SF小説というと、私が最も印象深いのは「日本沈没」です。
言わずと知れた、小松左京を代表する小説でした。
ベストセラーになり、1973年に映画化されましたが、
あれを観た時、「日本は本当に海の中に沈んでしまう!」と、
チョッと本気で不安になったものです。
時の総理大臣(島田正吾)が、
地球物理学者の田所博士(小林桂樹)に尋ねます「何故、今年は燕がやって来ないのか?」
そう訊ねるシーンには、何故か鳥肌が立つ思いがしました。
また、その総理大臣が田所博士に、こうも尋ねます。
「科学者にとって一番大切な事は何かね?」
それに対し田所博士は言います「感です」と。
そして、そこにあった新聞紙を無造作に切り裂き、
「こうやって破けば、誰だって同じ新聞紙だった事は分かります」
「しかし、最初から切れ端だった物が、同じ新聞紙だったとは誰も思わないでしょう」
と言って、ヴェーゲナーが1912年に唱えた(大陸移動説)の話をします。
地球の大陸の形を見た、ヴェーゲナーは感でひらめいたのです。
元々は同じ大陸だったのではないか?と。
最初それは多くの科学者たちから馬鹿にされました。
「大陸が移動するなんて、全く馬鹿げている」
しかし、現在、それを否定する人は誰も居ません。
科学者にとって、最も大切なのは(感)なのです、と。
そして、あれは誰の小説だったのかは、まるで記憶にありませんが、
何処かの地方にネズミが異常発生し、
人間の生命が危険にさらされるというとんでもない事態が起こったのです。
人間は生死を賭けてネズミの大軍と戦うのです。
その最初のフレーズが、
「最初は誰も気にも留めなかったのですが、ネズミが数匹出没しました」
とか、そんな感じでの始まりだったのですが、
その何気なさが、逆に肌が薄ら寒くなる様な恐怖心をあおった事を覚えています。
これは日本人か外国人かは分かりませんが、
一日一日、自分の身長が半分になって行くというSF小説もありました。
身長170センチの人が、
翌日には85センチ。次の日には約42センチ。
3日目には、21センチ、4日目は10センチ。5日目は5センチ。
という事は、
5日目になるとどうなるか?
それは身長が5センチになった自分とゴキブリは同じくらいの大きさ。
現在に例えると140センチくらいなのです。
そんな大きなゴキブリが間近に来たら、卒倒してしまいます。
4ミリだった蟻は、14センチの感覚です。
もうダメだ、食い殺されちゃう。
何処を見ても怪物しか居ません。
もし、犬や猫が居たら、踏みつぶされてしまいます。
人間が居たので「助けてくれ~ッ」と叫んでも、
そんな小っちゃな声など誰も気づいてはくれないのです。
更に翌々日になると、もう身長は1,5センチ程度なのです。
雨が降って、雨粒にまともに当たるものなら即死してしまいます。
チョッとでも気を抜くと、虫のエサになってしまいます。
そして、本当に怖いのは、
いくら経っても、どんなに小さくなっても生きているのです。
1ミクロンになろうとも生きている、という事は、
毎日が必死で生きなければならなく、でも死なないのです。
「モスケーの大渦巻」とかいった小説もありました。
あまり詳しくは覚えていないのですが、
その人が不幸にも、モスケーという海か、渦巻なのか?
そんな大渦巻に転落してしまったのです。
物凄く大きな渦巻なので、中心に行くにはかなりな時間があったのです。
彼は生きるか死ぬかの中で、観察をしている内に、
長さの短い物より、長細い物の方が中心に行きつくまで時間がかかる事に気づきます。
それで彼は、自分の身体を腕と足を突っ張る様にしながら耐えていたのです。
その甲斐あって彼は一命を取り留めました。
しかし、生きた心地のしないその時間の為に、
彼の頭髪は恐怖の為に、真っ白になっていたのです。
と、そんな内容の短編小説でした。
SF小説なんて、まるで荒唐無稽の下らない本だ、とは思いますが、
いやいや、そういったものでは無いですぞ。
どうしてどうして、たかがなんて言ってると、
貴方は後悔しますよ。
SF小説って、結構面白いのです。
ですが、私は最近はそういったロマン溢れる本を読んでいないな~。
(追伸)
島田正吾は総理大臣ではなく、政界の重鎮だったかな・・・
言わずと知れた、小松左京を代表する小説でした。
ベストセラーになり、1973年に映画化されましたが、
あれを観た時、「日本は本当に海の中に沈んでしまう!」と、
チョッと本気で不安になったものです。
時の総理大臣(島田正吾)が、
地球物理学者の田所博士(小林桂樹)に尋ねます「何故、今年は燕がやって来ないのか?」
そう訊ねるシーンには、何故か鳥肌が立つ思いがしました。
また、その総理大臣が田所博士に、こうも尋ねます。
「科学者にとって一番大切な事は何かね?」
それに対し田所博士は言います「感です」と。
そして、そこにあった新聞紙を無造作に切り裂き、
「こうやって破けば、誰だって同じ新聞紙だった事は分かります」
「しかし、最初から切れ端だった物が、同じ新聞紙だったとは誰も思わないでしょう」
と言って、ヴェーゲナーが1912年に唱えた(大陸移動説)の話をします。
地球の大陸の形を見た、ヴェーゲナーは感でひらめいたのです。
元々は同じ大陸だったのではないか?と。
最初それは多くの科学者たちから馬鹿にされました。
「大陸が移動するなんて、全く馬鹿げている」
しかし、現在、それを否定する人は誰も居ません。
科学者にとって、最も大切なのは(感)なのです、と。
そして、あれは誰の小説だったのかは、まるで記憶にありませんが、
何処かの地方にネズミが異常発生し、
人間の生命が危険にさらされるというとんでもない事態が起こったのです。
人間は生死を賭けてネズミの大軍と戦うのです。
その最初のフレーズが、
「最初は誰も気にも留めなかったのですが、ネズミが数匹出没しました」
とか、そんな感じでの始まりだったのですが、
その何気なさが、逆に肌が薄ら寒くなる様な恐怖心をあおった事を覚えています。
これは日本人か外国人かは分かりませんが、
一日一日、自分の身長が半分になって行くというSF小説もありました。
身長170センチの人が、
翌日には85センチ。次の日には約42センチ。
3日目には、21センチ、4日目は10センチ。5日目は5センチ。
という事は、
5日目になるとどうなるか?
それは身長が5センチになった自分とゴキブリは同じくらいの大きさ。
現在に例えると140センチくらいなのです。
そんな大きなゴキブリが間近に来たら、卒倒してしまいます。
4ミリだった蟻は、14センチの感覚です。
もうダメだ、食い殺されちゃう。
何処を見ても怪物しか居ません。
もし、犬や猫が居たら、踏みつぶされてしまいます。
人間が居たので「助けてくれ~ッ」と叫んでも、
そんな小っちゃな声など誰も気づいてはくれないのです。
更に翌々日になると、もう身長は1,5センチ程度なのです。
雨が降って、雨粒にまともに当たるものなら即死してしまいます。
チョッとでも気を抜くと、虫のエサになってしまいます。
そして、本当に怖いのは、
いくら経っても、どんなに小さくなっても生きているのです。
1ミクロンになろうとも生きている、という事は、
毎日が必死で生きなければならなく、でも死なないのです。
「モスケーの大渦巻」とかいった小説もありました。
あまり詳しくは覚えていないのですが、
その人が不幸にも、モスケーという海か、渦巻なのか?
そんな大渦巻に転落してしまったのです。
物凄く大きな渦巻なので、中心に行くにはかなりな時間があったのです。
彼は生きるか死ぬかの中で、観察をしている内に、
長さの短い物より、長細い物の方が中心に行きつくまで時間がかかる事に気づきます。
それで彼は、自分の身体を腕と足を突っ張る様にしながら耐えていたのです。
その甲斐あって彼は一命を取り留めました。
しかし、生きた心地のしないその時間の為に、
彼の頭髪は恐怖の為に、真っ白になっていたのです。
と、そんな内容の短編小説でした。
SF小説なんて、まるで荒唐無稽の下らない本だ、とは思いますが、
いやいや、そういったものでは無いですぞ。
どうしてどうして、たかがなんて言ってると、
貴方は後悔しますよ。
SF小説って、結構面白いのです。
ですが、私は最近はそういったロマン溢れる本を読んでいないな~。
(追伸)
島田正吾は総理大臣ではなく、政界の重鎮だったかな・・・