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河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

2回目のともしび

2022-12-30 16:18:41 | 歌声喫茶
昨日は、2回目のともしびへ行きました。
2時開店から夜の9時まで居残り、7時間の幸せな時間を過ごす事が出来ました。

私達は入店時間が早かったので、先月11月22日のオープニングの時と同じ、
司会者から2番目の正面の席に座りました。
そのうちやって来たのが船橋方面在住のT女史が一人で来ました。
向かいに座る妻とひとつ開けて着席。
彼女とは勿論、久しぶりの再会です。
次に私の隣には美人さんが着席。
その隣の男性は、新潟在住のお兄さんという事で、
久しぶりの東京では、妹さんの家にご厄介になって、二人でともしびに来店されたという事です。

結局この5人で和気あいあいとテーブルを囲んでの歌声になりました。
他のテーブルにもあちこち知り合いの顔があり、とっても嬉しかった。
スタッフもピアノが昼は古里さんと、夜はメグちゃん。
清水さん、本道さん、津田さん、山岸さん、高橋くん、石垣さん、
トランペットの今枝さん、マンドリンの丸山さん、合唱団の人達、
佐藤利恵子さんも斉藤社長もいたね。
休憩間になると、そういった久しぶりのスタッフさんとの会話が楽しいし、
なんと言っても身近にその存在を肌で感じる事が、嬉しかった。

私は昼はグラスビールで、
夜はウィスキーをボトルで入れました。
ボトルキープという行為がそもそも嬉しかった。
そんな事するのは、何年振りになるのかな~?

歌声喫茶はやはり、何と言っても厨房が在る事が大事だと痛感するのでした。
今、全国の歌声喫茶で厨房を持つのは、東京では恐らく、ともしびだけだと思います。
仙台も八王子も大阪も、みなその姿を消してしまいました。
歌声喫茶というのは「喫茶」と謳っているのですから、
やはり飲食があってこそ、より楽しくなるのですね。

あちこちに「一日歌声喫茶」がいっぱいありますが、
軒並み飲食はタブー。
アルコールをこよなく愛す私としては、ともしびサイコーッ!
これからは、ともしび通いこそ「命」になりそう。
今まで行ってた歌声喫茶で私らが来なくなったとしたら、ともしびに居ますよ~。

ただ気になるのはコロナです。
60代、70代、80代での死者が、6割というのですから、
本当に何も起こらない事を願うばかりです。


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みかんの花咲く丘・誕生秘話

2022-12-13 09:48:54 | 歌声喫茶
みかんの花咲く丘 川田正子


この歌が生まれた経緯を、
同志社女子大学のブログを参考にして書いていきたいと思います。

この歌の作曲者は、歌声喫茶でもお馴染みの海沼實氏です。
海沼實氏は「里の秋」が大ヒットした翌年(昭和21年)、
静岡県伊東市で放送されるNHKラジオ「空の劇場」という番組で、
童謡歌手、川田正子に唄わせる曲を依頼された(8月25日放送)のですが、
伊東にふさわしい曲、それも歌詞が見つかりませんでした。
たまたま川田正子(12歳)を取材に来ていた作詞家、加藤省吾が、
静岡県・富士市出身である事を知った海沼實は、
地獄に仏とばかり加藤に作詞を懇願しました。

明日、放送する予定の歌詞を、その場ですぐに書いてくれという無茶な依頼でした。
しかも、海沼から加藤に対して、
伊東の丘に立って、海には島と船が浮かび、船には黒い煙を吐かせて欲しいという、
注文までついていたのです。
加藤はそれをわずか30分で3番まで仕上げたそうです。

➀  みかんの花が咲いている 思い出の道丘の道
   はるかに見える青い海  お船が遠くかすんでる
➁  黒い煙を吐きながら  お船はどこへ行くのでしょう
   波に揺られて島のかげ  汽笛がぼうと鳴りました
③  いつか来た丘母さんと  一緒に眺めたあの島よ
   今日もひとりで見ていると 優しい母さん思われる

完成した詞を受け取った海沼は、川田正子を連れて伊東行きの列車に乗り込み、
列車の中でその詩に曲を付けなければなりません。
しかし、小田原を過ぎてもまだ曲想が浮かびません。
熱海に近づいた頃、窓外のみかん畑の景色を見ているうちに、
ふと頭にメロディーが浮かびました。
そして伊東駅に着く前に完成したのです。
その間わずか30分でした。

作詞30分。作曲30分。
たった1時間で国民的な名曲が出来上がってしまうなんて・・絶句。
それが今では日本人の心を揺さぶり、多くの人々の涙を誘う歌となるなんて。
本当にその素晴らしい才能の彼等には、感謝しかありません。

この歌にはもうひとつの秘話があります。
3番の「やさしい母さん」が、一時「姉さん」に改訂されました。
その理由は、戦争で母を亡くした子供がたくさんいたからとの事です。
でもやはり「母さん」の方がいいと元に戻したそうです。





先日(12月10日)に、前日行われた(伊東の歌声喫茶)の帰りにこの歌碑を見に行ったのです。
1981年(昭和58年)に創設されたそうで、
国府津駅と、伊東駅の発車メロディーにもなっているそうです。

宇佐見駅から車で15分。
国道19号線(宇佐見大仁道路)の亀石峠の2キロくらい手前の道路脇にありましたが、
ぼんやりしていると気づかずに見過ごしてしまう歌碑で、
私達が空きスペースに車1台停めるのがやっと。
亀石峠から下ってくると、全く気付かないで見過ごしてしまうでしょう。
国民的名曲の歌碑がこれというのは、如何にも悲しい。
伊東市は、「みかんの花咲く丘」公園を造るべきだと思います。
観光バスが何台も停まれる公園を造って、
この歌が如何に日本人の心に浸透し涙する歌であるかと、世間に訴えるべきです。
この稀代の名曲を風化させてはならないと、私は思うのです。

以前、とある歌声喫茶で私は前に出てこの歌を唄ったのですが、
ひとりの女性が涙ぐんでしまいました。
司会者が「あ~あ河童さん、女性を泣かせちゃって」と私を冷かしました。
そうなんです、添付した動画でも泣いていた女性が写っていましたね。
この歌を聴いて泣いてしまう人は珍しくない、というくらい心を打つのです。
それは、やっぱり3番の歌詞「やさしい母さん思われる」なんでしょうね。
実は私もこの歌はジーンとするのです。

「みかんの花咲く丘」の動画は検索すると沢山出てきますが、
私はこの、utabito 2017さんがアップしているこの動画、
これ以外の動画を観る気がしません。
これは本当に素晴らしい動画ですね。

「みかんの花咲く丘」は、日本人の心にいつまでも残る名曲で、
いつまでも、いつまでも唄い続けていきたい歌ですネ。




  
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伊東の歌声喫茶&小旅行

2022-12-11 07:27:38 | 歌声喫茶
横浜で歌声喫茶「星と涼風」を主催する、石原さんと星さんが、
伊東で新しく歌声喫茶を立ち上げたという事なので、行ってきました。



と言うのは今から11年前の2011年7月に、
まだ結婚する前だった私達夫婦は、キャンプに行く予定だったのですが、
折悪く天候に恵まれずに中止して、急遽、伊豆へのドライブに切り替えたのでした。
その時、通りかかった伊豆高原で、歌声喫茶のこんな看板に出会い、
「こんなトコでも歌声喫茶をやってるんだ」と撮ったのがこの写真。
この写真はずっと放ったらかしだったのですが、
最近になってフェイスブックに投稿したら、石原さんがそれを見て、
電話したりやったんでしょうね、主催者の人と知り合えて、
紆余曲折を経て、伊東で歌声喫茶を立ち上げるという話に至ったらしいのです。

そういった事で、私にも(縁)のある歌声喫茶だと、参加申し込みをしました。
コロナになってから、遠く(というほどではないが)に行くのは久しぶりな事なので、
本当にワクワクする思いの日々がとても嬉しかった。



メンバーはいつも通りの安心のスタッフ。
会場は伊東駅から徒歩15分、伊東消防署横の、生涯学習センター・ひぐらし会館。
前宣伝がまだ行き届いてはいなかったので、入りは多くはなかったのですが、
伊豆新聞社から取材も来てましたので、これからはお客さんも段々と増えていくのでしょう。
来年からは毎月開催されるそうです。



東京方面からの客人は伊豆急での日帰りみたいでしたが、
私達は「伊豆といったらやっぱり泊りだろう」と、会場からほど近い宿を取りました。
貸し切り露天風呂が気持ち良かった。
今度は、妻じゃない秘密の女性とご一緒したい(内緒だよ)

翌日は、汐吹公園の高台から太平洋を眺め(15分の階段登りに妻はあえいでいた)
眼前には初島が在りました。
駐車場に停まっている車に所沢ナンバーの車がいました。
その車に大きなザックを背負った若い男がやってきました。
見ると彼が背負っているのは釣り道具。
重さは20キロはありそう、釣り好きって本当に気違いじみて好きなんですね。
それは又、私達歌声好きと共通した(心意気)を感じてしまいました。
そこから次に小室山へと行きました。





標高321メートルの小室山は、そこから4キロくらい離れた大室山(580メートル)が、
良く見えましたが、大室山には行く事はあっても、小室山に行く人は少ないでしょうね。
リフトで登れて、なかなか印象に残る山頂風景でした。
(俺達はマニアックな小室山に行ったんだぞ、ザマミロ)

次に行ったのは、石原さんが是非にと絶賛していた、ステンドグラス美術館。









私達夫婦は、心が純粋で美しいってどなたからも言われるので、
こういったいわゆる(美しさの原風景)的な事象に出会うと、
心が反応し、共鳴し果てしない音叉の世界に浸ってしまったりするのです。
(これはやっぱり伊豆に来て良かった、伊豆が俺達を呼んでいる)
ま、そういったバカ話はやめにして、
最後に行ったのは(♬みかんの花咲く丘)の歌碑。

みかんの花咲く丘 川田正子


昨日の歌声会場で、最後の方でかかった(みかんの花咲く丘)
この歌が大好きな私はマイクの前に出て、
お客さんたちに後ろ姿を見せるのではなく、お客さんと顔を見せ合いながら、
コロナになってから初めてそういったスタイルで大声で、マスクなど外して唄ったのです。
イヤー、嬉しかった。
凄く嬉しかった~~ッ!

大好きな歌をマスクなどしないで、お客さん達の顔を見ながら、
一緒になって唄う事の素晴らしさ。
もう、目いっぱい、心から大きな声を張り上げて唄う事の素晴らしい事といったらなかった。
惜しむらくは、アルコールが入ってなかった(涙)
あれでアルコールが入ってたら、誰も俺の暴走を止める事など出来ゃしない。
「ヤイヤイ、矢でも鉄砲でも持ってきやがれってんだッ!」





それで最後に行ったのは、宇佐美から車で15分の道路沿いに在る、
「みかんの花咲く丘」の歌碑でした。
ウッカリすると気づかずに通り過ぎてしまいそうな場所でした。
太陽の位置が逆光線で悪くあまり上手く撮れませんでした。
出来ればキチンとした公園などが在って、そこに歌碑があればいいのですが・・・

「伊豆・伊東の歌声」
良かった~、久しぶりに歌声喫茶の良さを堪能した。

次はどの女性と一緒に貸し切り風呂に入るか?
あ、間違えた、誰と一緒に高田馬場のともしびに行くか・・だったナ(ベーッ)





お土産に買ってきたのは、
ステンドグラス美術館の、キャンドルライト。
今月24日のクリスマスイブには、これを灯して妻と二人のイブをやろうかな。

今回のミニ旅行は政府の旅行支援をフルに使って、1万円分くらいのお得旅行でした。

それは兎も角、
「みかんの花咲く丘」の余韻に浸っているオレ。でした。

ー----------

動画「みかんの花咲く丘」は、
utabito 2017さんの動画を借用させて頂きました。


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高田馬場ともしびに、行ってきました

2022-11-23 07:55:58 | 歌声喫茶
昨日は、高田馬場に新規オープンした、
歌声喫茶ともしびに一番乗りで行って来ました。

16時を少し過ぎた頃行ったのですが、まだ早過ぎて開いてなく、
30分ほど時間を潰す為に、店の先へと歩いたのですが、
丁度いい具合に、回転寿司の(はま寿司)だったかな、、があったので入りました。
チョッと小腹を満たすには、回転寿司は最適なんですね。

戻って「ともしび」に行ったら既にオープンしていて私達も入店。
店内は7割がた埋まっていて、私達はステージ前のテーブルに着座。



斉藤店長が、2020年9月30日を最後に、
新しい店探しの苦闘ぶりとかを話され、
あれから約2年2か月での新規開店は本当に嬉しいと、
涙ながらに(涙は流さなかった)開店の喜びをお話しました。



私達も、コロナ生殺し状態で、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、
(あれ?天皇陛下の敗戦の言葉かよ)
してきた胸の内を想い、涙にむせんだのでした(涙は無かったけど)
いいじゃん、わかるだろ、歌声喫茶を愛する俺達の胸の内が・・・

店内にはテレビカメラの取材が入り、
「東京新聞」も取材に来ていました。
私達は、東京新聞のインタビューを受け、
歌声喫茶で知り合い、バツイチ同士、67歳で再婚した経過を話すと、
記者は感動で涙を流し(実は流さなかった)ていたのでした。

ベイビーブーからは、ケンさんと、ユーさんの二人が来ていました。
彼等が来店予約を申し込んできたのは、2,3日前だったそうです。
って事は、彼等の(おっかけファン)は来てないって事だよね。

私達は、店内には以前の常連客で溢れかえっていると思っていたんですが、
そういった顔見知りは数名が居るのみで、殆どは全く知らない人達でした。
これって、いったいどうした事なんだろう?



小川さん、本道さんの司会で始まった歌声。
記念すべき第1曲目の歌は・・・
「オーシャンゼリゼ」でした。
ともしびの若き女性スタッフ達は、おみ足を高らかに振り上げ、
「オーシャンゼリゼ」と唄い踊ったのでした(嘘)
もう誰も足を高く上げるも、ままならず(涙・笑)昔は・・知~らない。

リクエスト用紙には3曲を書き込めるのですが、
それ以外にも(歌詞本以外でリクエストしたい歌)というのがありました。
私の3曲・・・
➀ 希望のささやき
➁ 人間の歌
③ 私に人生といえるものがあるなら
それ以外の1曲・・空より高く

小川さんが私のリクエストを見て、
「そうよね、河童さんはやっぱり(希望のささやき)よね」
みたいな事を言って、やってくれたんですよね(ジーン、涙)

4時から7時10分まで3ステージを堪能した私達は、
何十回も通った新宿駅の通路を徒歩して京王線へ。
武蔵野台駅に降りると、
2年以上唄ってなかった「希望のささやき」を唄いながら帰宅したのでした。

私は妻に言いました。
「ともしびが在るんだったら、これからは一日歌声喫茶は行かなくてもいい」と。
そうなんです、酒を吞みながら唄える歌声喫茶。
これこそが「歌声喫茶」だと、心からそう思うのです。

帰宅して妻との会話・・・
「今度はいつ行こうか」

歌声喫茶サイコー! ともしびサイコーッ!! 


【追伸】
今朝の、東京新聞・・あるいはと思ってコンビニで買ってきたら、
あれま~、載ってました。
私達の事が名前入りで。



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好きになれない沖縄ソング・島唄

2022-11-12 18:04:51 | 歌声喫茶
島唄 THE BOOM


この歌を始めて知ったのは、多分、歌声喫茶にはまった後かもしれません。
本来は1992年作曲という事なので、
私が歌声喫茶を知った2007年だと、それからかなり経ってからという事です。

最初に感じたのは、この歌を沖縄ソングと見るには、何か違和感を感じたのです。
私が喜納昌吉(ハイサイおじさんや、有名な「花」を作った)の純粋な沖縄の歌、
それとは違うなという違和感を感じたのです。

そして、この「島唄」を作った人(宮沢和史)という方が、
沖縄とはまるで無関係な土地の出身者だと知ったのは、そのずっと後でした。
宮沢和史さんという方が、沖縄とは違うよそ者だと知った時、
「やっぱりな」と思った事は覚えています。

離婚してもう若い頃の喜納昌吉のレコードは無くなってしまいましたが、
あのレコードを聴いた、1歳か2歳だったかの愛娘は、自然と体が反応して踊り出していました。
音楽の音の字も知らない子供が、自然に踊り出す。
そういった強烈な(音)がそこにはあったのです。
音楽を全く知らない娘が、レコードに合わせて踊る姿の可愛さは、
今でも私の胸に強く焼き付いています。

では「島唄」は・・
そのサウンドは音楽を知らない子供の身体を揺さぶる事は・・・無いでしょう。
あれは、大人が考えに考え出した、ある種、不自然な音だからです。
純粋に沖縄育ち、純粋に沖縄しか知らない喜納昌吉が作る音とは違うのです。
あの頃持っていた彼のレコードの歌が懐かしい。
もうタイトルも忘れてしまった、喜納昌吉の沖縄の歌。

宮沢和史さんも言ってたみたいですが、
縁もゆかりも無い自分が沖縄の歌で人気になるのは、いかがなものか。
といった後ろめたさを実は感じているのだとか・・・
そうでしょうね、そう感じる人は感じている訳ですから。

いい歌だとは思いますが、
私は歌声喫茶でこれを唄いたいと思った事は一度もありません。
音楽を、歌を、政治に利用して欲しくないという強い思いがあるのと同じで、
音楽はもっと(純粋)であってほしいというロマンから逃れられない私があるのです。
この歌が好きだという人には、ごめんなさい。




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