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河童の歌声

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壮大なロマンの旅へ出かけます

2018-12-19 07:12:40 | 読書


これまで4回読んだ「モンテクリスト伯」
最初の出会いは、10代の頃、
ダイジェスト版で読んだ「巌窟王」でした。
すぐに(本物を読みたい)と買ったのが、写真左側の本3冊でした。

あまりの面白さに殆ど徹夜状態で、目を真っ赤にしながら一気呵成に読み切りました。
読んだ後は、もう、その素晴らしい感動に、茫然自失となりました。
何という壮大なドラマなんだ。
気が遠くなる様な感動に、ただただ呆然としました。

その大切な本だったのですが、
誰だったのか覚えていないのですが、友人か知人かに貸したのです。
しかし、それっきり返ってこなかったのです。

年月は流れ、私も50代になったある日。
突然「あれをもう一度読みたい」と中古本を買い直しました。
それは、私が若い頃に最初に買った本と、全く同じ、
新潮社の「世界文学全集」の物でした。

しかし何しろ、1956年印刷の中古本ですので、
(つまり今から62年前の本)
紙質は変色して黄ばんではいるし、活字は小さいしで、
とても読みにくく難儀な本です。

しかし、もうストーリーは分かっているので、
若い時に読んだあの勢いはなく、静かに読み進んだものです。
でも、やはりドキドキする場面では、
若い頃と同じで、やはり胸は高鳴るのです。

そうやって、この古い本を2回、読破しました。
若い頃も2回は繰り返して読んでいると思うので、
都合4回、同じ本を読んだ事になります。



この私にとって一番大切な本を、
最新版の真新しい状態で、手元に残しておきたいという願望は、ずっとありました。
それで、今回ネット通販で最新版を買ったのです。



古い本に比べて小型の文庫本サイズではありますが、
古いのが上下2段に分かれていて、ビッチリと活字に埋め尽くされているのと違い、
ゆとりのある配置になっています。
3冊だったものが、7冊となっています。

紙質は勿論、真っ白で黄色く変色などしていないし、
活字が大き目になり、字間も大きくなって、とても読みやすいのです。



舞台は200年前のフランス・マルセイユの港。
美しい許嫁メルセデスを持つ、19歳の若き船長候補、
エドモン・ダンテスは未来を約束された晴れ晴れしいものでした。
誰もが彼を好きで、愛していました。

だが・・・・・

そのエドモン・ダンテスに、地獄が待っているなんて、
考えもしなかった。
その恐ろしい出来事は・・・・

さあ、壮大なドラマの幕は開きました。
私はもう5回目の旅に出発しました。

これは壮大なドラマであり、ロマンです。
5回目の旅は、どんな旅になるのでしょうか・・・






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本屋さんでの憂鬱

2018-08-01 15:08:07 | 読書


本屋さんを覗くのは嫌いではありません。
むしろ好きな方です。

しかし、憂鬱になる事が多々あります。
何故でしょう?
本が多過ぎるからです。
本屋さんですから本が溢れているのは当たり前なんですが、
あまりにも多すぎる・・と、貴方は思いませんか?

何か目的がある。
今日はこの本が買いたい。
というのだったら、何も憂鬱にはならないですよね。
どうという目的もなく、何かいい本は無いか?
という時が困るんですね。

大規模な本屋さんだと、その傾向は更に強くなります。
ですが、大規模だと自分が好きな傾向の本のコーナーがあったりします。
そのコーナーでは安心して選択ができます。

私は「軍艦」「艦船」といったコーナーだと、
つい何らかの本を買ってしまう事がよくあります。
ですが、小規模の本屋さんだと、そういったコーナーが無いので、
自分の行く先が見えなく、ただやみ雲に歩き回る羽目になります。



そんな中から自分の好きな作家の本が並んでいたりすると、
やっぱりそれらばかりを追い求めてしまいます。
全く進歩がないな~。

こんな作家も居るんだ。
そういう事はよくある所か、そういった人の方が多いですね。
こんな人はまるで知らないな~、という本を買うのは冒険ですね。

最近、思ったのですが、
いわゆる名作と聞いているから買うという選択肢はやめた方がいいですね。
特に、日本の明治時代とか大正時代とかの名作は、
実に読みづらいし、時代ズレが甚だしく、私は何冊かを放棄しました。
これを繰り返すと自己嫌悪になりかねません。

それより、(今)を書いている本を買うべきだと感じています。
タイムリー・・それがいいんだと思います。

シリーズ物として大量の本を書いている作家を見ると、
才能というのは凄いものだと感心します。
私も、そういった才能に恵まれたかった。

まるで知らない作家が、
分厚い本をシリーズとして何冊も出版しているのを見ると、
この作家は一体どういう人なんだろう?と凄く気になります。

小説にするか?ドキュメンタリーにするか?
歴史にするか?現代を見るにするか?
自分の好きな本にまた戻るか?
本を買うという行為は実に悩ましい。

大きな本屋さんの店先で、非常識とも取れる膨大な本を見つめながら、
私はいつも気が遠くなる様な眩暈すら感じるのです。

やめてよね。
アンタ達、もう本は書かないでよね、お願いだから・・・



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不朽の名作

2018-02-25 06:56:11 | 読書
「不朽の名作」という言葉は、よく聞く言葉です。

不朽・・永遠に。
名作・・優れた作品。

不朽の名作とは、つまりそれほど優れた作品であり、
半永久的に残る作品と言えるのかも知れません。

でも、それって本当なの?



私が、現在読んでいる小説は、
田山花袋の「田舎教師」・・なかなか進まないけど。

この小説が書かれたのは明治42年(西暦1909年)
もう109年も前なのです。

こういった中途半端に昔の本というのは実に読みづらい。

例えば、

天狗煙草・・・・・・東京・銀座の岩谷与兵衛商店で発売していた国産の煙草。
小波のおじさん・・・童話作家・巌谷小波のこと。
党閥の弊・・・・・・徒党を組んで、自分達の利益の為に、お互い排斥しあう弊害。

文庫本315ページの小説でしかないのに、
注解が314もあるというのは、本当に煩わしい。

そして、日本の文体というのは、
たった100年しか経っていないのに、
何でこうまで読みにくい文体に変化してしまったんでしょう?

太平洋戦争当時の軍人の文体などは、その典型です。
〇〇にあらせられる・・
〇〇せしむるべきは・・
こんな文体など、今は完全に死滅しています。

日本語の小説・文体は、
外国の文体に比較してどうなんでしょう?

以前、外国(特に英語圏)では、日本語ほどの変化は無いと聞いた事があります。
その真実は知りませんが、とに角、昔の本は読みづらい。
我慢と忍耐で読むしかありません。

でも、そんな七面倒くさい思いをしながら、
名作と言われるが為に、読む必要があるのでしょうか?

以前、やはり名作と言われるが故に読み始めた「世界文学全集」
「赤と黒」「怒りの葡萄」
あまりにも、つまらないので途中でぶん投げてしまった事があります。

時代のズレ、世代のズレ・・こればかりはもう、どうし様もないのです。
いくら「これは世界的な名作だ」と言われても、
時代がズレてしまっているものは、もう無理なんですね。

国木田独歩「武蔵野」・・志賀直哉「暗夜行路」・・山本有三「路傍の石」
森鴎外「山椒大夫」・・夏目漱石「坊ちゃん」・・芥川龍之介「羅生門」
島崎藤村「破戒」
いずれも「名作」と言われる小説です。
でも、この内、何冊を貴方は読みましたか?
私は、一冊も読んだ事は無いし、今後もきっと読まないと思います。

とは言っても「モンテクリスト伯」
こればっかりは3回も読破してしまったし、
私個人としては、これほどの「不朽の名作」は無いのですね。

という事は、時代を超越して「不朽の名作」は、
あるのかも知れません。
でも・・不朽の名作って何なんでしょう?





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もし私に文才があったなら・・

2017-11-08 05:46:31 | 読書
もし私に文才があったなら・・
私は時間を超越したSF小説を書きます。

その主人公は(侍)





江戸時代の侍が現代にタイムスリップするという架空の話です。
何故、江戸時代かと言うと、比較的にリアル感があるからです。
これが、やれ鎌倉時代だとか平安時代とかになると、
あまりにも時代が古過ぎて姿が見えてこないからです。

「鬼平犯科帳」とか「仕掛け人・梅安」とかの漫画本で、
そういった時代の人々の暮らしや風景が分かり易いという事もあります。

いつも思うのは、
この風景を侍が見たらとか、
江戸時代の人がこれを経験したらとか・・・

例えば、江戸時代の人が現代の風呂に入ったら。
蛇口をひねるだけで水や、ましてお湯が出てくる事に驚くでしょう。
風呂の湯加減に人が係わっていない事に驚くでしょう。
タオルという見た事のない布を使い、その性能に驚くでしょう。
石鹸やシャンプーといった物に驚くでしょう。
シャワーという快適な仕掛けに驚くでしょう。
白髪染めなどという物がある事に驚くでしょう。

たった(お風呂)だけでこの有様です。
これが実生活を体験したら・・それは一体どうなってしまうんでしょう?

【TV On Air】外国人、新幹線の速さにびっくり大興奮!


日本が世界に誇る新幹線のスピードに外国人が驚愕。
これは、江戸時代の人が現代を見た感覚と同じだと思います。

ある時、現代人の貴方が、とある場所にたたずんでいる、
江戸時代の侍を発見します。
「映画か何かのセットで待機中なのかな?」と、
興味を持った貴方はその侍に声をかけます。
所が所が・・その侍は刀を抜いて貴方を威嚇します。

ただのセットだと思っていた貴方は、
その侍の只ならぬ雰囲気に息を呑み、生唾をゴクリと飲み込みます。
江戸時代からタイムスリップした侍は、何が何だか理解できず、
見た事もない服を着て、近寄って来た貴方に恐怖を感じ、
寄らば切るぞと威嚇しているのです。

訳が解らない貴方は、その侍に話かけます。
「エッ、これって映画じゃないの?」
そう言われた侍も、頭が混乱して「これは一体どうなってるんだ」
「映画って、こいつは何を言ってるんだ?」
「大体、日本語にしたって何かこいつは変だよ」

ま、そういった具合に話が始まるんですが、
どうです、きっと面白い事になるとは思いませんか?

私は時代小説など殆ど読まないのですが、
妻は時代小説が好きで、よく(山本一力)などの本を読んでいます。
こっちは、どちらかと言うと「モンテクリスト伯」を読むくちで、
話が全然かみ合わないのです。

でも、私もつられて(山本一力)の時代本を読んだ事があります。
ガッカリでした。
江戸時代の市井の人々の暮らしに根差した淡々とした内容で、
いわゆる(山)に当たる部分が無いのです。
あまりにも淡々としていて、これからどうなるのかな~?
といったドキドキが無いのですね。
だからもう読まない。

でも、その山本一力氏に、
私が書いて欲しいと願っている小説を書いてとお願いしようかな?
自分にはそれを書ける文才が無いんだから、
誰かに書いてもらうしかないよな~。

本気で、山本一力氏にお願いしようかな~?
でも、発想はとも角、エンディングをどうするか?
これが決まってないと小説って書けないと思います。

そこがな~、見えていないんだよ。
この辺が所詮、素人の悲しさだよな~。



コメント (2)
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広辞苑

2017-10-31 08:30:47 | 読書
新村出(しんむら・いづる)


皆さんの家に「広辞苑」は置いてありますか?
私の家には、勿論あります。
第5版・・価格は7300円。

しかし、実はこれは買い直した本なのです。

あれは、今から何年前の事だったか?
まだ私がパソコンを始める前の事でした。
当時住んでいたマンションの玄関前のゴミ出し場に、
「広辞苑」が捨てられていたのを見た時は、
目がテンになりました。

「広辞苑」を捨てるか~ッ!
それは信じられない思いがして、本当に驚きました。

所が、自分がパソコンを始める様になると、
段々と辞書を広げる事が少なくなり、
分からない時はパソコンがあればすぐに分かるからと、
遂に私自身が「広辞苑」を捨ててしまったのです。

あの分厚く重たい「広辞苑」はもう邪魔な気がしたのです。
しかし、何年もしない内に私は「広辞苑」を捨ててしまった事を、
後悔し始めたのでした。

パソコンは直にその言葉だけは分かります。
ですが、その前後関係とか背景とかが分からないのです。
調べたい言葉が、他の言葉とどう繋がっているとかが分からないのです。
そういった背景も知りたいのにと思っても出来ないのです。

遂に私は一度は捨てた「広辞苑」を買い直す羽目になりました。
しかし、思ったほどは「広辞苑」を開かないね~。
でも、いいんです。
これが有ると何か安心すると言うか、そんな感じがあるのです。



この本は一体どういった背景から生まれたのでしょうか?

大正末期から昭和にかけ、民族・民俗学や考古学の名著を多数、
世に送り出した、岡茂雄からそれは始まります。
辞書を作る必要を思い立った岡は、
旧知の新村出(しんむら・いづる)に依頼します。
最初は断った新村でしたが、結局それをやる事になりました。


1935年(昭和10年)
「辞苑」は完成しベストセラーになります。
「辞苑」とは、中国の著述家・葛洪(かつこう)283年~343年、
の書いた「字苑」にちなんだものです。

「辞苑」刊行後、岡茂雄はすぐに改訂版の編集を、
新村に進言します。

途中、第二次世界大戦の空襲で改訂版の原稿が消失。
1955年(昭和30年)
名前を変えてやっと「広辞苑」、初版が刊行されました。
価格は2000円。
これは公務員の初任給が9000円の時代だったので、
現在に換算すると4~5万円程度の感覚ですが、
これが飛ぶように売れたのです。

1969年・・・第2版
1983年・・・ 3
1991年・・・ 4
1998年・・・ 5
2008年・・・ 6
そして、来年2018年に第7版が刊行予定になっています。

2000年までの累計発行部数は1100万部。
中型国語辞典では売り上げ1位を誇ります。
しかし、1983年の第3版・260万部をピークとして、
減少に歯止めがかかりません。
これは一重にパソコンの普及でしょう。



新村出・1876年(明治9年)~1967年(昭和42年)90歳。
父親が山口県と山形県の県知事だった事から、
「山」の字を重ねて(出)という名前を付けました。
恥ずかしながら、私は新村(しんむら)を、
長年(にいむら)だとばかり思っていました。

辞書を作るという作業は、一日に何語作ると決めていないと絶対に出来ないそうです。
この言葉は難しいから明日にしようというのはダメなんだそうです。
そう考えると、これは実に気の遠くなる様な地道な作業で、
凡人のなせる技ではないのですね。
ご苦労様と頭が下がります。

「広辞苑」は日本が誇る辞書であり、
こういったキチンとした形での辞書がまだ無い国もあるのですから、
本当に日本の誇りだと思います。

「広辞苑」の分厚さに、「こいつは昼寝の枕に丁度いい」
なんてね、アナタ、ぶっ飛ばされますよ。

この重くて分厚い辞書をひく、ひかないに関係なく、
一家に一冊は置いて欲しいものだと願っています。





コメント (4)
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