私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

貫之の”くるとあくと・・・”について

2013-06-09 10:30:48 | Weblog

 更に、高尚は、古今集の歌につても、情がない歌は歌でないと力強く語ります。

 万葉集の歌は、殊に人麻呂、赤人は、情をもととして詞もうるわしく、聞く人をして深くあはれと思われるように詠まれている。そのことは庭訓抄にも、「情をもととして、詞をば取捨せよ」と書かれており、それを忠実に守った俊成卿の歌にも、その万葉のよき歌のさまが見られ、深き情を詠みとることができ、それが如実に古今集にある紀貫之の歌

 “くるとあくとめかれぬものをうめの花いつの人まにうつろひぬらん”

に、見ることができるのだと。
 この歌は、“いつの人まにといふに、いといとあはれなるふかき情ある歌にて、めでたきを諸注みなときえず”と、誰もこの歌の本隋を解説した者はいないと云うのです。それは、更に、此の古今集全体の歌に対しても同様であると、自信満々に述べています。
 何回も云う様ですが、藤井高尚は、万葉以来、古来からの歌に対して、なみなみならぬ、誰にも負けない独自の解釈をして、相当な自信を、と云うより「我こそが日本の歌のまごころを解釈する第一人者だ」と、自負の念を持っていたのだということが分かります。


あはぢのぬしまのさきのはまかぜ・・・

2013-06-08 09:26:20 | Weblog

 高尚が次に挙げたのが、同じく人麻呂の
    “あはぢのぬしまのさきのはまかぜにいもがむすびしひもふきかへす”
 です。
 なお、現代、この歌は一般には、「ぬしま」でなく「のしま」になっています。契沖の万葉集代匠記でも、やはり「ノシマ」です。どうして高尚はわざわざ「の」を「ぬ」にしたのかは説明がありません。

 淡路のぬしまの崎に船がようやく着いたその時に、急なるはげしい浜風がふいて、もの心細い思いがわいてきて、家にいるいもを大層恋しく思い出しておるこころを”いもがむすびし“と云う言葉で言い表わしています。そのような技巧は人麻呂の、”たぐひなき上手のしわざなりけり”だと云っております。
 また、そのような情は、五の句「ふきかえす」は、第三句は「はま風の」というべきを、わざわざ「はま風に」と云っている詞にも見ることができ、“いとどあはれなる情をそへたり”と書いております。この「の」でなく「に」と云う詞にすることによって、そこに表されている情がより深くなり、「浜風」には、このようなわけがあって、家恋しさが耐えがたくなっているのだよと云う予意がそこにはありありと見てとれるのだと云っています。
 そして、そのような心が、第一句を、あえて、調子が随分と悪い「あわぢの」四文字にすることによって、より一層この歌に表われるようにしたのです、と。


やまとしま見ゆ

2013-06-07 08:10:59 | Weblog

 この歌で一番大切な詞は第三の句“こひくるに”です。そのわけは、こひつヽ来なくともあかしのとに至れば、当然大和の山々は見ることができます。それをこひくればと云って、やまとのしま見ゆと続けることによって、詠んだ人の、いかにか「アア、うれしやようやくここまでたどり着けたか」と云う心の底からの感動が”いはんかたなしと云う余情をしらせたるなり”としております。このような歌の手法は誰が及び付くものですか、人麻呂こそしか言い表わすことが出来ない歌になっているのだと、高尚は強調しております。
 
 どうですが、そう言われてみますとなるほどと感心させられます、この歌の解釈は多くの万葉学者によって、今までに多数九なされていますが、この高尚のように、此処まで深く、その情と詞を結び付けた解説は見たことがありません。その鋭い文学的な解釈には今更ながらに感心されます。
 これは余残事ですが、現在、この高尚の万葉集については、誰も研究した人はいないのが現状ですが、何時の日にかきっと陽の当たる時代が、必ず、来ると思っています。


よき歌の情とは

2013-06-06 12:06:19 | Weblog

 昔から言い伝えられてきた優秀な歌の情は直ぐには学ぼうと思ってもなかなか学びとれるものではなく、反対にそこの折りこまれている詞は案外たやすく学ぶことができるものです。だから、よい歌を読もうと思えば、そこに読みこまれる歌の情を知ることが大切である。
 そのよき情と云うのは柿本大人の次の歌によく表れているというのです。

  “あまさがるひなの長ちゆこひくればあかしのとよりやまとしま見ゆ
 とあるのを見てもしるべし”
 
 とあります。
「今までの万葉集の解釈本ではそれに付いて十分説明されていないので、今から私がとききかせます。」と、自信のあり様です。次のように書いてあります。

 ”はやく家に帰りて、おもふ人々にもあひ見んと、ひなの長きみちのあひだ、日数へてよるひるこひつヽくれば、あかしのとよりはじめて我すむかたのやまと島見ゆ、あはれうれしさいはんかたなしと、いへるここりなり。

 1日「5百字」までと思っておりますので、続きは、また、明日にでも。 


庭訓抄に云う詞

2013-06-05 16:40:59 | Weblog

 平安時代に著わされた「庭訓抄」には、“すべて詞にあしきもなく、よろしきもあるべからず。つづけがらにて歌詞の勝劣侍るべし”とあるが、それはない。やっぱり、宇津保物語に出ている歌のように「つるとたづ」「、いなづまといなびかり」のように“よき詞とあしき詞とはもとよりある事なり。えらぶべし”と云っています。
 なぜ、このように詞を選ぶのは、詞がみやびてをかしくなくては、人があわれと聞いていい歌だと読んではくれない。“歌のさまにあらず”と。そして、また、”事のこころにもたがへばなり”本当の歌の心にまで成ってない平凡な歌になってしまうからだとも。それが歌の「情」と云うものだと。


宇津保物語から

2013-06-04 20:25:09 | Weblog

 “歌の詞はみやびてうつくしくをかしをえらび”て作らなくてはならないと高尚は教えています。それに付いてどのようになすべきかかを書いております。その例として宇津保物語にある、次の歌です。
    ●夕ぐれにいなびかりのするを見て
      ・いなづまの影をもよそに見るものをなににたとへんわがおもう人 
    ●つるいとあはれにうち鳴てわた。此君、これをききてましてかなしきさまさりて
      ・たづが音にいとどもおつるなみだかな同じ河ベの人を見しかば
 という歌があるが有ります。
 文の詞には、「いなびかり」、「つる」といひ、歌の詞には、それが「いなづま」「たづ」と文の詞より違えて云っています。随分と注意をして、この二つの詞を使い分けていると云うのです。つると云わずに多豆というからそこに何となくしみじみとした情感が湧くのであって、例えば「しらつる」を「しらたづ」と云わないことでもよく分かると云われるのです。
 まあ、この辺りの事に付いては高尚先生も随分と理屈っぽく自分の説を説いていると言わざるを得ません。どうでしょうかね????


4632、なにそれ????

2013-06-03 10:23:45 | Weblog

 どうしたことかは分からないのです、昨日のわたしのブログのアクセスランキングが4632位になりました。今まで5000の大台を切るようなことはなかったのですが、どうしたことでしょうかね4600位に突入です。これも「数打ちゃ当たる」の例えでしょうか?
 此の頃、私が書いております高尚先生の歌論は、大層、理屈っぽくって余り人受けするような読み物ではありません。だから、この連載を始めてからは、ほとんどの日が10000台を優に超えたランキングでした。しかし、昨日のそれも、前日とは大して変わらないぐらいの内容でしたのですが、結果は、予想に反して、あにはからんやでした。4632位になりました。
 うれしがっていいものでしょうか、それとも悲しがるべきものでしょうか。まあこんあことが偶には有るものだと、驚くやら嬉しがるやらで、この文を書き綴っております。

 さて、これは前置きですが、続いて高尚先生の歌論をご紹介します。
 
 “古今集の歌は、万葉集の歌とはことにして、詞みやびてうつくしきを見ても”よく分かるだろうと云っております。しかし、万葉集の歌でも、柿本や山部大人の歌は、古今集の序にも書かれているように歌として「をかし」のこころが表わされている歌である。

 


歌の詞は

2013-06-02 14:14:09 | Weblog

 「歌のしるべ」には続いて、歌の詞に付いて、
 「みやびてうつくしくをかしきをえらびとり、いひざまつヾくべきようも、さようにとふかく心してものにするぞ」
 と。

 この“みやびてうつくしく”詞は古今集の歌を見ればいいといております。“をかしき”というものについては、何がどうあればをかしきものになるのかまでは説明がありませんが。この先生はこの「をかし」を随分と好きこのんで使っているようです。
 辞書では、「をかし」を、客観的に物事を見て、興味深くしみじみと心に感じる感動だと書いております。主観的ではない、誰が見てもそうだと共感できる心の働きだというのです。