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河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

宮古島に国際空港が

2018-12-09 10:20:52 | 旅行
14.11.15.おじい自慢のオリオンビール・エイサー太鼓


私達夫婦が宮古島に行ったのは、
2014年11月14日~16日でした。
ユーチューブを観ていたら、宮古島の居酒屋(うさぎや)で、
三線を弾く、体重140キロの重ちゃんを発見。
「ここに行きたい、重ちゃんの歌を聴きたい」と出かけたのです。







宮古島は昔行った事がありますが、
あまりにも若い頃で、記憶が殆どありません。
石垣島に比べ、観光客の少ない静かな島です。



泊りは、宮古島の中心地から歩いて10分足らずの、
ホテル・アトールエメラルド宮古島。
海に面した角部屋が私達の部屋で、海が綺麗でした。



ここが、その居酒屋・うさぎやです。



ホテルから市街地方面を望む。



さて、その静かな島・宮古島に来年、国際空港が開業するそうです。



宮古島から伊良部大橋という、
無料で通れる橋としては日本一長い橋を渡って行くのが伊良部島。
それに隣接する島が下地島。
そこには以前から空港がありましたが、
それはパイロットを養成する為の空港でした。
その飛行場を整備し直して国際空港を造ったのです。
その狙いは宮古諸島を国際リゾート地にする事。

一日一便程度になるみたいですが、まだハッキリしません。
ホテル建設が乱立し、地価は高騰している様です。
しかし、それに対し宮古島の島民からは不安視・疑問視の声が上がっています。

〇  足が地に着いていないバブルは、いずれ弾ける、長続きはしない。
〇  土地開発で自然が壊されていく。
   そして、一旦壊れた自然は元に戻らない。
〇  多数の観光客の排泄物の処理はどうするの?
〇  こんな自然の中まで来て、大都会と同じ様なホテルに泊まり、
   同じ様な食事で、何が楽しいの?

まあ、概ねそういった意見が沢山出ている様です。
果たして来年に国際空港が開業したら、島民の不安通りになるのでしょうか?
島に行ってみれば分かりますが、実に静かな島です。
そこが外国人(主に中国系みたいですが)が、
大挙して島中を闊歩するのでしょうか?

チョッと心配なニュースです。






 
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今年の旅行

2018-11-11 07:52:35 | 旅行
今年も11月になり、残すところ2ヶ月弱になりました。
私達夫婦は、今年はキャンプを含めて16回の旅行をしました。



2月は諏訪湖へ御神渡りを見に行きました。



3月は井の頭公園にお花見に行きました。



そして伊豆下田の歌声に行き、
ペンション・百万本のバラに仲間達とのお泊り。



5月は、栃木・おもちゃのまちの歌声喫茶へ。



6月は富士すそのファミリーキャンプ場へ。



7月は、フェイスブック友達の、すずききよしさんの米寿の集いに大阪へ。



8月は妻の誕生祝いに横浜港ディナークルーズへ。



9月はブログを通じて知り合った縁で、
浜松海星高校吹奏楽部のコンサートへ。



同じく9月は山梨県のチロルキャンプ場へ。



10月は深浦の歌声の参加で、途中、仙台バラライカへ。



同じく10月には、歌声仲間達と一緒に、古河庭園・迎賓館へ日帰り旅行。



これも10月には、下田の歌声喫茶に参加。
途中、三島スカイウォークを見物に。

その他にも行ってます。
今年の旅行・見物の予定は今の所ありませんが、
本当に良い年でした。
でも、あと2ヶ月あるので、思い立って行く事もまだ望みありです。
いつまでも、こんな調子で元気でいられたらいいな~。








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旧古河庭園&迎賓館へ

2018-10-26 08:12:25 | 旅行
旅行会社の一日都内ツアーに歌声仲間11名で参加して来ました。

行く先は、北区の旧古河庭園と、赤坂の迎賓館(これが今回の目的)
実は以前、やはりMさん主催の歌声バスツアーで、
迎賓館と、六本木のニューハーフ店(金魚)を見るツアーに行ったのですが、
急な国賓の来日で迎賓館が急遽、中止になり、
その代わりに両国の江戸東京博物館を見物した事があって、
今回はそのリベンジという意味合いでもあったのです。





立川駅に集合した私達は、このバスで今日一日の旅に出かけます。
バスは席も余裕だったので、楽しいバス旅行になりました。



最初に行ったのは北区の旧古河庭園。
1919(大正8年)
古河財閥の古河虎之助男爵の邸宅として造られたそうです。





バラ園が有名です。







一緒に行った園芸家のUさんの話ですと、
薔薇という花は、花の女王と言われ、、
園内に他の花が咲いていても、薔薇が来る事で、他の花は影が薄くなってしまうそうです。
なので、園芸をする人には、
多くの花を活かしたいが為に、敢えて薔薇は植えない方が居るそうです。
確かに、薔薇の花の華麗さ、優美さは他の花を圧倒しますね。





それにしても、往年の財閥の勢力は凄い。





こういった家に個人的に住むのは、
いいだろうな~と思う反面、
きっと七面倒くさいだろうな~、という思いもしますね。



昼食は竹芝桟橋のホテル、アジュール竹芝。
最上階21階でのバイキングです。



レインボーブリッジや、
対岸に新しい豊洲市場を見下ろしながらの昼食。



全員集合の記念写真。
男3人、女8人。いつも女性上位の歌声仲間(笑)





さて、お目当ての迎賓館。
以前は、赤坂離宮という名称でしたね。
国家主席や大統領といった国賓が招かれる、日本国を代表する迎賓館です。
1909年に造られました。

ここは、国賓が招待される、日本の誇りでもあるからでしょうか、
写真撮影も、建物を傷つける事の出来る物は、一切持ち込み禁止。
カメラもレンズに蓋をする事を要求されるという徹底ぶり。
カバンの中も全部オープンにしないと立ち入りは許されません。

持ち時間は1時間くらいでしたが、
これは2時間くらいは欲しかったという思いが残りました。





迎賓館(旧赤坂離宮)は、
かのベルサイユ宮殿を模して造られたとか・・・
権力の象徴でもある、こういった建造物を見ると、
その時代のあるが様を感じ、我々が如何に庶民そのものであるかと痛感します。



立川に18時に到着した私達は、
二次会なくしては人生はあり得ない、
主催者のMさんの意向もあって、磯丸水産に突撃。
盛り上がりに盛り上がって3時間。
これでもかッって状態まで飲みまくってしまったのでした。
(いい歳こいて)

楽しかった~~~。
いつも楽しい企画を提供してくれるMさんには感謝・感謝。





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諏訪湖への旅行

2018-02-21 05:34:10 | 旅行
2月18(日)~19(月)で、長野県・諏訪湖へドライブ旅行に行きました。

個人的には、昨年8月に、妻の誕生日旅行という事で、
静岡県・沼津へ行ったり、
11月には岩手県・雫石・盛岡への歌声旅行がありますが、
そろそろ、何処かへ行きたいねという事で、
場所はハッキリ言って何処でも良かったのですが、
では、あまり遠くない所というので長野県・諏訪湖に行きました。

諏訪湖は信州などの旅行で何度も通過はしているのですが、
諏訪湖という場所を観光した事は一度も無いので、行ってみました。
特急あずさで行きたかったのですが(酒が飲めるから)、
現地での観光が面倒になるので、車で行く事になりました。
となると、妻は免許を持っていないので、私は途端に忙しくなるんです。



最初に言った場所は、高島城でした。
私は若い頃には各地の城を見るのが大好きだったのですが、
この高島城は1970年再建という事で、チョッとズレてしまって、
見損なっていたのですが、今回初めて行く事ができました。



何処の城でも再建天守閣が殆どなんですが、
天守閣の内部はコンクリート造りなれど外観はそれなりに魅力的ですね。
この日は寒かったので、お濠は凍り付いていました。



凍り付いた濠と天守閣。
こういった情景を見ると、昔の殿様の威力というか威厳というか、
一国一城の主という言葉を、つくづく感じます。
そこが城巡り最大の良さだと私は思っています。



さて、諏訪湖と言えば、「御神渡り」・・(おみわたり)
湖面が凍り付いて、凍った氷がせり上がって湖面に一条の帯を造る。
今年は5年ぶりにその「御神渡り」が出現したそうです。



昔、諏訪湖の御神渡りの写真は何度も見ましたが、
最近の御神渡りは昔ほど寒くなくなっている関係で、
その盛り上がり方がやさしくなっているみたいですね。





昔は諏訪湖が全面凍結して、スケーターが滑っている写真など見ましたが、
5年ぶりの凍結(と言っても氷が薄く、湖面への立ち入りは禁止)では、
スケーターなど居る筈もなく、チョッと淋しい感じです。



諏訪市と言えば精密機械産業の街でもあります。
時計とかオルゴールとか・・・
そんな中で私達は、
日本電産サンキョー・オルゴール記念館(すわのね)に行きました。
私は城も好きなんですが、オルゴールも大好きなんです。
因みにオルゴールという言葉は日本語で、
外国でオルゴールと言っても通じないんですね。



こういった、今から100年以上も前の大型オルゴールが何台も置いてありますが、
そういったオルゴールを使った寸劇ライブをやっていました。



それを演じた美人女優さんとの記念写真。
やっぱり、男って理屈抜きで美人には弱いんですよね~。
もう、鼻の下がデレ~ンでした。



諏訪と言ったら、諏訪大社。
だと思っていたんですが、これにはガッカリでした。
とても狭い場所で、何だか日陰でジメジメして、
日本の観光地、三大ガッカリみたいに感じました。



これが私達の泊まったホテル・RAKO華乃井ホテル。
最上階12階の右側角部屋でした。



部屋からは諏訪湖が一望できました。



貸し切り風呂(リンゴの湯)
6階にあるのですが、諏訪湖を眺めながらの温泉はいいもんです。
私は宿では、貸し切り風呂が好き。
赤の他人との混浴はあまり好きじゃなく、
やっぱり身内でゆっくりの温泉がいいですね。



翌日、ホテルの駐車場に行くと、
車のフロントガラスには、芸術的とも言える花模様。
ものの見事に霜が張り付いていました。



帰り際に行ったのは、
諏訪湖と諏訪市街が一望できる、立石公園です。

知らない街を知るには、一番高い場所に行く事。
本当にその格言通りで、諏訪という街がどんな所かがよく分かります。
写真の右端に見える小さな白い山は、穂高です。

今回、チョッと驚かされたのは、
中央本線の踏切を渡る時に気づいたのですが、単線だったのです。
「エッ、中央線が単線?」
特急あずさが走ってるくらいの路線が、単線!
今まで何度も乗っているのに、まるで気づきませんでした。



踏切の遮断機が下りてきたので、妻が「あずさ2号」の歌を口ずさんでいたら、
目の前を通過したのは、本当に「スーパーあずさ」でした。
帰宅して時刻表を調べたら、新宿発8時02分のあずさでした。

やっぱり(旅)はいいんですね~。
私達くらいの歳になると、言語障害の外国はもう面倒くさく、
何の心配もなく、パワーなど要らない温泉旅行の方がよっぽどいいんです。
海外旅行は若い内に行くべきで、
若い人はどんどん海外に行かなきゃだめ。
でも、我々ロートルはそんなパワーなど、もう何処にも残っていません。
だからね、チマチマと温泉に入ってりゃいいんですね(笑)





コメント (2)
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清里・・あれは何だったのか?

2018-01-19 10:06:02 | 旅行
清里1986年


1970年代から1980年代にかけて、
長野・山梨県境の清里高原に一大ブームがありました。

当時の女性雑誌「アンアン」「ノンノ」が、
清里・野辺山周辺の八ヶ岳山麓の高原地帯を取り上げたのです。
それがきっかけになって、いわゆる「アンノン族」が大挙して訪れ、
一世を風靡する清里ブームが起きました。





清里には中央線・小淵沢駅から小海線に乗り換えて行きます。
小海線はJRの中で最高の標高駅(野辺山駅)がある高原鉄道です。

私が初めて行ったのは1970年末頃、
まだ30歳になるかならずかくらいだったと思います。
「清里に行けば何かが起こる」
などと、若気の至りの馬鹿丸出し。
それでも小淵沢駅から、いざ小海線に乗り換える時など、
周りの若い女性たちばかりが気になって、胸がドキドキしました。
「さぁ、何かが起こるぞ~ッ」



清里と言ったら「清泉寮」
そこでソフトクリームをほお張るというのが、
清里に来た証でもありました。

私は宿泊予約などせずに、出たとこ勝負の旅行。
最盛期でもあったので宿が取れずに、どうなる事かと思ったのですが、
野辺山駅の近くに「列車ホテル」があって、
そこは使われなくなった寝台車の車両がホテルになっているのです。

そこで、何処で知り合ったのか全然覚えていない女性にくっ付いて、
列車に入ったのですが、
車両は男性専用車両と、女性専用車両に分かれているのです。
私はちゃっかりその女性と女性専用車両に居座ってお喋り。
これから何かが起こるぞと、いい予感だったのですが、
女性の車掌さんが来て「男性はあっちの車両に出て行って下さい」
と、無情にも追っ払われてしまいました。
あ~、勿体なかったな~。
その頃から俺はスケベやってたみたい・・・

その何年か後に、もう一度清里に行った様な・・
清泉寮への道を歩いていたら、向こうから来る家族連れ。
「あれ?この男どっかで見た事がある」
お互いに思いは同じだった様で、向こうも立ち止まって私を見ている。
私が思い出せないままで突っ立っていると、
向こうが「城南中学」と言ってきた。
そうだった、こいつとは同級生ではないが、
同期生だったのだ。
彼とは数年、年賀状のやり取りをしました。



私は結婚して、中国人の妻を連れて清里方面にドライブに行った時。
国鉄最高地点で、向こうから小海線の車両が走って来ました。
それを見た妻は、
人生でこんなに笑った事は無いというほど、腹を抱えて大笑い。
私は意味が分らずにポカーンとしていたら、
「かわ(妻は私を赤川の川で、かわと呼んでいたのです)、
かわ、電車ひとつッ!」
そうなんですね、中国では列車は何十両とながーい編成でやって来るのです。
それが、たった一両で電車が走っているのを産まれて初めて見たのでした。
彼女にすれば、そりゃビックリしたんでしょうね~。
あの頃は私も新婚で、楽しい時代だった・・・

そして、現在の妻と行ったのは、
2014年に清里にキャンプに行った時でした。
再び見た清里に、昔の面影はありませんでした。













人影もまばらで、
最盛期の「高原の原宿」と言われた喧騒はまるで夢の如し。
建物が残っているだけに、人が少ない事が尚更目立つのです。

若い頃は気恥ずかしいくらいに、
白やピンクといった乙女チックな建物が、若い自分の
欲情をそそるみたいな、卑猥なイメージすらあったのに、
それが年老いた現在の私には、
若い頃の恥を見せつけられたみたいで、もううつ向いてしまうのです。

清里自体は本来、とてもいい観光地なんですが、
あの、足が地に着いていない喧騒がイメージをすっかり損ねてしまっているという、
損な、勿体ない気がしてお気の毒。
乙女チックな建物を全て取り壊して、
もっと大人にいいムードに作り替えられれば、
昔とは全然違い、いい観光地になるんでしょうがね~。

でも、
大袈裟に言えば「我が青春の清里」的な思いの残る所なんですね。



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