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河童の歌声

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横浜港の大晦日・新年の汽笛

2020-07-26 12:44:09 | 船舶
平成26年 横浜港 除夜の汽笛


横浜港では毎年、大晦日、
除夜の鐘と同じ意味で、新年を祝って港に停泊している船が、
一斉に汽笛を鳴らすのが恒例になっています。
今ではその為のイベントも開催されていて大勢の観光客が押し寄せるそうです。

この慣習はいつ何処から始まったのでしょう?
これが絶対という根拠はないらしいのですが・・・

元々はヨーロッパから始まったみたいで、
昔、船では30分毎に1回鐘を鳴らしたそうです。
1時間に2回。4時間では8回鳴らしました。
これを8点鐘(はってんしょう)と言います。
船では4時間ごとにシフトが代わるので、最大8回鐘が鳴ります。
それで大晦日の時は、当番だった船乗りが景気づけの意味で、
8回鳴らすべきを倍の16回鳴らしたそうです。
やがて鐘は汽笛となったのですが、
この習わしが明治時代になって日本にも入ってきたそうです。







昔は「波止場」とか「マドロス(死語)」とかの歌がよく流行りましたね。
今、「俺はマドロスなんだ」なんて言ったら笑われちゃうね。

汽笛の音は大きな船ほど低く、
霧中は見通しの悪い所では、その音程によって、
船の大きさがある程度、分るようです。
また、音量には規定があって、
長さ200メートル以上の船は、143デシベル以上。
75~200メートルは、138デシベル。
75までは120デシベルと決まっています。

シルバーミューズ号の汽笛に返礼する摩周丸


船の汽笛にびっくりして逃げる少女! 警笛がうるさすぎるボート


くらま 出港 汽笛に感動!36年間ありがとう さようなら


2017/6/27 【感動! 生ドラ&さよならの汽笛3回&トラック野郎達の惜別】 ラストラン 新日本海フェリー フェリーしらかば 引退  苫小牧東港出港


汽笛というのは、船という無機質な物に過ぎない物体なのですが、
それが発する人の心みたいな所があって、そこがいいんですね。
何故か心に響く時が、シーンがあって、そこはかとなく共感したりするのですね。





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海中の見えない悪魔

2020-07-26 04:22:18 | 船舶


カナダの首都・バンクーバーは、
北アメリカ大陸の西(太平洋側)にあります。
地図ではBの場所です。





バンクーバーの向かい側には、
バンクーバー島という南北の長さ450キロくらいの島があり、
バンクーバー港に入出する船は、その島の北か南からの航路を通るのです。

南側を通る船は何の問題もないのですが、
北側ルートを通る船には、とんでもない悪魔がいたのです。
(はて、いったいどんな悪魔なのでしょう?)
だったら北側を通るのはやめて南側を通れば・・だったらいいのですが、
北に向かいたい船が、反対側を通るには数百キロという無駄な行為と・・
それは時間的にも燃料費にも多大な無駄遣いを強いられるのです。
船というのは皆、経営、経済の基で走っているのですから、
そういった無駄は絶対にしたくないのです。

そして、北米大陸とバンクーバー島との狭い海峡は、
波も静かで快適な航海が約束されているのです。
昔からこの航路はそういった意味で頻繁に利用されていました。

しかし、その狭いセイモア海峡には恐ろしい魔物が潜んでいました。
セイモア海峡は広い場所で5キロ。
最も狭い場所では、たった1.6キロしかありません。
海峡は水深100メートルと深く、大型船でも全く航海に支障はありません。

ですが、この最も狭い部分の真ん中には、
まるで海底からそびえ立った様な急峻な尖搭がそびえ立っていたのです。
その尖搭は海面下わずか2メートル。
満潮時でも3メートルしかありません。
海峡は常に波が静かで、この尖搭の頂上でも、全く波は立たず、
船からこの尖搭の存在を知る事は全くできないのです。

カナダではこの危険な存在を避ける為に航路を定めていました。
しかし、この尖搭へ座礁する船は後を絶たなかったのです。
特に霧が深い時には極めて危険でした。

1875年から1958年までの83年間で、
座礁した船は120隻に及び、死者も114名に達していました。
この尖塔はリップルロック(さざなみ岩礁)と呼ばれていました。

カナダ政府もこの海峡が船舶の航行に極めて重要な事を認識していたので、
これの撤去には昔から様々な方法を考えてはいましたが、
妙案が浮かばないままに放置されていました。
尖搭といっても、それは巨大な岩山ですから、
水中からのダイナマイト爆破などでは全く受け付けないのです。

カナダ政府は1952年にこの尖搭の除去を本格的に開始しました。
その方法は、
最も近い陸地から縦に131メートルにたて穴を掘ります。
そこから今度はリップルロックに向かって真横に720メートルの海底洞穴を掘ります。
そこはリップルロックの真下になります。
そして上向きに90メートルのたて穴を掘ります。
それはリップルロックの頂上の真下10メートルです。

そこから直径2メートル、20本の穴を斜め上に向かって掘ります。
そして全ての作業が終わったところへ、
合計1950トンの高性能爆薬が仕掛けられました。



そして、掘削した全ての穴が塞がれます。
1958年4月7日午前9時31分。
1950トンの爆薬が点火されました。

リップルロックの上半分、40万トンの岩礁は一瞬にして吹き飛び、
海の中の見えない悪魔は海面下12メートルまでが消滅したのでした。

その後は巨大タンカーの航行も自由になり、
長年にわたって船乗りたちを悩ませ続けた悪魔は失われたのでした。





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29年後に発見された悲しい男

2020-07-23 14:57:13 | 船舶




1859年。
イギリスで前代未聞の巨大な船が誕生しました。

名前は、グレート・イースタン号。
全長・約211メートル。全幅・約36メートル。
総トン数・約19000トン。

当時の船はまだ3000トン程度の木造船であり、
まさに常識外れの桁外れに巨大な船でした。

動力は両舷の外輪と、船尾に取り付けられたスクリューでした。
最高速度は時速24キロ。
ただ、この時代のエンジンを動力とする船は、その信頼性がまだまだだったので、
帆走装置も取り付けられていました。

この巨大な船の建造目的は、
オーストラリアの羊毛と農産物をイギリスへ運び、
イギリスからはオーストラリアへの移民を運ぶ為でした。
しかし、何故ここまで大型化する必要があったのでしょう?

それは全行程2万キロにおよぶ航路を、途中無寄港で走破する事が検討されていた為、
大量の石炭(当時は石油ではなく石炭だった)を搭載する必要があった為です。

しかしグレート・イースタンがその目的航路を走る事は一度もありませんでした。
あまりにも長距離の航路を走る信頼性がまだ無かったのです。
その為に、仕方なく北大西洋航路を走る様になったグレートイースタン号は、
わずか10航路を行っただけで係船されてしまいました。

この巨大な船を扱える技術が不足していたり、
当時のボイラーの燃焼効率の悪さから、
膨大な石炭の量が必要で、とても採算が合わなかったのです。



完成から10年後には、そのあまりの大きさゆえに使いこなす事が出来ず、
どこの海運会社も、この船を見限ってしまい野ざらし状態でした。

この船には就役当初から不思議な話が付きまとっていました。
航海のたびに船内をハンマーで叩く様な音が聞こえるのです。
結局この音はグレートイースタン号が就航している間中、絶えず鳴り響いていたのです。
船員たちはこの気味の悪い音に悩まされ続けていました。

完成から29年後の1888年(明治21年)に、
グレート・イースタン号は、とうとう解体されてしまいました。
その最中に事件は起きたのです。



船体は上部から解体されてゆき、下部の二重構造の舷側の解体が始まって間もなく、
二重構造の幅1メートルの隙間から人骨が発見されたのです。
その人骨は朽ち果てた作業服を着ていて、そばに彼の雑用袋が転がっていました。

実は建造中のある日、
一人の作業員が行方不明になる事件がありました。
彼の行方は杳としてつかめず、いくら探しても発見できず、迷宮入りになってしまったのです。

作業袋の文字をたどると、それはまさに行方不明になった鋲打ち工の名前だったのです。
何かの手違いから二重構造の隙間に閉じ込められた彼に誰も気づかなかったのです。
彼は恐らく必死になってハンマーを叩いて自分の存在を知らせたのでしょうが、
建造中の船では四六時中、ハンマーで鉄板を叩く音が聞こえていたので、
誰にも気づかれないままに水も食料もなく体力が尽きて死んでしまったのでしょう。

彼の無念さが船体をハンマーで叩き続き続け、
あの気味の悪い音となっていたのでしょうか?

いえ実際は、それまで未経験であった鉄製の巨大な船を建造した為に、
鉄板の温度変化によるゆがみの逃げ道などが充分に考慮されていなかったので、
大面積の鉄板が毎日の温度差によるゆがみが、音として表われた事だったのです。

しかし、いくらハンマーで自分の存在を必死で知らせても、
誰も気づいてくれないのですから、彼は気が狂いそうな恐怖だったでしょうね。
恐ろしくなる、実に可哀想な出来事でした。






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悲劇の洞爺丸

2020-06-19 07:09:22 | 船舶
国鉄 洞爺丸 沈没事故


1954(昭和29年)9月26日。
青函連絡船・洞爺丸の沈没事故が起こりました。
それは日本海難事故最大の事故となりました。





現在は本州・青森と北海道・函館を結ぶには青函トンネルがありますが、
当時は青函連絡船以外の方法は他にはありませんでした。

洞爺丸は3898トン、全長118メートル、全幅15,8メートル。
国鉄が所有する、
乗客932名、乗組員128名、合計1060名。
速力は時速32キロの船で、
国鉄車両18両を積載する事ができ、青森~函館間を4時間半で運行していました。

運命の9月26日。
午後4時のNHKニュースで函館気象台発表の台風情報として、
15時現在、台風15号は青森市西方100キロに在り、
中心気圧968ミリバール、時速110キロで北東に進行中。
今夜、北海道を通過するものと思われる、と放送しました。



函館では17時頃より急に風が弱まり晴れ間も出てきました。
それは誰もが台風の目に入ったと信じたのでした。

近藤船長は18時30分の出港を決定します。
この船長はベテランであり、気象判断に詳しく、
「天気図」とあだ名されるされる程だったのですが、
この時の気象図は寒冷前線と温暖前線が微妙にからまり、
人々に(偽りの台風の目)と信じ込ませる状況が出来上がっていたのです。



洞爺丸は4時間遅れの18時39分に函館港を出港しました。
しかし、間もなく40メートルにもなる強風を受けた為に、
航行は困難と考え、19時01分、函館港外に投錨(錨を下す)。
船首を風上に向け、船位の維持に努めました。

しかし、風は一向に収まらず、波は更に高くなり、
19時30分頃より後部の車両積み込み扉から海水をすくい込む様になり、
船内への流入が始まってしまいます。



この時の波高は6メートル。波長は120メートルと推定され、
水線長(船体の喫水線の長さ)115,5メートルの洞爺丸は、
波に船首が持ち上げられると、後尾の車両乗り入れ口は海面下になり、
海水を飲み込んでいったのです。

21時40分頃には船体は左舷に20度ほど傾斜します。
これは後には右舷傾斜に変わって行きますが。
洞爺丸の様々な機械類が停止し、
船体は走錨(錨を引きずったまま走り出す)し、操船が不能になってしまいました。

船体の傾斜は40度にも達し、船体は大波に翻弄され、
水深12,4メートルあるにもかかわらず(本来なら余裕のある深さ)、
船底が海底に接触する強い衝撃が繰り替えされます。



その後の調べで洞爺丸のビルジキールは、その際の接触により、
全て失われていたそうです。



22時39分、SOSが発信されます。
しかし、その直後の22時43分に洞爺丸は横倒し状態で沈没します。

死者は1155名。救助者は159名という大惨事となってしまいました。
近藤船長は船と運命を共にして亡くなってしまいました。







この時には2800トンクラスの連絡貨物船4隻も沈没し、
275名の方が亡くなられています。
全部で1430名という尊い命が失われ、
この時の台風15号は、洞爺丸台風と名前を変えたのでした。





この事件は映画にもなりました。
1954年(昭和29年)11月封切り。
主演の近藤船長を演じたのは、宇佐見淳也でした。



現在、洞爺丸が沈没した浜には慰霊碑が設けられています。






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鉄の船が好き

2019-04-17 06:59:17 | 船舶
私の船好きは子供の頃からで、
それが小学校何年生からだったかは、はっきりしません。

ただ中学校になると、
キットの木製軍艦模型を作っていた記憶はあるのです。
その頃はまだ(プラモデル)というのは在りませんでした。

模型と言ってもせいぜい30センチくらいの小さな軍艦で、
完成すると、流しに水を張って浮かべ、
軍艦にシンナーをかけて燃やしてしまうのです。
海戦で攻撃を受けて沈没するシーンを思い浮かべていた。という、
全くおかしなガキでした。



ただ、こういった豪華クルーザーが好きだったという記憶は無いのです。



これは加山雄三所有の、全長30メートルのクルーザー・光進丸です。
このあまりにも有名な船は、勿体ない事に全焼して失われてしまいました。
私は、こういった船には殆ど興味を感じないのです。
加山雄三が、その衝撃に落ち込んだ気持ちは痛いほど分かりますが。



これは小型の貨物船です。



これは漁船で、いわゆるマグロはえ縄漁船。



これは何をする貨物船かは分かりませんが、
ごく一般的に(貨物船)と分類される船ですね。

私は、こういった鉄で出来た船が好きなんです。
グラスファイバーを多用した見栄えのいいクルーザーや、
豪華を売り物にしている、遊び船には、あまり興味を感じないのです。

横浜や川崎などの岸壁に、
ごく普通に停泊している貨物船の方がよほど好き。
速度だって、せいぜい15ノット(時速28キロ)
そんな船、鉄で出来た船が好き。

やっぱり、こういった種類の船好きは、変な奴なんでしょうね。
もっとも私はそれに乗って航海はしたくありません。
だって船酔い間違いなしなんですから。
ただ航海している姿を眺めているだけでいいんです。





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