くるとあくとめかれぬものをうめの花いつの人まにうつろひぬらん
の歌に突いて、高尚は次のように言っています。
“此歌の情をときえざるゆゑは、いつの人まにといふを、いつのひまにと云意のように、なほざりにたれもたれもこころえてとけるゆゑなり。もしさようならば、いつのまにかもうつろひぬらんというべく、ことように人まとはいふまじきなり。人まは人のなきまなり”
この歌を解釈する人がその情について詳しく解釈できないのは、この「いつの人ま」と云う言葉をいい加減に解釈してしまうからだと云うのです。いつのまにかしらないうちにというぐらいにしか、此の意味を解していないからだと。「人ま」と云うのは本当は、人が誰もいない間に、と云意味なのに。此の詞を、この歌を解釈するうえで一番のカギに成るのだと述べています。
この歌の本当の意味は、日が暮れるとまだ見、夜があけると見して、目も離さず、ずっと花を見つめているのにも拘らず、人がいないかの如くに知らない間に散っていったのをあやしく思うこころが、この歌には込められていると云うのです。
どうでしょうか。現代の解釈との差異が感じられはしませんか。
なお、この歌の現代の、一般的な解釈は
「常に目に止めて鑑賞していたはずのに、いつの間にこんなに花が散るようになってしまったのだろう、」というぐらいでしょうか