが取れなく、
もうあきらめて、JRのビュープラザに行き、
新幹線とセットで申し込んだら、すんなりと取れました。
それも仙台駅前の高級ホテルだったのです。
それも格安値段で。

こうなると、もう個人的に頑張る必要など馬鹿々々しくなります。
今後はその方法で仙台行きをしようかと思っています。

それにしても、ホテルの仕組みって、本当に理解不能ですね。
どなたか、ホテルの仕組みをご存じの方はいらっしゃいませんか?



コメント (2)
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